まぁ、ひっさびさに更新するわけで。





さて前の日記に書いた1ヶ月後の目標は延期しそうです。





秋は大好きです。



暑くないし、寒くない。



そして何より、気分を陰鬱にさせる。



最高ですね。




正直五月病とかより、九月十月病の方が深刻なようなきがしてしかたないんですよ。


いや、世間的に考えても。


こんなにも哀愁を漂わせる季節だし、

いろいろ考えさせられる時だと思うんだよ。



なんだろうね、このスッキリしないモヤモヤ感は



逆に考えるんだ


日常においてこの感じを感じないのは、他の要因によって忘れてることに起因すると考えられる。


そのため、この感じが普通である。


これを感じさせないために日常において出来事を欲しているともいえる。



はい、なんかバイト干されてます・・・



夏休み最終週ともあろうに・・・予定ぜろ

ツレに電話をかけると既に始まっている。。。

貯金は120円給料は25日



さぁどぉしよ。。。

まぁ、そんな状態だからいろんなこと考えます。



人は安定を良しとするか否か



一応今日の主題です。



人は常に安定


心の平和を求めていると思います。


真に安定とは常に何も起こらない状態を意味します。


しかし、それは前述にあるとおり不安感を引き起こすようです。


ある人はいいます、アウトローに生きると。


私は思います、何重にもルールやしがらみに囲まれている状態において、

もはやそれらから個人が逸脱することは不可能である。


そのため、その域内で安定を求める事は非常におもしろくないこと


俺はその面白くない事が一番大事って考えてるだけなんだ。


野心のベクトルが違うのです。


私は安定を良しとします。



人とは常に孤独であると感じます。


たとえ、他者の影響があろうとも、その影響のスパンがどの程度であるかの違いであって、

常に瀕してるのは孤独という不安と安定であります。







別にあの子の問題が解決しないからって僻んでるわけじゃないんだからッ!!

人の性格形成とは、思考形成とはいつ固まるのでしょうか。



私は基本的に臆病者偽善者不器用なのです。



さて、原因を改めてほじくり返していきましょう。





私は幼少の頃より友達はいなくなるものを前提に生きています。

それは父親の転勤云々もあり、一定の土地には土着しないせいかもしれません。

そのため適当なところで折り合いをつけて、互いの深いところまで踏み込まず踏み込ませず。

毅然と実直なフリをしていました。

そのため、ふよふよと自分の居心地の良い場所でとどまりをつけて、ややこしい人間関係を拒否していました。

なるべく地を見せぬよう上っ面を良くしようと。





中学3年から大阪に改めて住み、そこは非常に居心地の良い場所があるところでした。

帰ってきたという感覚と、昔からの知り合い。

そこで関係を失いたくないという意識が生まれたのでしょう。

高校へと歩を進め、大半は散り散りになりました。

初めてまともに部活をしました。

紆余曲折あったものの、楽しみの一つでありました。

自己の成長を感じつつ、進学コースへコースを変更しました。




このころですね、あの子が問題になってくるのは。

高校にはいったころからやたらメールをしました。

電話を無駄にしました。

電話代がかさみました。

病んだ話を毎日聞かされました。

気になる人がいるとか話されました。


病みました。


どうしていいかわからず、なにもせず、逃げた状態です。





あとは部活、気の迷いから生徒会活動をし、そのまま大学へ。



男女の関係で言うならばそこからストップしたままです。

今の今までにげっぱなしです。

傷つきたくないから、今が続くなら幸せと勘違いしているから。




どこかすべてが中途半端になるのは恐いからです。

どうなるか分からない未知の領域だからです。

他人がなにげなくすることは、自分にとってはわからないことだらけなのです。

実際問題、「まぁいいや、明日考えよう」ではだめなんです。

かといって一歩を踏み出す勇気もなく、怠惰な日常を過ごす現在。



嫌になってきます。


周りの環境が、そしてなによりも自分が。




私は路傍の石です。

それ以上なにものでもありません。

人の時のながれが急速に流れていくのをただただ見つめている傍観者しかないのです。



そのため磨かれもせず、もはや両手には武器もなく、

あるのは怠惰に身を任せた肉体と、精神のみです。



私のこれまでは問題はありませんでした。

そのため何もありませんでした。





私は精神の修練を怠り続けました。





そろそろそれも終わりにしなければなりません。

私が虚無感を感じていたすべては自己にあったのです。






今、20歳を目前にしての決意と10代との決別を。




生涯の目標は親父を越える。




10年後の目標は家庭を持つ、そして現在の私を笑う。




5年後の目標は金融関係の仕事に携わる。




3年後の目標は世界を旅する。




1年後の目標は本を100冊読む。




1ヶ月後の目標はあの子の問題に終止符を打つ。




明日の目標はコピーを終わらす。







過去の私へ、この大馬鹿野郎め

金?




世の中のすべてのことだろ?




別に綺麗ごととかいいじゃないか。



建前、建前。




世の中金やって。。





。。。





金がなかったらなにができるねん。


この世の中が文明社会であるかぎり、資本主義社会であるかぎり


しかたないんじゃないでしょうか。


だから、社会保障だとか、生活保護とか、障害者保護、浮浪者保護とか大嫌いです。


だってほとんどは自分が原因でその選択をしたんでしょ?


あまえんな、同等の権利を求めるな。


権利を放棄したものになぜ支援をせねばならねばいけないんでしょうか。






はい、どっちでもいいことでした。








やはり、一人でしょいこむのは気を病みます。



しかし複数人で共有すれば全員病みます。




病みやがれコノヤロウ