こんにちは、アマーリですニコニコ

私は、4歳、2歳、1歳の子供を育てながら、日系の金融総合職で働いています。

 

こう言うと、よく、「三人もお子さん育てていて、お仕事も忙しくて、すごいね~!大変でしょ~!?」

と聞かれますが、実はめちゃくちゃ楽をしているのです・・!!笑

 

例えば

・タスカジさんに毎週料理をしてもらっていて、自分で自炊をするのは年に5回ほど

・水回りの掃除は完全に外注、排水溝の蓋を自分では一切開かない

・夫の出張が毎月数回あるが、その時は必ずシッターさんに来てもらってワンオペ回避

・子供の遊びも疲れたときはお家にあるジャングルジムやボルダリング、テラスで遊んでいるのをソファーで眺めるだけ

・食洗機にお皿を入れるのさえも面倒なので使い捨てのお皿を揃えている

・洗濯は乾燥機、掃除はルンバ、ブラーバを夫がかけてくれる

 

こんな感じで、家事をかなり削減しています。

 

私のやることは、保育園のお迎え、ご飯を温めて出すこと、使い終わったお皿を捨てること、

子供のお風呂(それも数分で終わるし、嫌がるときは大きいウェットティッシュで拭いて済ませちゃいます)、

服を洗濯機に移してスイッチを押すこと、オムツ替え、歯みがき、夜一緒に寝ること

そして好きな時に子供たちと絵本を読んだり、ディズニー映画を見たり、ぎゅーっとしたり、子供たちとの時間を過ごすことです。

 

家事を削減することで、自分のやりたい育児に専念することができています!

 

しかも、自分の時間や家族との楽しい時間も取れていて!

 

・仕事は時短で16時過ぎには終わり、保育園は週に一回は延長保育で夕ご飯まで食べてもらう

・週に2回、ジムに通ってズンバやレスミルズなどで汗をかく

・子供ができてからも一人旅に行く

・毎日スタバで一時間ほどのんびりタイム

・算命学の講座を受講したり、色んなイベントに参加したり

・ほぼ毎月、家族で旅行

・新しいマンションでのお家時間を充実させるため、先日マンションのオプションと素敵な家具を500万円近く購入!

・漫画が大好きで、新居には漫画喫茶部屋を作る予定

 

こんなかんじの日々をおくっているのですが、

この生活をするのにはめっーちゃお金がかかります。。

 

私は育った家庭が貧乏で、学生時代にはお金が無くて辛い経験もたくさんしてので、

社会人になってからもお金を使うのが怖くてもったいなくて・・・

ここまで来るのにはたくさん心の葛藤がありました。

 

なにせ、社会人になってもペットボトルのお茶を買うのがもったいなくて、

空のペットボトルに毎日水道水を入れて会社に持っていってたくらいだから。

 

私服を買うのは年に数回、美容室もできるだけ行きたくなくて半年くらいは放置、

高いのでカラーは絶対にしない。

 

大好きな漫画も買えなくて、漫画喫茶に安い深夜のプランで行って、夜通し読み続ける。

 

こんな私が変われたのは「無理にでもお金を使ってみた」のと、「投資との出会い」のおかげでした。

 

それでは、長いのですが、ここから私がどのように変化していったのか、どういう経験があって変わっていったのかを書いていきます。

ぜひお付き合いください。

 

~目次~

1,お金を気軽に使ってはいけない!という考えが染み付いた幼少期

2,毎日バイトを掛け持ち、家賃を滞納、どうにか生き延びた大学スキー部時代

3,証券会社に入社し、お金持ちマインドを学んだ日々

4,投資が安心をくれた

 

それでは、始めて行きます!

 

1,お金を気軽に使ってはいけない!という考えが染み付いた幼少期

 

私の実家は沖縄で、ラーメン屋さんを経営しています。

お店を始めて数年間は、沖縄での出前の先駆けで人気が出て上手くいっていたそうです。

 

しかし、2店舗目を出した頃から苦しくなり始めました。

家賃の高い首里で広めの店舗を借りたことや、1つ目のお店を他の人に任せたことで味・サービスの質が下がり売上が落ちたこと、

人を多く雇うようになり人件費がかさんだこと、店舗オープンのためにした借金の利息の支払い、、

 

毎月毎月、給料や家賃、借金の利息、在庫仕入れの支払い、と資金繰りが厳しくなりました。

支払いの優先順位はお店なので、家の水道や電気は止まることが多くなりました。

お店を閉めた後、夜中に母がお店に連れて行ってくれて、ブルーシートを敷いてみんなで交代でシャワーを浴びました。

 

幸い飲食店をやっているから、食べるものには困らなかったです。

けど贅沢をすることはできなくて、

母が、「お母さんがね、500円を稼ぐには、一時間一生懸命働かなきゃいけないのよ。」と言われたことが重く残りました。

 

母がお金を誰に借りよう、、と走り回っていたことも、よく覚えています。

 

2,毎日バイトを掛け持ち、家賃を滞納、どうにか生き延びた大学スキー部時代

 

東京の大学に進学した私は、スキー部に入部しました。

スキーはとてもお金のかかるスポーツです。

ウェアやスキー板、ブーツ、板の手入れをするためのワックスなど道具を揃える必要がありますし、

合宿に行くと交通費、リフト代、宿代、コーチ代、と一日で1万円~2万円ほどかかります。

合宿の期間は数ヶ月あるので、毎年100万円くらいかかりました。

 

無利子の奨学金を借りていましたが、全然足りなくて、

スキー部独自の奨学金や、バイトの掛け持ち、友達から借りる、大家さんに家賃を一年半分ほど社会人になってから払うようにしてもらったこと、

合宿では住み込みのお手伝いをして宿泊費を0にしてもらったりしていました。

 

これは体力勝負でした。

8時間ミスドでバイトして、その後家庭教師に行って、別の日にはスーパーのレジ打ちをして、模試の季節には採点バイトをして。

冬はスキーの練習をして、終わったら宿でご飯の手伝いをして、朝は早くからご飯の準備、みんなが先に練習に行ったら部屋を一つずつ回って布団を畳んで、シーツを回収して掃除して、トイレとお風呂と廊下、階段の掃除をしてまたスキーの練習に出発。

 

人からお金を借りるのもすごく引け目を感じていました。

大家さんの前では家賃が払えないと泣いて謝りました。

4年目の冬は、もう無理だと卒業より3ヶ月ほど早く退去して、合宿のとき以外は部室で寝泊まりをしていました。

荷物はスキー部の友人の家に置かせてもらいました。

 

それでもスキーは楽しくて楽しくて、大会で結果を残すこともでき国体にも出場しました!

そして何より大切な仲間ができました。

夫ともスキー部で出会いましたし、友人たちとも今も数ヶ月に一度飲みにいきます。

 

お金に苦労し続けた4年間ですが、ここを乗り越えたことで、なんとかなるよね、という楽観的な気持ちになりました。

 

 

3,証券会社に入社し、お金持ちマインドを学んだ日々

 

社会人としてのスタートは、証券会社での営業です。

新規開拓のために、毎日、電話、DMをポストに入れて、飛び込み訪問をします。

お客様は富裕層の方達で、商品は株、投資信託、債券などです。

 

最初はうまくいきませんでした。株のことは何も分からないので、手探りで先輩に教えてもらった銘柄をおすすめします。

お客様に教えてもらうことも多かったです。

「この株が上げると思います、いいですよ。」とは言えても、「買ってください。」と言えないのです。

 

ある日、全国トップクラスの営業マンの上司、T次長に叱られました。

叱られた内容は、ペットボトルに水道水を入れて会社に持っていっていたことです。

「そんな貧乏くさいやつから株を買いたいと思うわけがないだろう。お金持ちの気持ちが全く分かっていない。」

 

私にとっては習慣になっていたことなので、こんなことで叱られるとは全く思ってもいませんでした。

このことだけではなく、T次長には色々なことを教わりました。

髪をギャルのように明るくしろ、と言われ髪を染め、8センチの高いヒールをダイアナで買えと言われ、買ってきて

 

ボーナスが出たときには、「リッツカールトンに一泊してこい。」と言われました。

高級ホテルに泊まったことがない私は、一泊5万円ほどするホテルに泊まるのは怖くてたまりませんでしたが、

T次長が言うなら、と泊まってみました。

 

あのとき泊まったリッツカールトンの感動は忘れられません。

ゆったり広い部屋、部屋から見えるきれいな夜景、ラグジュアリーな空間、エレベーターのお姉さんとのさりげない会話、

靴を磨いてもらったらピカピカになって返ってきて、電話で何かお願いをしたときの明るく丁寧な対応、美味しい朝食。

あの経験が22歳の私を引き上げてくれました。

また泊まってみたい!ここに普通に来れるような人になりたい!

そして私の営業で、お客様にもこのときのような、気持ちの良い体験をしてもらいたいな、と思うようになりました。

 

 

こうして、自分自身の体験を増やしていくことで、お金を使うのがもったいない、から

使わないで取っておく方がもったいないという気持ちに変わっていきました。

そのままならただの紙だけど、使うと得られるものがあるのです。

 

T次長からの次のミッションは、お客様に「1,000万円買ってください。」と言うことでした。

私にとっては大金すぎて気の遠くなる金額で、震えながらこの言葉を言いました。

少しずつ慣れてきて、自分の中の感覚をどんどん広げていくことができました。

 

おかげで営業はうまくいき始めて、一年経つ頃には、

社内の表彰制度で社長賞というものがあるのですが、その社長賞の新規開拓部門を受賞することができるまでになりました!

 

4,投資が安心をくれた

ただ、お金って、当然なのですが、使えば使ったぶんだけ無くなるのです。その代わりに得られるものはもちろんあります。

けれどやっぱり、無くなっていくお金への恐怖はありました。

どう克服するかというと、収入を増やすのが一番です。

 

証券営業でお客様に勧めるのなら、自分で買ったほうがいい。これもT次長の教えでした。

一年目の冬、どきどきしながら、初めて、投資信託50万円を買いました。

 

半年後には、これが約80万円になっていました。

このころ、ちょうどアベノミクスで相場が上がっていたタイミングで、初めての投資ではラッキーだったのですが、

会社でもらう給料以外にも自分でお金を稼ぐ手段があるんだ、ということを実感しました。

 

この資金を使って、新婚旅行に、ずっと行ってみたかった、中国の秘境・九寨溝に行くことができました。

 

それからは、投資信託を毎月10万円積立てるようになり、余裕のあるときには外国株式を個別で買うようになりました。

多い時には800万円くらい運用をしていました。

 

外国株式は本当に楽しいです!

グーグル、アマゾンなどの身近な銘柄が多いですし、

株をやっていると、今、世界がどうなっているのか、というのが分かってとても楽しいのです。

 

失敗ももちろんあります。昨日買った銘柄が今日は20%マイナスだ、、なんてこともありました。

けれど、麻雀と似ていると思っていて、運もあるけれど、知識と経験で勝率が上がっていきます。

本などから学んで、それを試してみて、というのを繰り返していくなかで上手になっていきました。

 

これは、後から人から聞いてそうだなーと思った言葉ですが、

「苦労して稼いだお金は使うときも心が苦しい。けれど、楽しんで稼いだお金は気持ちよく使える。」

 

私にとって投資は楽しく稼げる一つの手段です。

 

ペットボトルのお茶も買えなかった私が、自分の心地よさや楽しさのためにお金を使えるようになったのは、

最初は無理にでも使ってみろ!と言われて使ってみてたくさん感動を得られたこと、

そして投資という、給料以外の稼ぐ方法を見つけられたおかげです。

 

今、三人の子供と、夫と毎日にぎやかで楽しい日々を過ごせていて、

これからもたくさんの経験ができると思うと最高に幸せです!!

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

8年間全力で取り組んできた、外国株式投資の方法をお伝えする1dayセミナーや長期講座を不定期で行っています。

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