berdoa untuk Jepang | ジャカルタ駐在アラサー男子

ジャカルタ駐在アラサー男子

2011年6月末で会社を辞めて、2011年7月中旬より、インドネシアのジャカルタの会社に就職することとなりました。さらに2012年8月に結婚、新婚生活を始めました。

昨日は、3.11ということで、私も少し離れた場所からでしたがジャカルタ時間の12時46分に、少しだけ祈りを捧げました。

思い返せば、この時間地震の少し前に今のインドネシアな話を戴き、お話を伺ったんです。

そして、この地震の対応をきっかけに、前の会社への愛想が尽きて、転職活動を加速させたのです。

原発が爆発するなか、仙台まで支援物資を届けに行ったり、輪番停電で電気が止まるのか止まらないのかと毎日やきもきしたり。。

カオスでしたね、思い出すのも嫌になる日々でした。

てか、あまりにもいろいろあり過ぎて思い出そうにも思い出せなかったり。

1年、少しだけでも前に進んでいますでしょうか?

仙台からの帰り道、人の気配のなかった福島県内の国道4号線沿いに人は戻ってますでしょうか?

こちらのニュースでも、今でも時折石巻や福島という単語を耳にします。

一刻も早い富国復活と、二度と原発の惨禍が起こらないことを心からお祈り致します。



さて、昨日のお昼ご飯でも載せましょうか。
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お祈りの後、ブロックMのたいちゃんにて友人と。

和風な定食メニューながら6万ルピア程度。但し、ビールやらサービス料やらが加算されて、最終的には150万ルピアでお釣りもらったような感じになりました。


普通の日本食を普通に戴けて、真っ昼間からビールを飲める生活に、感謝。


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