世間では女子会なるものが毎日のように開かれ、多くの喜びもしくは哀しみを生み出している。女子会について、♂なる私が語るのは憚られることかもしれないが、女子会について一言あるあるいいたい(20-30までの女子会について)。

 

これから語る女子会に関して僕自身が思うことなので、偏見が多分に見られると思いますが、未熟者だと思ってご容赦願いたい。

 

まずはじめに、なぜ僕が女子会について興味をもったか、そこから話していこうと思う。僕は一般的な男性に比べて酒が強い。今まで飲み負けたことは一回しかなく、その一回も多分僕に合わせて飲み続けた先輩を家に送り届ける体力を計算して、負けたことにした計画的敗北である。ゆえに、実質的に飲み負けたことは一回もない。だからこそ、最後までラストサバイバーとして永遠に飲み続けることができたし、それゆえに終盤では一人飲み状態に耐えなければならない。もちろん、その孤独タイムではやることがない。自然、注意は他の客の話している内容に向く。そうすると、聞こえてくるのだ、悲痛な女子の叫びが。

 

テーマ1「前向きじゃねえ」

女子会と聞くと、自然「恋バナ」を連想する人が大勢いると思うし、多分それで間違ってない。しかし、そこで語られる内容というのは、自分が間違ってないという承認欲求を満たすための自慰行為である。恋愛というのは、相手の責任もしくは自分の責任、そして、相互の責任という大きな括りで分類できると筆者は思う。相手か自分かの責任の割合は、各々の恋によって様々だと思うが、ここで前向きな話をすると、そのどれかに分類しがたい責任を自分の責任として認めると、次の恋愛は前向きに進むと思う。つまり、他人のせいにしないことが正論だと思う。なぜなら、男性でも女性でも他人のせいにばかりして、逃げている奴は同じことを繰り返していると思うことが、筆者のつたない人生経験にはよくあるからだ。しかし、女子会は先ほども述べた通り、端的に表すと「承認欲求を満たすための、集団自慰会」である。「自分はあの時よく頑張った」と認めてもらう会である。自分があの時こうしておけばと、自省する気が毛頭ない。しかも、女子会に呼ばれるのは自分と同じような境遇で、なおかつ不幸な女である。つまり、同類である。自然、どんな質問をしても同じような回答しか返ってこないし、違う回答が仮に返ってきても、聞く気は毛頭ない。自分を反省させるような言葉など、はなっから必要としてないのだ。必要としているのは、「癒し」。傷ついた自身を癒す都合のいいポーション(慰め)しか求めていないのだ。

 

つまり、女子会で得られるものは、何もない。虚無でしかない。

 

 

テーマ2「群れることのできない本能」

どこかの本で読んだ話なのだが、男性はどんなに憎み合っていても同性同士で協力プレイができるが、女性はできないらしい。それは、男性は基本狩猟民族で、狩りなどで協力プレイができないと生き残れないかららしいのだが、女性は求める♂をゲットするためにライバルを蹴落とす本能があるがゆえにそれができないらしい。

 

 

続編part2に続く