「店を閉めることになりました」
社長さんが我が家を訪れたのはほんとうに何の前触れもなく突然のことだった。
我が家の隣には売店があった。近くの学校に通う生徒が相手のこぢんまりした商売をしていた。
黒田さんというおばさんが1人でお店を切り盛りしていた。
おばさんは見るからに中年のおばちゃんという感じの明るく優しい性格の持ち主で、私もおばさんには心の窓を開いていた。
私は小学校が終わると真っ先にその売店に行ってアルバイトのまねごとのようなことを始めたのだった。
商品の整理・補充をしたり、閉店時は床のモップ掛け、裏の部屋で贈答用のカステラの箱折りをしたり、おばさんのタイムカードを何度も押して注意されたりした。
そうして1日の「仕事」が終わると、見切りのパンをもらって喜んで帰るのだった。
近くの学校のその当時のお兄さん、お姉さんたちにも温かく見守られ、私の生活は充実していた。
おばさんがお店をやめることになったのは2年くらいした春のことだった。
「いい? おばちゃんがやめたら、もう手伝いに来るのはやめるんだよ」
その言葉は今でもはっきり覚えている。
おばさんのいつにない真剣な表情になんとなくそれらしいものは感じていたが、そこはまだ小学生、わかるはずもなかった。
その証拠に、神経質そうな次の人が入ってくると、また真っ先に駆け込んで「暇だ、暇だ」と押し通し、手伝いを再開したのだった。
「やーよ」
「嫌よ」という意味なのだが、その人は我が家とも付き合いのある接骨院で、私について漏らしていたらしい。
このことは我が家で大問題となり、父親から延々と説教を受けた覚えがある。
私もそれを機に売店には行かなくなったが、その人はほぼ私のせいなのだろう、結局半年足らずですぐにやめてしまった。
そうこうしている間に私も中学生になり、部活などもあるため売店からはしぜんと遠ざかっていった。
「自動販売機だけ残して……」
社長さんが玄関の戸を開けて元気よく「こんにちは!」と来たとき、廊下で目が合った私は幼いころの記憶だったため、社長さんだということがわからなかった。
母親との会話は私の足跡を一部たどっているようで私はちょっと落ち着かなかった。
その社長さんも数年前に亡くなったと風のうわさで聞いた。
現在、私はあのときのおばさんくらいの歳になったのかな?
これで小学生のガキが手伝いたいなんて押しかけてきたらそれは大迷惑だと今はわかる。
おばさんとももう30年くらい会っていない。その後の消息もわからない。
その今でも私には伝えたい言葉がある。
「おばさん、ありがとう」
(了)