昨日のブログで伝えた我が主治医の話。
「我が主治医は理系の天才で、何気にアバウトで、でもアバウトさの背後には意図的なものがあるようだ。自信もあるから、患者を不安にさせるようなボールは投げず、敢えて知らん顔して何も言わない」と。
主治医が施した治療判断の大胆さと正しさは、自分自身の体験でも知ってるし、
同じ主治医のもと手術をした患者同士の話からもそれを確信している。
その天才的手腕には一目置くし、人望もある。
でも、長い付き合いの中では良い関係の時ばかりではない。
だから、時に不満を持つことだってあった。
患者の会で知り合った主治医が一緒のがん友は、「すごくいい先生なんだけど、言葉足りないよね〜」なんて互いに言った日もあった。
実は、その友人が去年亡くなった。
その時のことだ。
私はお通夜に出席し、ご家族に会いに行った。
🧒「主治医が同じで親しくさせていただいてたなえちんです」
👧「姉から聞いております。お世話になりました。姉は、あの先生に看取ってもらって幸せでした」
🧒「主治医が、看取られた?」
👧「もう、最期だって時でしたけど、病室に駆けつけて、ずっと側にいてくれて。
『大丈夫だよ、大丈夫だよ。新しいお薬がもうすぐ使えるから。そしたらまた良くなるからね』って、ずっと励ましてくれていました。
最期の時まで先生に希望を持たせてもらっていた姉は、幸せだったと思います」
あの先生が、そんなふうに寄り添っていたなんて。
それはすごく意外だった。
もう逝ってしまう……、医師ならわかっているはずだ。
でも、最期の最期まで希望を照らし続けたんだ。
それが医師の役目だと言わんばかりに。
その話を聞いて以降、私は今の主治医と心中するつもりで治療を受けようと思った。
“悪いことは言葉に出さない”
そういう医師なんだ。
時にコミュニケーションの齟齬は生まれる。
けれど、それはどの医師であろうと起こることだろう。乳がんは、気の長い治療が必要な病気なのだ。
ましてや再発した自分は、抗がん剤治療等がエンドレスな状態なのだ。
主治医への信頼。
それが、彼女が最期に身をもって私に教えてくれた“ギフト”なのかもしれない。