6.22
「夏至」をむかえて、この頃が一年で一番日が長いはずなんですが、昨日は一日中雨。そして今も雨。
朝になっても、カラリと晴れるということはなさそうです。
太陽さんにとっては、一年で一番元気なはずのこの時期なのに、そのお顔を拝見出来ないのが残念です。

梅雨入りしても、雨が降っても、たまの休日はどこかに出かけて
気分転換したいですよね!?
雨の日を楽しくしてくれるカラフルなアジサイを見に出かけましょう!
梅雨のジメジメ気分を和らげてくれるのは、雨の似合うアジサイ。
色とりどりのアジサイに癒されたり、温かみ溢れる笠間焼に触れたり…と、
楽しい“梅雨ドライブ”に出かけよう!


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
紫陽花 (あじさい)
(Hydrangea)
・雪の下(ゆきのした)科。
・学名 Hydrangea macrophylla form. macrophylla
(紫陽花)
Hydrangea macrophylla form. normalis
(萼(がく)紫陽花)
Hydrangea : アジサイ属
macrophylla : 大きな葉の
normalis : 通常の、正規の
Hydrangea(ハイドランジア)は、ギリシャ語の
「hydro(水)+ angeion(容器)」が語源。
大量の水を吸収し蒸発させる性質から(諸説あり)


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ fuyuuのブログ


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ


紫陽花 (あじさい)の蘊蓄

・開花時期は、 6/ 1頃~ 7/15頃。
ちょうど梅雨時期と重なります。
紫陽花は日当たりが苦手だそうです。
・名前は「あづさい」が変化したものらしい。
「あづ」は「あつ」(集)、
「さい」は「さあい」(真藍)で、
青い花が集まって咲くさまを表した。
「集真藍」
「味狭藍」
「安治佐為」 いろいろあります。

・本来の「紫陽花」とは、唐の詩人の
白居易さんが命名した別の紫の花のことで、
平安時代の学者、源順(みなもとのしたごう)が
今のあじさいにこの漢字をあてたため
誤用がひろまったらしい。
(でもいい雰囲気の漢字です)
・中国では「八仙花」または「綉球花」と呼ぶ。

・色がついているのは「萼(がく)」で
花はその中の小さな点のような部分。
しかしやはり萼(がく)が目立つ。
・「萼(がく)紫陽花」の”萼”は
”額”と表記することもある。
・「隅田の花火(すみだのはなび)」 へ。
(名前がおもしろい♪)
・紫、ピンク、青、白などいろいろあり。
花の色は土が酸性かアルカリ性かによっても
変わるみたいです。具体的には、酸性土壌では
青色が強く、アルカリ性土壌では赤色が強く
なるらしい。
また、花の色は、土によるのではなく遺伝的に
決まっている、という説もある。

・江戸時代にオランダ商館の医師として
日本に滞在したシーボルトはこの花に魅せられ、
愛人の「お滝さん」の名前にちなんで学名の
一部に「オタクサ」の名前を入れたとのこと。
(でも実際にはシーボルトより前に学名が
つけられていたため、シーボルトがつけた
学名は、採用されなかったそうです)

・6月2日、7月1日の誕生花(紫陽花)
7月13日誕生花(萼紫陽花(がくあじさい))
・花言葉は「辛抱強い愛情、元気な女性」
(紫陽花)

6/17(木)

今朝の徳島はきれいな青空が広がっています。
昨日の徳島は、30度をこえ、
雨の後という事もあって、とても蒸し暑い一日でしたが、
今日の予想最高気温も31度と、暑くなりそうです。

初夏の風に、水田の青苗がそよぐ散歩道を歩くと…
夏の花ハイビスカスが咲き始めてる。


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
トロピカルな花として原色の大きな花は印象深い
とはいえ、花の構造が一風変わっていることは、あまり気づかれていない。
雄しべと雌しべが長く合体しているのだ。この花を本土で最も早く観賞した
一人が徳川家康。1614年、島津家久が琉球産を献上した大阪冬の陣の年である。


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

興源寺のハナショウブ


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
鮮やかな紫
fuyuuのブログ
奥の細道の旅で、土地の画工が紺の緒の草鞋を贈ってくれた。
その紺が菖蒲などアイリス属特有の紫紺の花色を連想。


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
あやめ草足にむすばん草履の緒  芭蕉


芭蕉は贈り主を風流だと書いているが、花を緒に結んで行こうと
弾んだ句を詠む芭蕉もなかなかのもの。こんなやりとりが俳諧風雅の境地なのだろう。

fuyuuのブログ  fuyuuのブログ


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
ハナショウブの蘊蓄

花菖蒲見物というと、まず群生したものを、現代では誰もが思い浮かべる。

花菖蒲園などで花見するというのは、江戸庶民が作り出した「江戸文化」で、
江戸系花菖蒲の見物の粋であった。


これとは対象的に肥後系や伊勢系の花菖蒲は、一部の上流階級の者によって、
鉢植えで観賞するのを目的として改良され、門外不出に愛でられていたのである。

京都は現在も花菖蒲の四大生産地にあげられてはいるが、古くより伝わる京都系と
いう花菖蒲は存在していない。


いくら優雅で華麗な花であっても、武家が好んで愛でる花菖蒲(あやめ科)を京の花
とすることを、公家にとっては承服しかねたのであろうか。


公家の文化である端午の節句は、菖蒲(サトイモ科)以外にないと譲らず、花菖蒲を
観賞はしても、武家がそうするほどには、花菖蒲をちやほやと扱わなかったのかもしれない。

さりとて、軽んじられていたわけではない。


室町時代、最古の花伝書とされる「仙伝抄」の「十二ヶ月の花」や、当時の学問技芸を消息文に託した「尺素往来」の中では、庭に植えるべき花約80種のうちの、
夏の花二十六品目の中に花菖蒲の名が入れられている。

このように花菖蒲は早くから園芸種として栽培されていたが、江戸天保時代の持て
囃されようは甚だしく、競うように改良された江戸系花菖蒲園の文化が確立されたのである。


それらの花菖蒲を飛躍的に改良発達させたのは、二千石取りの旗本・松平左金吾定朝(1773~1857)である。菖翁(しょうおう)と通称される人物で、江戸麻布桜田町に
ある2400坪もの邸宅のなかで、60年以上にわたり花菖蒲の改良に取り組んだ。


花菖蒲中興の祖と呼ばれる菖翁は、晩年生涯を追想し、自作の品種の紹介とその栽培方法、またその他の知見を語った花菖蒲の総合書として「花菖培養録(かしょうばいようろく)」という本を著わし、花菖蒲の聖典として評価されている。


さらに、その菖翁こと松平左金吾定朝は、京都町奉行などの役職にあたり、40代の後半から15年間京都で暮らし、京都でも改良を続けていたという。

59歳で幕職を辞した後は、秘蔵の花菖蒲を次々と産み出し、江戸系花菖蒲の聖地、葛飾区堀切菖蒲園にも、肥後系花菖蒲の肥後熊本藩主の細川斉護公にも、その秘蔵の品種が渡り、その伝統が守り続けられてきたと伝わる。


菖翁がいなかったら、現在の花菖蒲はこれほどまでに素晴らしいものではなかったといわれる由縁である。


戦後全国各地に花菖蒲園が造成され、伊勢系も肥後系も花菖蒲園のなかに植え込まれるようになり、門外不出の菖翁秘蔵の花菖蒲も、広く見られるようになった。


小生は、南禅寺細川別邸の南、壁雲荘の裏門前にある花菖蒲を見たとき、その景観風情に松平菖翁の面影を感じたことがあった。


花菖蒲が咲き梅が熟す頃に降る長雨を、先人は梅雨と言い伝えた。
季節の記号に実利を伴わせた先人の技に、情緒を感じている現代人の我々は、
ただただ頭が下るばかりである。

fuyuuのブログ



22.6.8
朝から曇り、時々小雨がぱらつきます。

初夏の風に揺れながら咲き誇るハナショウブは、江戸時代から
庶民に親しまれてきた花々で、そろそろ全国的に見ごろです。


徳島市下助任町の興源寺で紫や白、ピンクのハナショウブが見ごろを迎え
家族連れらの目を楽しませていると聞き楽しんできました


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
興源寺・阿波藩主蜂須賀家の菩提寺


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ fuyuuのブログ

歴代藩主の巨大な墓所


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
住民らはハナショウブの中を散策したり腰掛けるなどして花を楽しんでいる



fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ











22.5.27

吉野川市山川町奥野井の船窪つつじ公園で、国の天然記念物
船窪のオンツツジ群落がほぼ満開になり、一帯を真っ赤に染めていると聞き曇り空のなか見に出かけた。


fuyuuのブログ
群落は高越山から奥野々山に至る尾根沿いのくぼ地(標高1060㍍)
にあり、約4千平方㍍にオンツツジなど約1200株が群生。


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
中には高さ6㍍に達するものもあり、枝先に直径5㌢ほどのはなを無数に付けている。


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
今年は春先の低温で例年より開花のペースが3,4日遅いという


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
県内外から多くの多くの観光客が訪れ、鮮やかな花を眺めながら散策をたのしんでいる。


fuyuuのブログ
さすが標高1060㍍・吉野川平野をのぞむ。


fuyuuのブログ
姥捨山ではありません。ツツジを楽しみにきたお年寄り達。


fuyuuのブログ

fuyuuのブログ
すでにパソコン仲間が紹介ずみですがショック!引っ越し騒動にまぎれ、遅まきながらの

公開です。












高開石積みシバザクラまつり
4/3~4/25
たかがいいしづみしばざくらまつり
古い石積みの景観で知られる吉野川市美郷の高開地区で
手植えのシバザクラがきれいな花を咲かせている。
001
吉野川市美郷大神の高開の石積みでシバザクラが
見ごろを迎え、赤や紫、白などの鮮やかな花が
石積みを飾っていると聞き19日友人達と見に
行ってきました。
002
003

19日までに県内外から約6千人が訪れたそうです。
005
石積みは300年以上前に築かれたされる段々畑。
地元の農業高開文雄さんが十数年前から石積みの
縁に沿えて植えており、今では延べ約700メートル
を色とりどりの花が彩っています。
地元の住民グループ・美郷宝さがし探検隊が昨年から
シバザクラまつりを開催しています。0010
吉野川市美郷大神
高開石積み
美郷では急峻な山の斜面に段々畑や家を守る石積みが発達しました。
「高開の石積み」は「にほんの里100選」に選ばれた日本の山村
を代表する伝統的な風景、文化的・歴史的遺産です。
「高開の石積み」にシバザクラが咲くとき、濃淡のピンクに白、紫が
かった桃色など、シバザクラのレースで石積みは飾られます。
0014
0015
0011
0020
008 
0012



構内にある通り抜け通路約560m一杯に広がるサクラは実に優雅です。
オオテマリ、コデマリなど他ではなかなか見ることのできない品種もあり、
約120種類のサクラの興宴を楽しめます

造幣局博物館
020
021
貨幣鋳造所として日本初の近代設備を整え開設された造幣局
022
現在構内にある桜は、関山、普賢象、松月、紅手毬、芝山、
楊貴妃など約120品種、約350本を数えていますが、
大半は遅咲きの八重桜で、満開時の美しさはたとえようもなく、
明治16年に開始した「通り抜け」も昭和58年春には100年を迎え、
今では浪速の春を飾る風物詩として、人々に愛されています。
なお、紅手毬、大手毬、小手毬及び養老桜などは、他では見られ
ない珍種と言われています。
023
024
025
026
027
旧正門
028
029 
030
造幣局南門(天満橋側)から入り北門(桜宮橋側)への
一方通行で距離は約560メートル。
通り抜け」の名の由来 「通り抜け」とは、「桜花縦覧のため表門
(現在は南門)から入り、造幣局構内を通って裏門(現在は北門)
へ抜ける」、
つまりは文字どおり構内を通り抜けることが、その名の由来です。
「あともどりできない通り抜け」が
いつしか「通り抜け」という固有名詞となってしまいました。
031
032
033
034
造幣局横の川べりには屋台が出ていて大きな縁日の様子でした。
035
036
037
1日でこんなにたくさんの桜の花(種類)を見るとは思っても
見ませんでした。
楽しかったけど疲れました。

平成22年造幣局桜の通り抜けツアー
ジェットコースターのように気温が上下する大変な
3月4月でしたが、ようやく造幣局の桜の通り抜け
までやってきて、春の風物詩を楽しみました。
01_2
今年の桜「都錦」
京都御所にあった桜で、花は淡桃色で、花弁数は20枚程度。
02_2
大阪市北区天満の旧淀川沿いは、昔から桜の名所で、
対岸を桜ノ宮と呼ぶにふさわしく、この地一帯に桜が
咲き乱れていました。
造幣局の桜は、明治の初めに藤堂藩の蔵屋敷から移植され、
品種が多く、他にはない珍しい里桜が集められました。
03_2
平成22年は4月14日から同月20日までの7日間でした。
4月17日(土)に花見・撮影に行きました。
大変な人出で撮影は困難を極めましたが、デジタルカメラの
おかげてなんとか撮影することができました。

朱塗りのめがね橋
04_2
造幣局の桜の道を歩く、明治から続く春の行事
約560mにわたり、約120種、約350本の桜が咲き、
毎年開花時期にあわせ1週間限定で一般開放され大勢の人が訪れる。
ヤエザクラが主で、開花はソメイヨシノより遅い。
また、ぼんぼりに照らされた夜桜も美しいそうです。
05
大阪の年中行事の一つになり、その人出は100万人近く
にもなっています。
局内には、さくら119種、本数は375本、木には、種名や簡単な
説明が表記されています。
06
07
08
09
010
011
012
013
014 015
016
明治16年、当時の造幣局長の「自分たちで楽しむのは
もったいない、市民と共に楽しもうではないか」との考えで、
満開時の数日間構内を開放して、通り抜けが始まりました。
以来百年以上も続いています。
017
018
019 





大阪造幣局桜の通り抜けで、桜に酔いしれたあと、梅田の
ローストビーフ専門店のゴージャスな雰囲気のなかで
ダイナミックなアメリカ料理を味わい神戸へ………

神戸ハーバーランド(モザイク)よりティクルーズ。
01
コンチェルト豪華客船でゆったりクルージングを楽しんできました。
02
ポートタワー
03
神戸メリケンパーク・オリエンタルホテル
04
05
06
ポートアイランドを望む
07
08

09
010_2
船上より神戸の景色を楽しむ
011_3
012_2 

029 030  北島中央公園のチューリップは満開の便りも聞こえてきて、
牡丹寺・観音寺の帰り道チューリップ公園に寄ってきました。
001_2
002
17世紀前半、オランダで熱狂的に好まれた。
A・デュマの小説「黒いチューリップ」のように、珍しい球根
が高額で空取引され、バルブがはじけた。
歴史の教訓だが、現代の多様な品種の基礎となった。
004
005
006
007
008 
009
010
011
最初の改良地はトルコで、とがった花弁を持つ「ユリ咲き」が
好まれ、皇帝の花でもあった。
012
013
014
花にたわむれる
015
016
017 018
032
021 022 023 024 025 026 027 028