大学1年生が1年間オンライン授業を通じて考えたこと
はじめまして。
いきなりですけど僕が去年大学に進学を決めてから1年が経とうとしています。
時というものは残酷です。1週間前は遠い昔の出来事にもかかわらず、1年前は昨日と思うくらいに曖昧で近い出来事に感じます。
この大学1年間はそれが顕著に現れた年でもありました。
キャンパスライフ、サークル、友達、恋愛...etc
僕が憧れたステレオタイプな大学生活は全てコロナに奪われました。
僕は本が好きなので、うちの大学の立派と評判の図書館に行くことを楽しみにしていたのですが、それすらも許してはもらえませんでした。
このようにこの1年は一見曖昧で昨日のように思い出せてしまう薄っぺらい1年だったともいえます。
貴重な大学生活の4分の1がパソコンとの対話で終わるとはなんともひもじい青春ですよね。
しかし、この1年が虚無なものであったとは思いません。
コロナは理想の僕を奪った一方でその一般観念を覆すことを教えてくれたからです。
例えば、授業。
授業といえば先生、教授とface-to-faceで行うべきもの、むしろそうあるべきと考えてました。
最近は予備校などでもオンライン授業などもあるそうですが、基本はオンデマンド。録画したものを見るだけです。
グループワークやディスカッションなどの授業をオンラインで行えるものかという偏見が僕をオンラインに対して反抗的にさせていました。
しかし、やってみれば存外うまくいくものです。
オンラインで双方向関わり合う。これは僕が大学生になって初めて知れた新しい常識です。
オンラインの双方向。それを知れた僕は去年、オンラインを通じて、世界中の人が参加可能な相互イベントを開催しました。
そんなうまくもいかないもので集まった人は数えられる程度でしたが、外人の方も数人集まってくださり、形としては完成したイベントではあったと思われます。
この経験はコロナの時代でなかったら実現し得なかったことでしょう。
これはただの一例ですが、僕にとってこの1年は普通では経験し得なかったことを経験できた年でもあったと思います。
先輩や親は口を揃えて今年の一年は可哀想といいます。(その同情が可哀想を強く意識させることは知らずに、、)
意見は色々ありますが、僕はそうは思いません。
確かに僕らは普通の大学生活を奪われた存在です。しかし、一方で普通じゃない大学生活を享受できた存在です。
先にも後にもおそらくいない、オンリーワンな存在なのです。
コロナだから出来なかったことと同じくらいコロナだから出来たことは存在します。縛られた生活の中にも人生を抜け道は無数に広がっていると思います。
そうやって前向きに生きていきたいですね。
最後に僕の好きなチャップリンの名言を紹介します。
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
<人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。>
今の時代は人類にとってまさに悲劇かも知れません。でもこの先、それを踏み越えていけることを願っています。