黒い闇に紛れて1台の救急車が走っていた。前面のライトをぎらついた目を思わせるように明るく灯し、白い車体を灰色に染め、赤い光線をあちこちに散らし、盛んに夜の風をわきへやりながら疾走していた。

  太い直線道路の少ないこの辺りでは珍しくないのだが、道の幅がせまくなったため、サイレンの響きがいっそう強くなった。救急車はそのまま走り続けていたが、ある所まで来ると急停車した。運転手が後ろの処置室に顔をのぞかせた。その顔は眉を寄せた明らかに困った状況を知らせるものだった。

  「おい、どうした?」

  闇に溶け込みそうな黒いスポーツタイプの自動車が前方に停まっている。まだあまり乗った様子のない全体に丸みを帯びた新車に見えた。その道の幅では横を通り抜けるのはいくらなんでも不可能だった。

  処置室では交通事故でかなり重篤な状態の患者がベッドにいて、救急隊員が応急手当をしていた。

  「見てのとおりだ。しかたない、回り道するぞ」

  「急げ。出血がひどい!」

  救急患者が乗っているにもかかわらず、周りは他人事のように木がさらさら揺れたり、どこまでも突き抜けていきそうな空がサイレン音を吸収するだけだった。

  救急隊員が力なく頭を垂れた。ちょうど救急車が角を曲がり、病院に到着するところだった。

  彼はポケットからライターのようなものを取り出した。自動車のキーだった。今ではゲームセンターでなくても日常的に聞くようになったある種妙な音を一瞬たててハザードランプが点滅し、乗り込んだ彼は夜気に染み入る鋭いエンジン音を鳴らすと、その駐車禁止の区域から乱暴に出ていった。

  道を抜けると、スポーツタイプは急にエンジンが止まった。

  「あれ?」

  もう一度エンジンをかけようとした彼はバックミラーを見るなり動かなくなった。何かの影みたいなものを見たように思ったからだった。彼は素早く後ろを振り向いた。何もなかった。彼が首を前に戻すと、坂道でもないのに自動車がゆっくり前へ動いている。サイドブレーキはかかっていた。自動車は動いている。彼はブレーキペダルを踏んだ。バックミラーに自動車を押す赤く染まった人の姿が見えた。彼はまた後ろを振り向いた。何もなかった。彼は外に出て自動車の後ろへ回った。やはり何もなかったが、気配を感じた彼はゆっくり振り向いた。腹部を紫色に染め、顔に青い液体の筋を作った青白い男の姿があった。男は両手を前に伸ばし、微笑んで彼を見ていた。

  「うわあっ!」

  彼は自動車に駆け込み、慌ててエンジンをかけて走らせた。バックミラーに男の体が映った。彼は振り向いた。その姿は消えないで残っている。

  彼は自宅のガレージに飛び込んだ。そのときにはバックミラーの男の姿は消えていた。振り向いてみても消えていた。彼はふうっと2度息をはくと外に出た。やはり男はいなかった。

  彼は玄関ドアの前に立った。ポケットの中のカギを探った。しかし、いつまでたってもみつからず、彼は眉をひそめた。ドアノブがひとりでに動きだし、ドアが開き始めた。完全に開く前に、ドアを開けた者がそこに立っているのがわかった。青白い男の姿があった。彼は身を引っ込めた。男の姿はなくなり、辺りはまた闇に戻った。

  彼はガレージのスポーツタイプに舞い戻り、走り出した。スポーツタイプは発狂していた。運転席に向こうからライトが差し込まれ、クラクションといっしょにわきにそれていった。

  「はい、火事ですか?  救急ですか?」

  「救急車をお願いします!」

  「はい、そのエリアは今ちょうど出動したので、ほかから出動するため少々時間がかかりますが……」

(了)