ヘッダ・ガーブレル(1890年) ヘンリック・イプセン作

テスマンとヘッダが新婚旅行兼研究旅行から帰ってくる。大学教授になるあてで、邸を買い、これから二人の生活が始まろうとしている。そこへ、ヘッダの学校時代下級生だったエルヴステード夫人が、やってくる。エイレルト・レェーヴボルクを町に探しに来た。彼女は、二十歳年上の夫と結婚しているが、夫を嫌い、実は家を飛び出してきたのであった。話しでは、レェーヴボルクは、エルヴステード家の家庭教師を行い、その時、夫人と彼の間で親密な関係になり、彼女はだめになっていた彼にいい影響を与え、また彼は彼女に人間として考えることを教えてくれたという。
そこへ、ブラック判事がやってきて、テスマンに予定していた教授職のポストは、レェーヴボルグと争うことになったと告げた。テスマンとヘッダの望んでいた社交的な生活はできなくなった。(第一幕)
ブラック判事がやって来て、ヘッダと話す。彼女は、夫のテスマンのことは愛していないという。死ぬほど退屈だという。レェーヴボルクがやって来て、新たに出す本のことを言い、テスマンと教授のポストを争う気のないことを告げる。ヘッダとレェーヴボルクは二人で話しをしているが、その話しから、二人は、ヘッダが結婚する前は、恋人関係にあったことが感じられる。エルヴステード夫人がやってくる。テスマン、ブラック判事、レェーヴボルクは、パーティーに出かける。(第二幕)
パーティーは、徹夜で行われた。ヘッダとエルヴステード夫人は、待ちくたびれて、前者はソファーで眠り、後者は、肘掛け椅子で眠れぬ夜を過ごした。テスマンが家にもどり、レェーヴボルクが落とした原稿を拾ったと言った。
ブラック判事がヘッダに会いにやってきて、レェーヴボルクのことで、注文をつける。即ち、ヘッダは、ブラック判事と愛人の関係にあり、ヘッダを愛人として独占したい旨を告げる。ブラックが去った後、レェーヴボルクがやって来て、エルヴステード夫人に会い、二人が協働して作った原稿は引き裂いて、フィヨールドの捨てたと言い、二人の関係は終わったと告げた。帰り際にヘッダは、レェーヴボルクにピストルを渡す。ヘッダは、その後、隠していたレェーヴボルクの原稿をストーブの火の中にぶち込み、燃やす。
ヘッダ:(一折りの原稿を火に投げ込み、自分に言い聞かせるように、ささやく)さあ、あんたの子供を焼いてやる、テア(エルヴステード夫人)! あんたの縮れっ毛も一緒にね! (さらに二、三帖の原稿を投げ込む)あんたの子供で、エイレルトの子供をね。(残りを投げ込み)焼いてやる、――焼いてやる、あんたの子供を。
【ヘッダという奔放で淪落のわがままな女性像は、チェーホフのアリアドナという浮気っぽい、奔放な、女王のような女性像に似ているところがある。また、ヴェデキントのルルという娼婦的な愛人を演ずる、しかし、純粋な娘の像とも似る。あるいは、ワイルドのサロメの純粋かつ破壊的なエロス衝動をもつ女性像とも似る面がある。やはり、女神、マグナ・マーテルやアフロディテやアルテミス等が、再生してきているのだ。この世紀末では。運命の女、ファム・ファタルというが、結局、女神たちの復活なのだ。新しい女というのも、この女神の観点から、見ることができるし、そう見た方が、正しい。しかし、近代意識、近代社会というものと結合したものとしての女神であることを、忘れてはいけない。つまり、ドゥルーズ/ガタリが言うように、無意識は社会的生産に関わっているからだ。女神という無意識は、女性の社会的現実と結合しているのだ。だから、近代の女神たちは、父権的・男性中心社会において窒息・閉塞していて、彼女らの「力」の純正な吐け口がないため、ネガティヴな、破壊的な、淫蕩淫乱な、アナキスティックな行動に出るのだ。ヘッダの死ぬほどの退屈とは、この意味に他ならないだろう。女神衝動が、積極的に社会的生産・創造に向かっていないのだ。】
 リーナ叔母さんが亡くなる。その後、レェーヴボルクが自殺を試み、病院に運ばれたが絶望的であることをブラック判事が告げる。ヘッダは、彼の自殺は自発的な勇気をもった行いで、無限の美があると言う。判事が言うには、真相は、フレーケン・ディアナの居間で、撃たれて死んだらしい。判事はそのピストルがヘッダのものであることを知り、恐喝する。ヘッダは、舞踏曲を演奏した後、奥の間で、こめかみをピストルで打ち自殺する。(第4幕)