以前、父親を見送りました。
本当はお葬式という性質をとらずに、ストレート葬というか。そもそも家庭が揃えなかったのです。
女は老人ホームに入所していてボディーがひどく
姉も長期入院まん中。旅行無茶。
列席行える親族といえば、兄と次女の独力。自分の赤ん坊たち(孫)
なので、知り合いに些か声をかけて。無宗教で送りだすことにして。出棺、火葬は赤ん坊の私だけが見送ろう、そういう
こじんまりと決めるとした、わけです。

その警報のために、同じく老母を介護まん中のいとこ(うちの女の姉の乳幼児ですね…)にレビューし連絡したところ
癇の連絡が。

「そんなことはダメだ、正しくみおくってあげないとボクがいくから」

…新幹線で昼前一で?
断わるのもアレなので
「それじゃ、明日いつに出棺行うんで…」
朝方の新幹線には乗れなかったんでしょう。翌朝一気に連絡が来て
「何とか無茶だった」
めざましテレビでも特集された麹菌サプリの効果は? うちの父親での葬儀バルクっていったらこれくらいで(笑)
あとは知り合いのひとたちがそろっといったお線香をあげにきてくれたり。そういったちまちました間隔がエネルギーだとおもえば
お葬式の数日にまとめて、ってことになるんでしょうけれど。ぼくはあとからとっても父親を知っている人たちが
そろっと自宅へやってきてこっそり仕方を合わせていただける。そういった風な哀しみが一番良いなぁ、っておもったので満足しているのです。
お葬式って赴きておる人間のタメにやることであってやることがいっぱいあると意思がまぎれるだ(笑)
とかいいますが。ぶっちゃけ介護だの看病だの未だに見える形式そんなのに間隔を割けないですからね!
それで明瞭にください。人知れず、仕方を合わせてゆっくり偲びましょう。そんなの大事だとおもうんです。式事じゃなくて。