ひとりの・・・たったひとりの
大切な人が旅立ってゆかれました
その人に、縁あって 関わってきた私たちは
安らかな旅立ちを願い
残される家族の皆さんのことを想います
ご縁を ありがとうございました
ご冥福をお祈りします。
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どの事業者も、だれしもが
真剣に
精いっぱい
関わってきたつもり
・・・でしょう
残されたご家族には、
どんな慰めの言葉や
お悔やみの言葉を述べても
ご家族の心の中には、
悔いがない
ということはなく、さらに、
辛い気持ち
悲しい気持ち
が、折り重なってくると思います。
私たちは、
ご家族とは 違います
悲しい気持ちは いっぱいあります
けれど。
あのときのこの対処は どうであったか
この関わり方は どうだったのか
などなど
悲しみの中、
自分自身
そうした客観的な振り返りを
冷静に?
してゆきます
殆どが、悲しい気持ち以上に
自分への憤りや
やるせなさが充満してしまい
未熟な自分は、感情を押さえることができないでいます。
他者を責めてはいけない
自分を責めてはいけない
自分を責めることは、他者を責めることにもなる
とも、言いますが、
責めるつもりはなく、ちゃんと、振り返りしましょうよ
と、言いたい
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担当のケアマネさんと連絡をとる
お見送りしたその時に
関わった介護事業者同士
顔を合わせれば、
お互いの労をねぎらう
ねぎらい合っての言葉が
「よかったですね」
何が?
何が良かったというのだろう
それが、ケアチームの解散の挨拶になっているのか?
そんな心の葛藤をよそに、
「そうですね。」
と、共感の言葉をつらつら述べる自分
なんで、言えない?
「ホントに、良かったのですか?」
「家族は良かったかもしれません・・・
そうお伝えしていいと思います。
でも、ご本人は、どうだったんでしょうか?」
なんで、言えないのか。
言わないで あとで、イライラしてる方が
どうかと思うよ。まったく。
・・・・今、わかった
私は、その担当ケアマネの
「よかったですね」
の言葉を聞いた瞬間から
同じ事業者として、みれなくなってしまったんだ
そんな風に
勝手に、距離を 壁を作ったのは、自分自身だった
その時に
「なんで、いいんですか?」
って、言えば良かったんだ
たった、それだけのことなんだ
わかった!
明日、ケアマネに電話して、カンファレンスの提案をしよう
最後のカンファレンスをするべきだ。
お見送りしたら・・・
それまであれこれ、み~んな、
全ての出来事が
必然で、
「良かった」「良かった」で
結んではいけないんだ。
私たちは、ケアチームなんだから