自傷行為を長年している。

手首ではないがネットで検索すると同じ苦しみを持つ人がいて少し安心するなか「あなたも…」という感情になる。

不思議なもので自分がしている時はもう痛みすらないが、他人の写真など見ると痛くなるのだ。
かれこれこの行為は私が小学校高学年頃からやりだしたはずだ。もう20数年経つのか…
とても含みを持った言い方で自分的に嫌だがストレートに書くと知人にばれるおそれがあるため、どこを自傷しているかは書かない。


そもそも何で始まったのか明確にも覚えておらず、世間の自傷している人が言う「生きている証拠探し」なワケでもなく、
歪んでいるが眉毛を毛抜きで抜くのと同じ感覚の「手入れ」のような感覚なのだ。


不安があると、ズボズボと血が出るまで…
その時は赤い血が出て血を見て安らぐが、次の日は口臭に悩まされる。
出血した口内だ、多分歯周病クラスの口臭になっているのかもしれない。


人と話すのが怖い、臭くないかと気が気ではなく電車内など唾が飲めない…
人に鼻や口をさりげなく塞がれたり顔の角度を変わられたり咳払いされると、いつも思うこと「臭い人間でごめんなさい」「こんな人間でごめんなさい」「隣になった人、あなたに罪はないのに迷惑をごめんなさい」と罪の意識にかられたり、いきなりぶち切られて「お前くせーんだよ!」と罵られるイメージをしてしまう。

知人と話しても心から楽しく会話などしておらず「居ないところで『あの人口臭くて関わりたくない』とか思われてるだろうか」なんて思っていたりする。


また歯磨き舌磨きした口なら最初こそ意気揚々と話したいが30分、1時間と過ぎると次第に化けの皮が剥がれる口内環境。
知人との長期戦は地獄である。

こんな思いをしているのに、自分でも嫌なのにボーっとしていると指が勝手に動く。
1回切ったら最後、「明日の事なんて知らない」というモードになる。

脳内麻薬に近いのだろう…
煙草は止められた。これも苦しかったが自傷を止めるにはこの比ではない。

きっと心療内科や、精神科行きなんだろう。誰か人に入ってもらわなければ自力では止めることは無理だろう。

根深いものだ。
私はこの自傷で血液の中に色んな菌が潜んでいるのでは…と考える。健康には絶対に良くないことだ。きっと長生きは出来ない。医者が見たら全力で止めるだろう。
だが、ストレスは減るのだ。
少しは心のつかえがとれるようだ。
スカッとするのだ。

不幸中の幸いと言うならいつも傷が浅いところで止めれることだ。中には大穴を開けてしまう見ていてなんとも痛い、辛い人もいる。

こんな人間でも明日が来てちゃんと生き抜かないとならない。

ここまで読んだ人は私のイメージをいかに根暗で1日中ベッドから出ないような人間だと思うだろうが現実では色々な付き合いもあり、毎日程よく忙しい。

GLAYの曲にあるフレーズだが
「生きることは辛いな」って。
辛いことだけじゃなく嬉しいことや心の癒しや平和もあるが、辛い・不安のほうが多い。

道路を歩いているあの綺麗な人も悩みがあるのか…なんてことを考えてしまう。

人生を生き抜いてきた貫禄あるあのおじさんも山あり谷ありだったのかなんて考えてしまう。

人間は心までは見れないから面倒なものだ。本心がわかれば付き合い方もわかるのに。

人間は1人では生きられない

でも寄れば除け者にされそう

明るくて活発で清潔な人がフツウに暮らす権利を持っており主導権を握っている。

被害妄想かな…


汚い表現、長くわかりにくい文章を最後まで読んでくれた優しい人に感謝致します。