「ステージ4かぁ、ステージ4…」
2017年春。
乳がん肺転移の生存率を少しは気にしながらも、忙しく働く日常は続いていた。
2016年末に肺転移が発覚しても、ホルモン剤を閉経後のアリミデックス(レトロゾール)に変えるだけで胸水貯溜はおさまり(プラス、リュープリンの注射)、順調に働き続けられていた。
ただその後、腫瘍マーカーが上がり始め、主治医は薬をレトロゾールと、エンドキサンという経口抗がん剤に変更。
エンドキサンで腫瘍マーカーのCEAは下がったものの、CA15-3のほうはゆっくりゆっくり上昇を続けていた。
秋に入ってもCA15-3は上がり続けたため、薬をフェソロデックス、ユーエフティ、レトロゾールに変更。
それでも腫瘍マーカーは上がり続け、
12月下旬から、新薬イブランスを服用することになった。
CDK4/6阻害薬という、抗がん剤ではない分子標的薬に大いなる期待を寄せた。
けれどこの薬の副作用は、白血球などの血液細胞を叩いてしまうことだ。作用は人によって様々だが、私は白血球数が1500なんてえらく低くなる日もあり、副作用が強く出た。
継続するために減薬もしたけれど、
そうこうしてるうちに
2018年4月。
肝臓と背中に痛みを感じるようになり、
CTを撮ると肝臓転移が見つかった。
肝臓に転移した癌はゴルフボール大にまで
なっていた。
薬をアロマシン(アロマターゼ阻害薬)と
アフィニトール(分子標的薬)に変更。
効果は見られず、肝臓の腫瘍はさらに肥大。画像上、半分くらいがやられていた。
その頃から体重が減り続け、疲れやすくなり、体力がなくなり、
働くことがしんどくなっていた。
肝臓は痛い、体は重い、背中は痛い。
生活すること、生きることが辛くなった。
「こんなに辛いなら、もう頑張らなくていい」。そう思う一方で、一度働くことを辞めてしまったら戻れなくなる……その狭間で悩みながら働き続けた。
主治医からトラマール(オピオイド系鎮痛剤)を処方してもらったが、痛みはほとんど軽減されなかった。
5月に入って肝臓のビリビリは強くなり、癌性疼痛による背中の痛みは、2時間の映画を座って観ることができないほど痛み出した。
もうしんどくて「生きるってこんなに辛いことなの!」と感じて、休職を決めた。
その時のことを書いた記事
☟
そして6月。休職をして、薬はハラヴェンという抗がん剤に変更した。
転移が発覚してからも、1年半働き続けたことになる。
良い状態が続いていれば、もっと続けていられただろうけれど。
それでも、「転移しても普通に働いて暮らしていけるよ」というメッセージは私からも
発信出来る。
癌になっても、多くの人は完治が望める。
誰もがすぐ末期になる訳ではない。
転移したって普通に暮らしていける。
大切なのは、このメッセージだ。
生存率を気にするよりも、今ここにある当たり前のシアワセを感じて生きたいと思う。