こんにちは!

関ジャニクロニクルが面白すぎてずっと見てしまっているgagarin-0930です

 

さて、本日はタイミングについてです。

 

先輩にプレゼントを渡す時を想像してください。何人かでご飯を食べていて、先輩が引退するということでお疲れさまと感謝の意味を込めてお祝いしますよね。そのときに、先輩が喜ぶためにはプレゼントの内容は非常に大事です。人によっては気持ちだけでもうれしいという人はいますが、もちろん内容がいいもの、自分の好きなものに関連する興味深いものだとなおうれしいですよね。

 

ただ、ここで軽視されがちなのがタイミングだと思います。そこをまったく気にしないで乗りで渡すと場の空気的にあまり喜ばれないことがあります。実際私はそういったことを何度か経験しています。

 

具体的にどういったタイミングがあまりかなと感じるのが、違う人がプレゼント渡しているときに陰で渡したり、ついでに渡している感が出ていると存在感が薄く出てしまいます。特別感がでていないとせっかくもっと喜んでくれる潜在的なチャンスがあるのにもったいないなと感じます。

 

きちんと間が空いたとき、場が整っているときを見極めて渡しましょう。内容だけこって渡し方が適当だともったいない(二回目ですが)。そこのところまできちんとやってよい雰囲気で引退を迎えてあげましょう。(なんのはなし?)

 

非常に緩い感じでしたが本日のお話は異常です(笑)

最後までお読みいただきありがとうございます。

それではさよなら

こんにちは!

いつもは折り畳み傘を常備していてなんでこんな晴れた日に持っていくの?と母親に言われているのに今日に限ってかばんを変えて夜に雨降るという一番たちの悪い天気で非常に悲しい気持ちになったgagarin-0930です

 

さて、本日は時間に関するお話です。

 

自分が勉強するとき、人に勉強を教えるとき、何かの課題をやるときに必ずどのくらいかかった?何時間かかった?などの会話は必ずあります。やっぱり宿題とか課題とかはすぐにでも終わらせてゲームやりたい気持ちは非常に共感しますし、一刻でも早くテストの勉強を終わらせて毛布にくるんで寝たいですよね。

 

だからどんなことでも早く終わらせたい、短く終わらせた人はすごいとかと仲間内で評価されがちです。そんな重大な評価でないことはわかっているとは思いますが、。それでもそんな早く終わらせたんだ、俺は遅いなとかと落胆する人は友達にも教えている子にも自分の中にもいて、そういう人に伝えたい。

 

早く終わったから全部いいというわけではない。

 

もちろん宿題を早く終わらせてゲームしている人をついうらやましく見てしまいがちだと思います。ただ、だいじなのは速さよりも習得の割合だと思っていて、早くても適当に終わらせている人なんてたくさんいます。それこそ早くてすごいといわれたいがために答えとか見てすぐに宿題を処理する人は中学生のころとか結構います。どれだく密度が濃い状態で、質を高くしてその課題や勉強を行えるかが一番大事です。

 

また、人には能力差があります。先天的な能力差もあれば、後天的な能力差もあります。ただ、それらはたいていは努力で何とかなる、埋めることができる差だと思っています。ただ、その努力には時間を要します。

 

時間を無駄にすることは簡単にはしてはいけません。何故なら有限だからです。有限の時間を無駄遣いしてしまうのはもったいなくて、だからこそ無駄にしないためにより質を高く取り組まなければいけません。人によって課題を解くのに必要な時間は違います。簡単にみんな同じようにできるなんて思ってはいけません。得意不得意があり、好みもバラバラです。

 

だから、自分の友達がものすごく早い時間で課題を終わらせて自分はそんなのができなくて落ち込んでいるとすれば、そんなのは能力差や先天的な差だったりと仕方がないことでもあります。それでもあきらめることがいちばんいけないことで、努力次第でその人よりも早く解き終われるようになります。はじめは誰だって時間がかかります。それは仕方のないこと。なので、その初めの時間と周りの人の情報をうのみにしないで、自分がどれだけ質よくできたかに着目して考えていましょう。

 

 

こんにちは!

最近youtubeを始めたgagarin-0930です。友達と始めたのですが、正直何をとってもつまらなくなる気しかしなくてなかなかに精神的に来そうだと感じています。

 

さて、本日は見方についてのお話です。

 

皆さんが電車に乗ったときを想像してください。いつも通りに学校から家に帰り電車に乗っているときに、少し車内がすいていて座れるとします。自分はそこまで疲れていないから急がずに普通に乗り、年寄りのひとがゆっくりと座ろうとしているときに、前から青年が気づかずに座ってしまいます。それを見てどう思いますか?なにか言えよ!とか譲るのが当たり前だろとか。たぶん私でもそう思います。

 

ただ、第三者から見ているとたまにその青年が年寄りの存在に気づいていないなと気づくときがあります。一見失礼な青年に思えても実はただ悪気があってした行動でないばあいがあり、これを失礼!とか無礼!とかと決めつけるのは事態を悪くする一方のように思います。

 

実際に自分がその青年の立場になったことはないのかと考えると、意外と無意識のうちになっていたりします。実際、私は今日友達と電車に乗って二人席が空いていたので友達が座って取ってくれたのですが、私には子供連れの母親が見えていたため少し座るのをためらっていました。ですが友達は親子がいるとは思いもしないので座りなよと声をかけ、親子はバラバラに空いている人席に座る状況になりました。

 

だれが悪いかというと、しいて言えば私で状況が見えている人がしっかりと発言するべきだなと感じました。一方で友達は親子が見えていなかったので悪気があって席を取ったわけでもなく、親子も何も悪いことはしていません。ただ、はたから見たら私と友達が譲らなかったという事実だけが伝わるだろうなと思いました。

 

つまり、よく電車で見る迷惑な行為は実はじぶんがほかの人にやっている迷惑行為なのかもしれません。電車に限らず、道にいる迷惑なことをする人は自分の鏡である場合があります。

 

大事なのは自分は違うと勝手に解釈するのではなく、きちんと自分を見つめなおすこと。また、ある迷惑行為をみていやがっている人がいる状況を見たらできるだけ声をかけてあげて、できなかった時にはその状況を減らすために自分はそうしないように意識しましょう。

 

この人迷惑だな~、を一度自分の生活に向けてみましょう。私は反省する部分がいくつかありました。残念なことに。皆さんはどうですか?

 

これで本日のお話は終わります。

最後までお読みいただきありがとうございます。

それではさよなら~

こんにちは!

中間テストが終わって年内には楽しみなことしかなくてワクワクしまくっているgagarin-0930です。特にM-1はめちゃくちゃ待ち望んでいます。見ましょうね、皆さんも

 

さて、本日は自分の発言についてのお話です。イメージしやすい状況だと、人に何かものを頼まれたときに自分がわかったとかやるといったならその責任はきちんと取ろう、ということです。

 

上下関係のある部活では先輩からお願い事とか、これしろあれしろとか命令されることがあります。そこで、あまりよく理解できない時にもとりあえずはいとかって言ったりしがちですが、それって無責任だし相手からしたら非常に困ります。なぜならわかりましたと言っているのに実はわかっていなかったなんてことだとよくない影響が起きるからです。

 

完全にこれは信用に問題が出ます。この人はわかったといっても本当は聞いてなくて受け流してるだけと思われたが最後。相手からの信頼は得ることが非常に難しくなって関係は最悪に。実際お願いをしている立場としてはできないならはっきりとできないといわれたほうがすぐに次の行動に移せるのでまったく迷惑ではありません。むしろはいと言っておいてもまったくやらなかったり、実はやりたくなくてだだこねたりするほうがたち悪いです。

 

ただ、人によっては(私もそうですが)後先考えないで面白そうだからという理由で”はい!”っていってしまいます。その時に、自分の信頼を維持するためにはとにかくやるしかありません。先延ばしにしていいことは何もありません。

 

今やれ。本気でやれ。自分の言葉に責任を持て。

 

とにかくこれです。友達でも親でも先輩でもだれの頼みでも絶対にはいと言ったら実行する。それが前もお伝えした頼られる人になるということです。

 

最近思いますが本気でやればできることなんていっぱいあります。限界は想像の限界であるという言葉があるのですが、まさにそうだと思います。

 

自分の限界を超えていきましょう。

以上です。

最後までお読みいただきありがとうございます。

さよなら!

こんにちは!

文章力のなさに悩んでいるgagarin-0930ではありますが、それでも人の書いた文章にはいちゃもん付けたがります。悪い奴です。

 

さて、突然ですがみなさんは人に応援してほしいときにどう伝えますか?

1.とにかく来てほしい!と私たちが応援してほしい理由を伝える

2.絶対に来たほうがいい!と彼らが応援しに来たほうがいい理由を伝える

3.みんな来ている、当たり前のことだから来てください、と伝える

 

なぜ、あたしがこの質問を皆さんにきいているのかというと、最近友達が同じグループに所属している人に応援を要請する文章を見て、これはちょっと自分勝手すぎるのでは?と感じたからです。そしてそう感じた理由が、うえの三つの方法のうち、1番を主な方法として使い結果として応援が来ないことに失望して3番の方法を使っていたからです。気になったのが、2番の方法を使っている人が少ないことです。

 

正直、三つの方法が力を発揮するのは場合によると思います。例えば、上と下の関係がしっかりとしていて、伝統がありルールもある場合は3番の方法はおかしくないです。また、一番も二番もきちんと人を動かす力があります。

 

ただ、最近よく感じるのが人間全員が同じ方向向いてなくて、同じものに興味を持ったり熱くなったりしないことです。人によって面倒くさいと感じることや、面倒でもやる価値があるから意識的に動く人はいます。だからこそ、人にものを頼むときは自分の視点からの主張だけでなく、相手側の視点に立って寄り添わないと動かすことはできません。

 

自分の好きなことを自由にやっていい環境で、みんな来ているから応援に来てといっても、いや行きたくないから行かないといわれたらそれまででなんの効力もありません。また、私たち頑張った!お願い応援して!と言われて仲が良くて見に行きたい、応援したいと思ってくれたらよいですが、やっぱりそこまで行きたくないな、行くメリットないなと思われたら終わりです。

 

つまり、この自由な世の中相手を動かすためには少なからず相手に動く理由を与えてあげないと変わりません。例えばで言えば、技術が高い人たちによるテニスの試合は見るだけでも楽しいから、一緒に盛り上がって祭りみたいに楽しもう!絶対後悔させない!みたいなことを言うほうが、私たちはめちゃめちゃ頑張ってきました!応援の力は選手にすごい元気を与えます。きてください!よりも相手を動かす力があります。なぜなら選手のために応援しよう、と自ら思う人よりも祭り大好き!みんなでテニスで盛り上がれるなら行きたい、行こうといった思考のほうが自然だからです。

 

もっと言ってしまえば、応援する理由よりも行く理由を作ってこさせれば、あとは流れで応援に巻き込むことは可能です。

 

つまるところ、相手の視点に立たずに相手を来させる気も起こさない応援要請を書くくらいなら、本当の目的である応援してほしいという要素をかくして、とにかく楽しいから来て、一緒に盛り上がって楽しもうといってこさせたほうがチャンスがあり、結果的に来たなら大多数の空気に合わせるので応援させてもらえることは簡単です。

 

人にお願いするときは相手の視点に立ち、相手が動く理由を作る、教えることが非常に大切です。

 

本日のお話は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございます。

それではさよなら~