2018年10月

その日のK市は薄曇りながら時折強めの日射しもあって、10月になったというのにまだまだ暑さを感じていた。

駅前の「ビーンズ」。そこが私のお気に入りのコーヒーショップだった。

店長でオーナーのヤスさんは、中学生のころから進路希望を「コーヒー店」と書いていたくらいの筋金入りのコーヒー好きで、一旦都内の広告代理店に勤めた後、Uターンでこの地にお店を開いた人だった。私とはもう8年ほどのつきあいだ。

私はと、ここで自己紹介をしようとしたが、やはり気になるのは彼女のことなので、そちらを優先しようと思う。

彼女と「ビーンズ」で会ったのは5年前の冬になるか。そうだ、私が四十の手習で車の免許をやっと取った年だからそうなるだろう。

カウンターふた席の店内で、彼女はごく普通にアイスコーヒーのブラックを注文した。

アイスコーヒー?と面食らって動揺したのは私のほう。もちろん顔には出さなかったが、彼女にはすっかり伝わっていたらしい。

「よくいらっしゃるんですか?」

人を見れば何かと不審者扱いもある昨今だが、彼女は屈託なく私のカフェラテを見てから、私の顔を見た。とてもしぜんで、押し付けがましくない意欲的な姿勢が1秒で伝わった。

「ええ、今日はたまたまカフェラテですけど」

彼女が聞きたい情報はそこではないことは百も承知。ただ、動揺した私には咄嗟にそう答えるのが精一杯だった。

私は彼女のことを勝手にカオリちゃんと心の中で呼ぶようになり、それ以来、いつも月末のころに「ビーンズ」で見かけるようになった。話すのは数分程度。それでも、彼女はいつも素直でうんうんと頷きながら私に応じてくれるのだった。そして、いつもアイスコーヒーを半分飲むとそのままテイクアウトにしてしまって、「じゃあ、ごめんください」が決まった挨拶だった。

「今日はアイスコーヒーの気分ですかね?」

注文のときにヤスさんに言うと、彼はひと笑いしてから「まだまだ出てますよ」と明るく答えた。

アイスコーヒーというキーワードが思い浮かんだのはひさしぶりだなあと私は勝手に思っていた。なぜって、カオリちゃんと会わなくなってから2年半が過ぎようとしていたからだ。

ヤスさんに思い切ってカオリちゃんのことを聞いたとき、彼は「ああ、あの人ね。東京のほうとかに行ったらしいよ」と呑気なことを曖昧に返した。

駅前でバスの通りもけっこう激しい交差点。信号待ちの彼女をぼんやり見ていた私があれ?としたのは次の瞬間だった。

横断歩道を渡ってくる彼女を見て、受け取ったアイスコーヒーをとりあえずカウンターに置いた。

「いらっしゃいませ」

「ご無沙汰してました」

髪も伸びて前は栗色だったのが黒髪になっている。服装も古着屋さんでアレンジしてもらったようなシャツとベーシックな黒いコットンパンツが映えていた。間違いなくカオリちゃんだった。

「私も今日はアイスコーヒーですよ」

「じゃあ、私もブラックで」

ロクな言葉が出てこなかった私に彼女は合わせてくれた。ヤスさんは別に何ともなく普通の対応をしている。

「戻ってきたんですね」

「今度、私もUターンして服飾のお店をこっちで開くんです」

彼女が2年半ぶりに飲む「ビーンズ」のアイスコーヒーはどんな味だろうか。私とは違ってもっと心躍らせる風合いなのだろうか。かかっている音楽は私の知らない洋楽。私は交差点を通り過ぎる雑踏に気を取られすぎないよう、窓の風景をそっと視界の隅に移した。

(了)