ジェラシー マラウイ記29 | ぴぎのOptimistic Life

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アメリカ移住直前で妊娠。
異国の地で初めての出産・子育てに臨むと同時に応用行動分析士を目指しています。学生ママとしてキャリアと子育ての両立や応用行動分析学について綴っていきます。

時には嫉妬も大事だと思います。

人が何かを頑張ったり、自分を磨こうと努力する原動力になると思うから。

先週から、計算競争とノート比べの表を教室に貼りました。

毎回授業の最初に行う5問の基礎計算問題で1番になった子のところにその日の日付を入れていき、その月に誰がたくさん1番を取れるかと競わせるもの。

そして、ノートはきれいなノートを定期的にコピーし、貼り出し、他の生徒にお手本にしてもらうためのもの。

コピーされたノートの持ち主は自分のところに日付を入れてもらえて、誰がきれいなノートを作れるかを競わせる。

どちらも

努力している子をきちんと評価してあげたい!!

という想いと、

勉強が苦手な子・やる気の出ない子を励ましたいDASH!

という想いから始めました。

計算競争は正負の足し算引き算や分数の計算など誰でも努力次第で1番になれる内容です。

ノートも勉強が得意苦手問わず、やる気次第で頑張れると思っています。

けれど、悲しいことに先週だけで2度その表が紛失する事件が発生しましたしょぼん

さすがに2度目の今回は、夜間の授業が始まる前に昼間と夜間の生徒合同で話し合いの時間を持たせました。

" どうしたら、2度とこんなことが起こらないか。"

けれど、彼らから出てくる意見は

"どうせまた起きるからもう貼るのを止めて先生(私)が個人的に管理する。"

というものだけ。

以前、学校のコンパス・定規のセットの中身を生徒が盗むということが何件か発生したときも、

"どうせまた誰か盗むから、もう僕たちに貸すべきではない。"

とコンパスや定規を自分で持っている子たちは言い出しましたダウン

何か問題が起きたとき、

どうしたら次問題を起こさないように出来るか

を考えるのではなく

問題が起きるから全てやめよう

となってしまう生徒たちあせる

お互い協力して頑張ろう

ではなく

僕(私)は大丈夫だけど、他はわからないからクラスを信じるな

という生徒たちあせる

友達を信頼できない。

友達の信頼に応えようとできない。

とても悲しいですしょぼん

そして、今回

「表を見てジェラシーを感じる人がいるから、だからそんな人が表を取ってしまうんだ。」

という意見に多くの生徒が賛同していました。

だから教室に貼らない方がいい、と。

私は、ジェラシーを感じ、自分も名前が載りたくて頑張る子が1人でもいれば良いなと思っています。

それがこの表を貼ることにした狙いでもあります。

悔しいから勉強を頑張る、それも必要だと思います。

今回は全く話し合いにならなかったので

教室に貼ってなくなるなら、職員室前の掲示板に貼る!!

と私が勝手に決定してその場は終えました。

けれどクラスの多くの子(全員ではないけど)がいやだと思っているとしたら、無理に続ける必要があるのか、むしろ止めるべきなのか、悩みます。。。

校長は、私と同じ意見でジェラシーは必要だと考えています。だから、それを理由に貼るのを止めるのはNOだと言ってくれました。

けれど、どちらが正しいのでしょうか。