3.11 あの日を忘れはしない・・・。
幼稚園にいた私は、ちょうど保護者の方が開いてくれていた謝恩会に出席していた。午前保育だったため、ほとんどの子供たちは帰宅していた。働いている保護者の子どもたちだけ、預かっていた。
午後2時46分 突然緊急速報なり、大きな地鳴りがはじまった。その直後ホールにいた私たちを大きな揺れが襲った。 突然の大きな揺れにみんなが硬直したのを覚えている。真っ先に心配になったのは別の部屋にいた子どもたち・・・。ホールを出て園庭を上靴のまま走って教室へ。子どもたちは泣いて机の下に身を縮めていた。私自身、恐怖心からただただ子どもを抱いて守ることしかできなかった。まったく動けなかった・・・。
泣いて恐がる子どもたち。謝恩会も中断し、保護者の方々は家に置いてきた家族に連絡をとる。私も、一人暮らしをしている祖母や仕事をしている両親の様子も気になったが、そこにいる子どもたちに声をかけながら自分自身を冷静にさせようとしていた。
何か情報がないか・・・
ケータイのワンセグで情報を集める・・・ここのいわき市は震度6と知り今までにない恐怖心が襲った。さらに津波警報がでていたが、浜の方がどうなってるのかもわからなかった。
その間も大きな余震が幾度となく襲う。そのたびに体が勝手にあの揺れがくるのではないかと反応してしまう。
しばらくして祖母や両親に電話をしたが、すでに連絡が取れない状況になっていた。
不安を抱えながらもここにいる子どもたちの保護者が迎えに来るまでは幼稚園で待機することになった。
このころ津波が襲っているとはしらず・・・
保護者との連絡もとれず、園にいる子どもたちの不安も少なくできるように、いつもと変わらない保育を続けた。そんな中、一人の子どもの両親が津波によって連絡がつかなかった。仕事場が海の目の前の職場だった。
結局その日は幼稚園に連絡がなく、その子は園で預かった。さらに、同じ学園の幼稚園が津波で流されたと・・・。本当に言葉では言い表せない瞬間だった。
私が一度家に帰れたのは夜の10時くらい・・・家に帰ると変わり果てた姿に絶句jだった。 しかし、そこには祖母・両親がいた。「よかった・・・」その想いだけだった。
当時(平成23年3月11日)の私の部屋の写真と現在(平成24年3月11日)の写真・・・
あの日は一生忘れられない1日となった・・・。
その後の日々の記録は手帳に書いた。
次のブログへ続く・・・。