今日は18日に亡くなったおばあちゃんのお通夜です。
なんだか不思議なんだけど、
日が経つにつれて悲しみが増してきてます。
父親と病院に駆けつけて亡くなったおばあちゃんを見たときや、
20日の朝の火葬の時など、家族と居るときは泣かないように堪えてたけど、
今日と明日のお葬式はどうなるんだろう。
家族の前では地を出さない僕は、やっぱり、我慢の限界まで堪えるんだろうけど。
でも、そのぶん、僕がこの悲しみを出せる相手がいないのは、つらいなぁ、と思った。
こういうとき、未練とかそういうのじゃないけど、
前の彼女のことを思い出す。
僕が感情を我慢したり気を使ったりせずありのままに出せた人だったんだな、って。
ってね、それも別れの理由の一つなんだけどね。
と、まぁまぁ、それはさておき・・・。
そういうわけで、今日はおばあちゃんのお通夜なので「腹をくくる日」なのです。
実家に帰ってきてから今まで、極力、近所の人や、家族の知人、自分の友達には
僕自身のことをカムアウトしてきませんでした。
でも、今日は(火葬の時もそうだったんだけど)スーツを着て喪主の家族の一員の男として
たくさんの方々に挨拶をします。
隣組の人(近所の人)たちが来るので、きっと自然に僕の同級生にも伝わるんだろうなと思ってます。
火葬の時もそうだったんだけど、説明すべき人たちには両親が
「性同一性障害で名前も変えて手術もして男になって、これから生まれ変わって第二の人生を歩んでいくんだよ」
と話しています。
そして、父親は「なにも悪いことではないんだから、堂々としていればいいんだから」
と言ってくれています。
だから僕は、きっとこれは、
もっと堂々と生きなさい、
あなたが思ってるほど理解してくれる人、助けてくれる人はたくさんいるんだよ、
と、おばあちゃんが僕にわからせてくれる機会をくれているんだと思いました。
だから、僕は腹をくくって堂々として、おばあちゃんを見送ってちゃんとお別れをしたいと思っています。
追記として・・・、
18日におばあちゃんが亡くなってから、
(春だからってのもあるけど)もう5匹以上の車にひかれた動物をみたり、
昨日は国道の大事故を目撃して、ぺしゃんこになった車の運転席に挟まって救助隊に助け出されてる人を見たりしています。
生あるものは必ず死ぬのだということや、いつどこで五体満足でなくなる事故や事件に合うかわからない
ということを改めて感じています。
やりたいことをやれるときにやる。
単純なことだけど、とても大切なことなんじゃないかと思いました。
ただ・・・、欲望のおもむくままに生きてしまったらダメになってしまうこともあるのでコントロールが必要だし、
そしてそれが難しいところなのですが・・・。