指輪物語

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『指輪物語』(ゆびわものがたり 原題:The Lord of the Rings)は、J・R・R・トールキン 作のファンタジー 作品。初期作品『ホビットの冒険 』の続編である。

物語の舞台の架空の世界とそ登場人物等の一覧については中つ国 を見よ。

英語の書名The Lord of the Ringsモルドール の冥王サウロン に由来する。作品の主要な敵役が「支配する指輪(一つの指輪 )」を作成したので「指輪の王」と呼ばれ、これが書名となった。

オックスフォード大学 の教授である言語学者トールキンによる圧倒的な教養と考証を基にした(作中で使用されるエルフ語 はトールキンが文法や語彙から作成した人工言語 である)、雄大なストーリーに1960年代アメリカ で大ブームを生んだ。作中の魔法使いガンダルフ にちなんだ、「ガンダルフを大統領に」という標語が生まれたほどである。

目次

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本書の構成

トールキンは、『ホビットの冒険 』 を書いた後、別の本を書くつもりはなかったが、出版社に説得され、「新ホビットの冒険」を構成しはじめた。おもに完璧を目指すトールキンの希望のため、執 筆ははかどらなかった。かれは作品を準創造として、そしてかれ自身を準創造者と考えて、創造をかれの義務であると信じた。トールキンは作品を、大きな一巻 本で刊行しようと意図していた。しかし 後の紙不足のために不可能になった。かわりに、『旅の仲間 』(第1部、第2部)、『二つの塔 』(第3部、第4部)、『王の帰還 』(第5部、第6部、追補編)の3巻に分割され、1954年 から1955年 の間に出版された。1966年 、 ファンの作った3つの索引が『王の帰還』に追加された。しかしながら、『王の帰還』という題について、内容を知らせすぎるとしてかれはあまり好きではな かった。かれはもとは「指輪戦争」を提案していたが、出版社に退けられた。6部構成にしようとしていたそれぞれの題は次のとおりである。

  • 第1部「影の帰還」 The Return of the Shadow
  • 第2部「指輪の仲間」 The Fellowship of the Ring
  • 第3部「アイゼンガルドの反逆」 The Treason of Isengard
  • 第4部「モルドールへの旅」 The Journey to Mordor
  • 第5部「指輪戦争」The War of the Ring
  • 第6部「王の帰還」 The Return of the King

3巻構成版が非常に広く流通しているので、作品はよく『指輪物語』三部作と呼ばれるが、一つの小説として構想され書かれたので、これは厳密には正しくない。

生前に発行されていた6部構成から、最終巻の追補編を分離した英国 の七巻箱入りセットは、それぞれの巻の題は上記提案に基づき死後に決定された。

作品全体の名前はLotR(LOTR)あるいは単にLRと、三巻はそれぞれ、FR、FOTRあるいはFotR(The Fellowship of the Ring)、TTあるいはTTT(The Two Towers)、そしてRK、ROTKあるいはRotK(The Return of the King)と略記される。

いくつかの場所や登場人物について、トールキンの幼年期にすごした、セアホール(当時ウォリックシャーの村で現在はバーミンガム の一部)そしてバーミンガム自体から着想を得ている。

出版史

最初、全3巻はアレン・アンド・アンウィン 社から1954年 から1955年 にかけて、数か月ずつ置いて刊行された。その後、多数の出版社が1巻、3巻、6巻あるいは7巻の体裁で何度も再発行した。ISBN 0-618-34399-7 (全1巻)そして ISBN 0-618-34624-4 (全3巻セット)等が現在入手可能である。

1960年代 初期、ペーパーバック出版社Ace books のSFの編集者ドナルド・A・ウォルハイム は、『指輪物語』の米国ハードカバー版が英国の版のために英国で印刷した頁を製本しているので、米国著作権 法 では保護されないと考えた。Ace booksはトールキンに許可も得ず、印税も払わずに出版し始めた。トールキンは、かれに手紙を書いた米国のファンへこのことをはっきりと述べた。草の根 の圧力は非常に大きくなり、Ace booksはそれらの出版を取りやめ、正式な出版の場合よりはかなり低い額ではあるが、トールキンへの名目上の支払をすることになった。しかしながら、正 式に認可された版がBallantine Books から出版され、すさまじい商業的成功を得たとき、この不幸な始まりの影は薄くなった。1960年代半ばにはアメリカで非常に有名になり、実際文化的現象とまでなった。

出来栄えはさまざまだが、多数の言語に翻訳された。トールキンは言語学 の専門家として、これらの翻訳の多くを検査し、翻訳過程およびかれの作品の両方を説明するコメントをした。

このトールキンによるエピック・ファンタジー の大成功で、ファンタジー への要求が非常に大きくなった。1960年代『指輪物語』のおかげでこのジャンルは大きく花開いた。このジャンルの多くの良書が出版された。特筆すぺき作品としては、アーシュラ・K・ル=グウィン の『ゲド戦記 』やステファン・ドナルドソン の『信ぜざる者コブナント 』がある。

他の芸術分野すべてと同じように、立派な作品を真似ただけの派生本はたくさん現われた。『指輪物語』の筋をなぞっただけの派生品について、トルキニスク(Tolkienesque)という用語が使われるようになった。魔法のファンタジーの世界を邪悪な冥王 の軍隊から救う探究に乗り出す冒険者の一団が…というストーリーがそれである。

現在までの『指輪物語』の総発行部数は全世界で1億部を超えるといわれる。

日本語版について

1972年 から1975年 に掛けて瀬田貞二 訳の全6巻が評論社 から出版され、1977年 に同社から内容のほぼ変わらない文庫版全6巻が出版された。1992年 、既に亡くなっていた瀬田貞二の訳文をもともと協力していた田中明子 が全面的に見直し、両氏の共訳という名義になり全3巻、全7巻、全9巻の三種が発行された。全3巻と全7巻では、「追補編」Dの後半以降が追加され全訳となった。2003年 には、文庫の第10巻『追補編』が発行された。

作中にある英語由来の固有名詞を翻訳する際には、各国の言語に修正するようにというトールキンの意向を反映して、瀬田貞二訳では幾つかの人名や地名が日本語に翻訳されている。

  • Black Riders → 黒の乗手
  • Easterlings → 東夷
  • Glittering Caves → 燦光洞
  • Gollum → ゴクリ
  • Middle-earth → 中つ国
  • Oliphaunt → じゅう
  • Shadowfax → 飛蔭
  • The Shire → ホビット庄
  • Sting → つらぬき丸
  • Strider → 馳夫

また、ゴクリが一つの指輪に呼び掛ける“my precious”を「いとしいしと」、マザルブルの間でフロドが上げる鬨の声“Shire!”を「ホビット庄の一の太刀!」と訳した部分などは、瀬田貞二のオリジナリティに溢れている。

書籍について

『指輪物語』はトールキン自身の言語学おとぎ話北欧神話ケルト神話 に対する興味から始まった。トールキンは驚くほど自らの世界を詳細に形成し、中つ国とその世界のために、登場人物の系図、言語ルーン文字 、暦、歴史を含む完全な神話体系を創造した。この補足資料のいくらかは『指輪物語』「追補編」で詳述されている。神話の物語は『シルマリルの物語 』と題する聖書のような叙事詩的長編へと織りあげられた。

J・R・R・トールキンは以前 『指輪物語』は「基本的には宗教的でカトリック 的作品」であると記述した(The Letters of J. R. R. Tolkien , #142)。そこではゴクリへのビルボおよびフロドによって示される慈悲および哀れみという大きな美徳が勝利をおさめる。フロドが一つの指輪の力と戦ったとき、トールキンの心には主の祈り の言葉「我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ」が常にあった(同書#181, #191)。トールキンは、自分の作品はどんな種類の寓意をも含まないと繰り返し主張し、また、その問題についてのかれの考えが序文に述べられているのだが、支配の指輪は原子爆弾 の寓話であるという推測をするものは多かった。

『指輪物語』のプロットは、前作の『ホビットの冒険 』から、そしてより間接的にではあるが『シルマリルの物語 』の歴史から組み立てられている。『シルマリルの物語』は、『指輪物語』の登場人物が過去として想起する出来事を含んでいる。ホビット たちは、かれらの全世界を脅かす大きな出来事に巻き込まれ、悪の召使いサウロン は、かれの権力を奪い返すことができる手段として、失われた一つの指輪 を回復しようとする。

粗筋

人間とホビットエルフドワーフトロルオーク などが住む空想世界である中つ国 (Middle-earth)を舞台とし、主人公のホビット族であるフロドを中心にして、その他の 8 人の仲間が大冒険を繰り広げる。作中では冥王サウロンとの戦いや「全てを統べる一つの指輪 」をめぐる冒険と友情が描かれる。

より詳細な粗筋は『旅の仲間 』、『二つの塔 』、『王の帰還 』の項を参照のこと。

映画化

ビートルズ 版の計画があったが実現しなかった。スタンリー・キューブリック も映画化する可能性を調査したが、そのためには、あまりに「壮大」であるとその考えを放棄した、といわれている。1970年代 の中頃、有名な映画監督のジョン・ブアマン は、権利所有者で製作者のソール・ゼインツ と共同で、実写映画についての検討をおこなったが、当時はあまりにも費用がかかりすぎると分かった。

1978年ランキン=バス スタジオとトップクラフト は、『指輪物語』関連で最初の映画化として、テレビ放映用アニメーション版『ホビットの冒険』を製作した。これは『指輪物語』の前篇にあたる。

その直後に、ソール・ゼインツ は、ランキン=バスの後を継いで、『旅の仲間』および『二つの塔』の前半部分をアニメーション映画として製作した。1978年ユナイテッド・アーティスツ がリリースした『指輪物語』の監督はラルフ・バクシ で、俳優の姿を撮影して、その上から作画するという独特なアニメーション技術を特色としていた。(恐らく予算の圧迫あるいは超過、あるいは大作と取り組む困難のために)この映画の品質は不均一であった。マックス・フライシャーロトスコープ 技術を使い、実際のアクション・シーケンスの上からアニメーションの絵を書いて、ある部分は完全にうまくアニメーション化されていた。さらに、映画はヘルム峡谷の戦いの後で不意に終るが、しかしサム、フロドおよびゴクリは死者の沼地 を横断する前なのである。かれの最善の努力にもかかわらず、バクシは(物語の残りを収めた)後編を製作することができず、ランキン=バスとトップクラフトが、かれのために1980年 にテレビ放映用アニメーション版『王の帰還』を製作する余地を残すことになった。

これらの映画が若い聴衆に目標とされる一方、成人の熱狂家は物語の深さおよび暗さの多くが廃棄されたと苦情を言った。

これらの努力は、『指輪物語』をちゃんと映画にするのは不可能だと示唆するように見えた。さらに、小説への全面的な関心が減少したので、視覚化の前 途は困難に見えた。しかしながら、映画製作技術の進歩、中でもコンピューター・グラフィックスの進歩により、映画化が実現可能になった。

ミラマックス 映画は、ピーター・ジャクソン を監督として、『指輪物語』の完全実写映画化を開始した。調達資金が失敗に終わりそうになったとき、ニュー・ライン・シネマ が製作を引き継いだ(ミラマックスの幹部ボブ・ウェインスタインおよびハーヴィー・ウェインスタインは、最後まで映画の製作に残った)。

三つの実写 映画は同時に撮影された (例えば、大きな戦闘シーン等に広範囲にコンピュータで生成した画像を追加した)。『ロード・オブ・ザ・リング 』[旅の仲間]は2001年 12月に、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔 』は2002年 12月に、そして『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還2003年 12月にリリースされた。三つの映画はそれぞれの年にすべて長編ドラマ・プレゼンテーション部門のヒューゴー賞 を授賞した。

これらの映画が物語を多少変更しており、恐らく、トールキンのもともとの考えとは本質的に異なるところがあると、批評した者もあったが、多くは素晴らしい作品として賞賛した。有名な批評家ロジャー・エバート は「ジャクソンは、文学の魅惑的でユニークな部分をとって、現代のアクション映画の用語にそれを再話した。...かれがこの映画で行ったことは恐ろしく困難であり、かれは賞賛に値するが、トールキンに忠実にある方がもっと困難で、勇敢だっただろう。」

ピーター・ジャクソンの映画化は17のオスカー(『ロード・オブ・ザ・リング』で4、『二つの塔』で2、『王の帰還』で11)を得た。これらは、賞 の部門の多くを占めたが(実際、『王の帰還』では作品賞を含めノミネートされたすべての部門で授賞した)、奇妙なことに俳優部門はなかった。『王の帰還』 がオスカーを一掃したのは、三部作全体の賞の代わりだと広く見なされている。

視覚効果、とくに感動的なディジタル登場人物であるゴクリ の創造は画期的である。一年半かけて三つの映画を同時に撮ってしまうという、撮影の規模だけでも先例がない。

映画は、本質的な興行的成功を証明した。ニュージーランドウェリントン で、2003年 12月1日 に行われた『王の帰還』のプレミアはファンの祝賀と公式のプロモーションのうちに行われた(映画の製作はニュージーランドの経済に著しく寄与した)。映画史上最大の水曜日の初日となったといわれる。『王の帰還』はさらに、1997年 の『タイタニック 』の後に、初めて10億$(全世界)の興行収入を得た映画となった。2004年アカデミー賞 で、『王の帰還』は、6年前の『タイタニック』と同じく、ノミネートされた11の部門すべてのアカデミー賞を得た。