本書は、世の中の知識社会化・リベラル化・グローバル化による社会の分断を描き出しています。


私自身の備忘録として記載するので、興味のない方は、ここでバイナラバイバイでオッケーです🙆‍♀️


この本では植民地獲得に乗り出した時代を「前期近代」と位置付けています。で、二度の大戦の「戦争の世紀」が終わると、国家の存在意義は領土の拡大から「経済成長=国民の豊かさ」へと変わっていきます。

これが「後期近代」の始まりで、福祉国家が誕生します。

ここでゆたかさを背景に価値観の大きな転換が起こるのです。

それを一言で言うなら「私の人生は私が自由に選択する」、すなわち「自己実現」です。


これが「平等」と結びつきます。

何故そうなるかは「私が自由に生きているのだから、私の利益を侵さないかぎり、あなたも同じように生きる権利がある」と考えるようになるからです。

もっと言えば「あなたの勝手にすればいいでしょう」的な社会。


こうしたリベラルな社会の本質は、実は能力主義であるということ。

「誰もが自己実現できるリベラルの理想世界は、究極の自己責任の世界なのです。」

社会がリベラルになるほど、何歳になっても働いて納税するなど「生涯にわたって社会に参画し続けなければならない社会」でもあるのだ。と。


加えて「自由意志」で選択した個人の中から多くの「負け組」が出ることは避けられず、

「ポイ捨てされる人間」が出てくる。ことも。


こうして「上級/下級」を分断させる後期近代の光と影は、これからますますくっきりと見えてくる。ということが警告されます。

世界が「全体として」ゆかたになった代償として、先進国の中間層が崩壊したのです。


上級国民になんてなれない私は、中間層にぶら下がっていたいけどなぁニコ

でもこのままでは下級国民だわショボーン


本書では男社会の厳しい現実も描き出します。

「モテ」と「非モテ」の分断   という章。

「モテ」は「モテる」であり、「持てる」でもある現実をデータを引用しながら説明。

ルサンチマン(怨嗟・えんさ)を生んでいる現実が露わになります。

今や男社会って女社会よりシビアだわ、

男って大変だなぁ、と思った本でした📕