これまでのお引っ越し回数は約8回。(実家除く) ひぇ~。

[実家、香港1 香港2 香港3 蘇州 蘇州2 実家 町田 埼玉 23区(現在に至る)]


家賃が高いのは、やっぱり香港。


それでもSARSの時期だったので、普段(今現在マーケット価格)の半額くらいのお値段で借りられてたのになあ(5800HKD*¥15/1HKD=87,000円くらい、香港島で見晴らしの良いお部屋、2LDKでした)

今だと180,000円とかするわけ・・・(汗)


今より少し素敵な場所に、贅沢ながら住んだとしても、ここは賃貸。せいぜい2万~10万の間で

落ち着くのかなと。

なのであれば、賃貸を楽しみたいなあ、とまたもや、引っ越しを考えてしまった。


漂流記のような自分だなあと思う。








最近のテーマでもあるのだけどこどもの頃のトラウマと向き合うこと。

人には人の物語があり、それぞれに向き合うことやテーマがあるのだなと考えさせられる。


現在では飲み友達(昔の職場の上司)の女性。

前からちょっとばかし気になっていた。


旦那さんは、何もやらないんだ。「何もできない子になっちゃったのよー。私がさきに天国にいくから、その次の日にいきなさいね。」と言ってるの。 朝は5時に起きて、ヨガと掃除、朝ごはんの用意が終わると、旦那様を起しに行く。朝食後、コーヒー、ヨーグルトまで出し、旦那様をシャワーに促す。 彼の脱ぎ捨てたパジャマ、シーツ、枕カバーを洗濯。 8時半、送り出したあと、洗濯物を干して、2駅歩いてオフィスへ、ここも一番乗り。

夜は帰りの遅い彼を待って食事を一緒にとり、録画をしていた「銭形平次」をいっしょにみる。寝るのは2時。

疲れているのに眠れない、2時間寝られればいいほう。。。と。


そんな毎日を8年続けた、といってた。


震災の際、ちょっと関西に帰ってたとき、飲み仲間のオッサン(というあだ名のおっさん)に 「ねえ、子供いてよかった?」って聞いていた。「わたしたち、夫婦でそういう話できないの、だめな夫婦なのよ」と。

そのときの彼女は、もう何ていうか覇気がないというか、疲れてる様子だった。


彼女が何も手抜きせずにしてしまう理由は、前に聞いたことがあるけど、生育環境だといっていた。

「姉さんは大学まで行けるけどあんたは行かせられないからね」と「働け、金はいくらあっても邪魔にならないから」と、母はいつも言ってきかせたって。

だからその「内なる声」から逃げられないって言っていた。いくらやっても満足しないし達成感が味わえない、と。

でも「頑張らない自分」は許せないのだって。


そんな彼女にもらったカップでお茶を飲んだのが3日前。彼女のことをちょっと考えていたら、

今日おっさんから電話があった。


「おとといKチャン東京行ってたみたいだけど連絡会った?」って。

「ないけどぉ」というと、「なんか落ち込んでるみたいやから、また連絡したってよ。俺抜きでいいからさあ」

「うん。わかったー。ってか、最初からおっさん入れるつもりないしぃ、うそうそ~」なんて冗談いいながら

たまたまカップを手に取ったタイミングに彼女が来ていたことにぞくっとした。


ぞくっとしたのは実は今、まさに自分が向き合っている問題が八方塞がりな状態だともんもんとしてた瞬間だったから。 同じテーマの「こどものころのトラウマ。」


10年近くになるけど、わたしのテーマに向き合い始めたのは結婚して1年目あたりから。

あるきっかけで別れてしまったけど、もと旦那も今から思うと「過去・親」に支配されたACだったと思う。 

わたしたちは魅かれあった。間違いなくわたしは役割を見出した。彼はわたしに何を期待したんだろう。変化だろうな、と思うけど、結局、親の支配・遠隔操作(マニュピュレ-タ)に従うほかなくなってしまっていた。


離婚についてはまた別の機会に書いておこうと思う。


彼との結婚・離婚がきっかけで、自身の生育歴と抱えていた(忘れようと蓋をしていた)トラウマがどんどん溢れてきて、向き合うほかなくなったのだ。 


出会いには意味があるという。

彼には、申し訳ない気持ち半分、どうしてそんななの、と裏切られた気持ち半分。

でも、あちらの親に、疑問を感じる。

あなたたちじゃなかったら。彼は本当は頭のいい男なのに、どうして自立させないの?もう何年も親の都合に

巻き込ませて、これからもそうする気?共依存な義母は、こどもに依存されることで役割を得ていたの?と。

でも、それは、彼が乗り越えるべきことだった。 結婚をして、変わりたかったはずの彼だったのに。

それを何とか見守って、育てようとしたわたしは、まるで、同じく役割を見出したのだ。共依存ぎみ。

昔の母の役割、昔の家の中での「調整役」だったわたしの役割から逃げられていない。繰り返す「くせ」。


そんなわたしは大きな傷だったはずのある出来事に「蓋」をして、「納得させて」生きてきて、また同じことを繰り返し、あの鬼のような義父、優しそうな仮面をかぶった意地悪な義母にさんざん馬鹿にされたわたしの親を見てまた悔しい気持ちをした。 でも、本当は、、、馬鹿にさせたのはわたしかもしれない。そうやって親に仕返しをしたのかもしれない。


癒されないかぎり、同じことは繰り返す。そう悟った。
















友達への報告。

去年末あたりからプライベートでの出来事を報告するようになった。


あまりいい話ではないし、応援してくれた皆に気持ちの整理ができないまま、感情的に話をすることだけは避けたかったので、半年くらいたってからの報告となってしまった。


わたしは半年前まで結婚していた。(厳密には8ヶ月ちょうど前まで)

今、一人になる決断をして本当によかったと心から思う。


親に人生を支配された子供というのは本当に生き苦しい。

義父母は過干渉で、嘘つきで、全ては体裁を大事にする人たちだった。


「小さい時どんな子だったの?」って聞いたことがある。


「家の中で恋の話はタブーだった。」

「卒後式を味わったことがない いつも転校生で」

「M(わたし)のように幼なじみとか仲間とかがいなかったんだ」

「おやじが一番の家だった。『社会は身近な家庭から学べ』と教えられた」


離婚が決まっていろいろ思い出す。


最後の荷物出しの日、汗だくで荷物を運ぶ、うちの父と母。

息子はマスクをして、手伝いもしなかった。

「お熱はさがったの~?」とにゃんにゃんの義母は監視役。義父はテレビみてた。



「おやじは、働く女は「生意気」だと。「生意気な女は許さん」と言う人だった」、ときいたことがある。

義母は専業主婦。


人間らしくない感じがした。


わたしは比較的普通のおうちに生まれたと思う。

だってわたしは自立してる。

友人に恵まれてる。

『社会は身近な家庭から学べ』なんて、言われなくてよかった。「父は父。母は母。MはM。M代はM代。みんな

が個人を思いやって尊重するもの」って言われたけど。



新しい自分への道を生きていくための大切な決断だったと思う。


新しい年を越えたので、前向きに楽しいことだけをブログにしようと思ったけど

少しだけ、自己嫌悪に陥らない程度に、振り返って整理してみた。


本を読みあさり、メンタルメンテナンスに通い、何度も怒りと悲しみと絶望感と

また喜びと興奮と未来への期待と、現実の辛さに気持ちが変化する中で

少しは成長したのではないかと思う。


「なにはともあれ。Mちゃんが幸せなら、それでよかった」って。

そう言ってくれる友達がたくさんいて わたしは幸せです。(^-^)/


本当に変な家から脱出できてよかったー。