本日も体調良く、無事抗がん剤(アバタキ)投与してきました
でも腫瘍マーカーが100から220に上がってしまったので、来月にはお薬を変更しなくてはなりません
次に使うお薬はどこを主眼に治療するのか考えて選ぶため、相手の癌細胞を見極める必要があります。
基本的に私はルミナールBタイプですが、
アバタキがこんなに早く効かなくなる(半年経たず)ことを含めて考えると、
私の癌タイプはルミナールBタイプから変わっている可能性があるとドクターは推測したのです。
そこでまず血液検査でHER2 の受容性を調べます。
そのあと来週CTを撮ってどこが増悪しているのかを確認します。
これである程度特定できる場合もありますが、それでもわからない場合は肝生検をして、癌タイプを見極め、次のお薬を決定します。
随分と慎重ですが、逆に言うと、そこまで進行してしまったのです。
主治医から聞かれたのは、「ここから先の治療は先々のことを考えないとならなくてね。これから先、実家で治療したいとかは考えている?」と聞かれました。
この先々の治療とは、終末期のことを意味しているのだろうと察知しました。ですから、
「それについては私も何度も考えましたが、身体が動く限りは先生の元で、動かなくなったら在宅医療あるいは東京の緩和ケア病棟にお世話になるつもりです」
とお答えしました。
主治医は穏やかに「実家の方での治療となったらいろいろ手続きも大変だからね」と、フォローするかのように答えられましたけど、
要は、終末期医療の入り口に立ったのだと思います(そこ、来週ズバリ聞いてみます)。
ショックなのは、
社会復帰したばかりのこのタイミングで
ということです。
一瞬、復職やめて退職にしてしまおうかとも考えました。
退職にすれば1年以上失業保険貰えますし、このまま退職してしまったほうが昔の給料での算定なので高い金額で貰えます。
(安い給料で働き出したあとで失業保険をもらっても雀の涙ぐらいにしかなりません)
でも、社会復帰することは私の夢だったはず。
見えない先のことを怖がって何もしない生活を選んでは、夢は夢のままで終わってしまう。
この先、大変かもしれない。
でも、再び社会に出て、私が社会に還元できることをやっていきたい。あと2年でいい。収入を得て暮らしていきたい。
青臭いコト言ってますけど、今はそう思う。
来週になると、もう少し詳しくいろいろわかってきます。
そしたらまた報告させていただきますね