先週、主治医に聞いた。
🧒「半年後に傷病手当金が切れます。年末年始目処で仕事復帰を考えたいのですが、復職できる見込みは?」
👨🏼⚕️「今は薬を変えたばかりのタイミングだし、何とも言えないね」
🧒「今週、休職中の会社の社長に会うんです。やはり復帰できるのかは社長も確認したいところだと思うんです」
👨🏼⚕️「不確かなことは言えないよ」
🧒「例えば家から駅まではタクシー🚕に乗って、電車は始発から始発にすれば必ず座れますし、時差出勤して週2〜3日くらいで松葉杖を必ず使って」
👨🏼⚕️「君は、見た目は元気そうに見えるけどさ…」
主治医はそこで言葉を止める。
いつも決定的なことは言葉にしない。
“元気そうに見えるけど、君の身体の中はそんな状態じゃないんだよ”ってことなんだ😱
強烈なショック……🤯
パクリタキセルしながら働いている人はいる。
私だって、肝転移してた時だって肺転移してた時だって働いていた。
私が働けない理由は、やっぱり骨転移か😓
中抜けしているほどカスカスになった大腿骨。相当骨折リスクが高いんだ😰
主治医は「在宅勤務は?」と聞いてくれたが、
今の会社で,在宅でできる仕事は小遣い稼ぎ程度。それなりの給料が払える仕事は在宅ではできない。
でも一人暮らしの私は、小遣い稼ぎ程度の仕事では生きていけないのだ。
🧒「周りを見ていて、ランマーク と抗がん剤治療で、半年くらいで社会復帰する人を見てきましたが、私には効いてないんですか?」
👨🏼⚕️「効いてないわけではないよ」
🧒「増殖を抑える程度には効いている、ということなんですね」
主治医は黙ったまま、頷くような仕草を見せた。
診察室を出て、オンコロジーセンターへ。
初のアバスチン&パクリタキセルだったので、看護師さんが優しく話しかけてくれる。
優しくされるともうダメだ💦
涙が堰を切ったようにあふれ出した😭
看護師さんは「何かあったのね」と言ってくれたので、
「スミマセン💦実わぁ…」と、診察室での話をした。
すると、聞いてくれた看護師さんは、
「今日の点滴は5時間もかかるし、就労支援をしてる看護師さんに、ここに来て話を聞いてもらうようにしようか」と提案してくれた✨✨
(がん拠点病院ではがん患者の就労支援相談なんかもやっています)
んんん? それは、なんとありがたい❣️
社長に会うとき「何の復帰の見込みも立たない」では「コイツもう使えないか…」と思われてしまう。
何か少しでも前向きな材料が見つかれば。
そんな思いで「是非お願いします!」と依頼した。
そして、就労支援をされてる看護師さんがベッドに来てくれて、診察室での話をしたあと、私は、もう一つ話を加えた。
🧒「タクシーと電車を使っての松葉杖での通勤でなく、介護タクシーと電車での車椅子通勤なら、復職可能かもしれません。
だって通院は介護タクシーでしているわけですから。
でもそれで通勤すると1日のタクシー代が五千円になって、お金がかかり過ぎて😣」
そんな話をしたら、看護師さんが
「障害者手帳申請しましょうか」と❗️
「障害者雇用であれば会社に助成金が出るのよ。確か交通費も」と🤭
なんと!その手があったか❗️
でも半年前、骨転移で緊急入院して退院する時に、ソーシャルワーカーさんに障害者手帳の話をしたことはあったが、その時は「治療中なので認定は降りない」と言われていた。
看護師さんはそこも確認してくださり、「大丈夫よ」と😀
「申請には整形外科の先生の診断書が必要になるから、整形の受診の手続きもするよう、私からあなたの主治医に申し伝えしていいですか」と言ってくれた。
なんと❤️段取りも素晴らしい‼️
なんでしょう⭐️この素晴らしき看護師さんたちの連携プレー🧡
泣いたカラスがもう笑った🥰ですよ!
🧒「ありがとうございます❗️光明が差しましたーー‼️」と笑顔で看護師さんたちと握手🤝
ここの看護師さんたち、すごいなぁ💛
彼女たちのおかげで、私は生きる希望を捨てずに済んだ。
だって、一人暮らしでは働かないと生きていけないので(ちゃんと蓄えてたり保険に入っていた方とかは大丈夫なのでしょうが、そうではないのでね)、
半年後には生きる=働くことになる。
もちろんどこまで身体が持つかわからないし、半年先なんて、医師の言う通り、私の身体はどうなってるかはわからない。
でも、生きることを前提として何とかサバイブしていかないと。
会社の社長との交渉にも、これで自信持って臨める💪
看護師さんたちのありがたいサポートに、
本当に感謝感謝感謝!です🌟🌟🌟