それからしばらくは顔見知りの犬飼いさんたちから、会うたびにたっちゃんのことを尋ねられた。私はその度にたっちゃんの死を説明したが、どの人も優しく労わってくれた。私がたっちゃんと散歩するようになって十一年余り、そのころから知り合った人たちの飼い犬も同じように高齢化していた。どの子もまだ元気だけれど、やはり老化の様子は出ているようだった。
たっちゃんを見てもらっていた動物病院へも、お世話になったお礼も兼ね、簡単に死亡の報告を手紙に書いて送っておいた。すると、丁寧な弔問の返事が送られてきた。たっちゃんの通院中も死んだ後も、人間と同じように扱ってくれたK獣医師やスタッフの方たちの動物を大切にする態度に、たっちゃんを喪った悲しみが癒されるような気がした。
動物を飼うことは楽しいことで、犬、猫、小動物を手に入れてその様子を見ていると心が和むものだ。けれども世話をしなければいけないし、怪我や病気をすれば手当てが必要になる。それに動物には感情がある。飼い主が愛しいと思って世話をすれば動物は喜ぶし、面倒だと思ったり、ぞんざいに扱えばすねたり怒ったりする。そういう自分の都合や考え通りにいかない時も、一つの命として大切にできなければいけない。
そして、たっちゃんを最後まで飼って思ったこと。犬はあまりに人と気持ちが通じ合ってしまうので、その存在が無くなると喪失感も大きい。猫など人に懐く動物はどれも同じかもしれない。そんな気持ちを言ってしまうと、他人には「ペットロス」と言われるだろう。ただ単に可愛がっていた対象を喪って悲しいね、また飼えばいいのでは、と思われるだけだ。私もまた生活に時間などの余裕ができれば、他の犬か猫を飼いたくなるかもしれない。それでも、たっちゃんは他に代えられないかけがえのない存在だったのだ。
私がたった一匹との十一年余りの生活を物語にしたのは、たっちゃんが最後の時、声も出ないのに口を開けて私に返事をしてくれたからだった。私もこれから年月が経って年を取れば、たっちゃんとの日々の細かいことを忘れてしまうかもしれない。でも、この物語を自分が読めば、また思い出すことができるだろう。 完
