旭川神社にある兵村記念館!

確か曾祖父が屯田兵として入植しているのを
思いだし、覗いてみました!

記念館を入って行くと、入り口に
旭川兵村宅地割一覧図が!

いた!
傳(つたえ)さん!
ここでは、簡単な伝になってました!



そして、こちらの本にも載ってました!
22歳で愛媛県から家族で来ていたんですね!




家はこんなんだったんだね…。
冬は寒かったろうに…。


当時の井戸や農作業に使った道具、消防車等
色々展示されていました!
それで、家に帰って来てから
確かひい祖父さんの書いたのが残ってたはず…。
と納戸を調べたらありました!


明治45年の山本家一代記
旭川神社の封筒に入ってました。

確かに兵村記念館で見た、家族と一致しました!
あとからたくさん兄弟が出来てたのね!

博物館行きの資料になるよね?!





中は、所々読めない箇所があるけれど、
何となくわかりました!













一代記は、ここで終了していました!
このあと、祖父がいた京城(現ソール)や故郷の宇和島等あちこちまわり、大正元年8月26日
68歳でなくなったそうです。

なんか凄いね!(他人事…。)

そして、負けじと祖父も書いていた!
こちらも読みごたえがあった!
これは、後程詳しく投稿したいと思います!
これを呼んだら、山本禎蔵さんのを分かりやすい字で、書いてくれていて、
入植した400戸中2名を覗いた全員が明治27年8月
日清戦争に従軍したので、
屯田兵だった傳さんのお父さんの禎蔵さんは
留守班長を命ぜられ、諸問委員を併任する。
明治27年4月から、
東旭川尋常高等小学校が新築され
この際、金十円を寄付したら内務省から
木盃一個授与された。

明治39年8月から、東旭川村村社建設の義が
行われ、
そこで禎蔵さんは他の3人と新築委員になり、
神社完成の、時には4人の名前を記録し
2寸板製の箱に納めて拝殿の天井の大梁に結束した。

完成後、氏子総代を3年勤めたそうです!

みんなで旭川神社を建てるのを協力しただけだと
思ったら、とんでもない関わりがあって、
メチャメチャびっくりした~!

自分のご先祖様の事を、知る事が出来て良かった!
まあ、私ももう少しでご先祖様の仲間入りに
なりそうだけどね~!