愛子さんの家で3日間が過ぎました。

 私は父の言いつけ通り外にも出ずに家の内で閉じこもって過ごしたのです。

 昼間は愛さんが女中頭として家の差配して留守の間、私は家の中でもっぱら女性誌の本を読んで過ごしました。

 自分のなかに富子さんの手で美人になったことへのあこがれを忘れることができず、女性誌を読むことでいつか女になる準備のための知識を得ようとしたのかもしれません。

 そして、夜は愛さんに食事をご馳走になり、夜遅くまで話し合うのです。

 愛さんはそれが嬉しく楽しいようでした。私の相手することがわが子と話す気持ちになるようでした。

  でも、私にとってはそれも限度でした。富子さん恋しが膨れ上がり耐えられなくなってきたのです。とてもじゃないけど一週間は待てないと思い詰めました。

 三日目私は覚悟したのです。

 私もまた父への反乱を決めて家を飛び出そうときめたのです。

 4日目の朝愛さんが本宅に行っている間に出て行こうと決めて、用意しているときに電話です。

 木村さんからでした。

 「亮さん夕べ富子さんのお店に行ったら閉められて閉店になっていました。誰もいる気配がないので、お家のマンションに行ってブザー押したけど返事がありません。

私も心配になったので連絡しました。社長に内緒ですが行くなら迎えに行きます」

 一気に私のなかで不安が増幅しました。

 直ちに迎えに来てもらうように頼んだのは当然です。

 勝手口から出て道路で待っていると車がすぐやってきたのです。

 「昨日の夜中は迎えに行ったときは富子さんは、客を送り出した後用心のため店の扉の鍵をかけて待っていました。

 それが今日は店に鍵はかかっているけど出てこないのです。マンションに行っても同じです。とにかく入って確認する必要があると思ったのです」

 木村さんは自分の責任のように思っているのは、すぐに連絡せずに朝になってから連絡したことのようでした。

 多分父の手前ためらっていたに違いありません。

 それで愛さんの居ない頃みて連絡してきたのでしょう。

 そう判断すると私も、なぜ早く連絡しなかったと怒ることもできませんでした。

 「じや、まず僕の家、いやマンションに行ってください。この時間ならマンションに居るはずですから」

 指示して車をマンションに行ってもらいました。

 木村さんがマンションののブザーを押している間に鍵をあわただしく開けました。

 扉を開けて入りましたが、人の気配はありません。 

 靴を脱ぎ捨て部屋に上がったけれど、誰も居ません。

 富子さんの姿はないのです。

 <亮さんに利用価値がないと知ったら富子さんは離れる、というのがお父さんの読みなのよ>

 愛さんの言った言葉が浮かんできます。

 いやそんな筈はない。富子さんはそんな人じやない。僕は富子さんを信じている叫ぶように自分の胸に言い聞かせます。

 納戸、洋タンス富子さんの所持品をチエックしていきます。

 でも何一つ持ち出されていないのです。

 現金の入った財布もあります。私の貯金通帳もあります。

 「亮さん富子さんは出て行ったのでしょうか?」

 木村さんが声掛けてきました。

 「いやそれが木村さん、富子さんの持ち物もあるし、貴重品もあるのです。何一つ持ち出されていません」

 「それじや富子さんは身一つでどこへ行ったのでしょう?」

 木村さんの疑問は聞くまでもありません。私も同じ疑問を持っているのですから。

 しかしそのことが一気に私の不安を掻き立てのです。 

 <ひょっとしたら海野にさらわれた?>

 その予感が私を居てもたってもおられない気持ちにさせたのです。

 「木村さんとにかくスナックの店を確かめに行きましよう。探すのはそれからです」

 木村さんを追い立てるようにして車に乗りました。

 

 スナックは準備中の札が掛けられていました。

 カギ開けて店に入ると真っ暗、非常灯の赤い光だけです。

 入口の電気を点けて店中の電気を点けたのです。

 人の気配もなくひんやりした空気が感じられるだけです。

 店の中見渡して人の姿がないかを確認します。

 それでも富子さんの姿を求めてトイレの中まで確認したのです。

 木村さんがカウンターに入って何かの痕跡がないかチェックしている間に、私は奥のボックスソフアーに行きます。

 このボックスで富子さんと初めて言葉を交わしたのです。

 私はその時自分が座っていた席に座ります。

 富子さんはその私の席の向かいの席に座り~

 クリスマス。私は紳士の装束で山高帽子被っていたのを、富子さんは手を伸ばして私の帽子を取り上げたのです。

 でもその富子さんの姿を今見ることができないのです。

 「カウンターにもおかしなところは見当たりません。整頓されています」

 木村さんの声が遠くからのように聞こえてきたけど返事をすることもできませんでした。

 <富子さん貴方は僕を置いてどこへ行ったのです。まさか海野にさらわれてのでは

ありませんか?>

 心のなかで問い続けます。 

 <亮さんを置いて私は姿を消すことはありません。海野に負けることはありません亮さん>

 富子さんの声が頭の中で返事となって聞こえてくるのです。

 富子さんと向かい合った前の席に富子さんの姿を求めて見つめ続けます。

 すると黒い影が椅子の席にスナックの淡い光の中で浮かんできたのです。まるで私の呼びかけに答えるかのように~

 富子さんが居るのか?

 思わず引き付けられて立ち上がったのです。

 近づいて腰屈めて見たのです。確かにソフアーの背もたれに黒いシミのようなものが広がっているのが分かったのです。

 ハンカチを出して拭いでみます。  

 白いハンカチに黒っぽいシミが広がります。

 なにこれ?再びハンカチで黒いシミを拭きます。

 <これ血では?>息詰まるような不安が広がります。

 薄暗いスナックの光の下では判別つきません。

 ハンカチつかんで駆けだして外に出たのです。

 陽の光に照らして、黒ずみに染まっている中に赤い色が混じって~

 間違いなく。血です。

 がん!と頭を殴られたような衝撃が走ります。

 店内に戻って叫んでいました。

 「木村さん血が~血です」

 「どうしました亮さん?」

 「ソフアーに血の跡がついて~富子さんが殺された」

 「はやまってはいけません亮さん。富子さんとは限りません。昨日は異常なかったのだから今日のことでしょう?それなら今ごろは、警察が来て騒動になっている筈です。でも静かなものですから事件ではありません。」

 「それならどうしてソフアーに血が付いているのです?富子さん傷つけられて連れ去られたのではありませんか?」

 「亮さん落ち着いて、憶測で判断しても仕方ありません。傷があるなら病院です。村のなかの病院でしょう。顔が聞きますから傷治療した患者がいないか聞き出してきましよう。それに救急車が出ていないかも聞いてきます」

 落ち着いた返事の木村さんに助けられて、私は自分がなにすればいいのか?木村さんに頼るだけで、ソフアーに戻って座るだけです。

 <富子さんなにがあったの?海野に傷つけられたのではないでしょう?海野などに負けない富子さんでしょう?>

 黒いシミのついたソフアーに声出して呼びかけるのです。

 そうです。私の富子さんです。絶対私から離れる筈はないのです。その想いを自分の確信にする私です。

 その想いを忘れないように何回も心に刻み込んでいました。 

 時間の経つのを忘れていたころにメドレーが鳴ったのです。ソフアーのテーブルに置いた携帯の着信の知らせです。木村さんからです。

 「亮さん分かりました。病院に居たのは海野でした。血の跡は海野です」

 木村さんの安堵の気持ちの言葉が流れてきたものの、また心配の種が生れるのです。では富子さんの姿がないのはなぜ?浮かんできた想いをおいて、木村さんに問います。

 「海野の怪我はどうしてです?」 

 「病院からの知らせで警察が来たそうです。事件と判断したのでしょうね、病床で医師立ち合いで海野に聞き取りしたそうです。でも事情聴取に海野はカウンターで調理中に足が滑って倒れた拍子に包丁が腰に刺さったと言ったそうです」

 「おかしいですね?木村さん、カウンターに居てどうして血がソフアーについたのだろう?」

 「そうなんです。警察はスナックの現場検証してそれに気づいて海野に問い詰めたそうです。すると海野が言うには、出血に驚いて救急車に電話するためにソフアーに置いていた携帯を取りに行ったときに、血が付いたと思うと説明したそうです。警察も海野の携帯を調べたら119番に電話しているのが確認されたので、事件性はなしと

警察は判断したそうです。」

 「でも富子さんはどうしたのです?」

 「それですよ。警察も事件の場所がスナックなので、小枝富子さんに事情聴取に呼び出すことしたそうですが、連絡取れないのです。それで海野に聞いたところ旅行に行くと聞いたが行先は知らないと答えたそうです。それで海野の携帯から富子さんに電話したら、携帯はスナックの検証していた警察の担当が電話にでたそうです。富子さんの携帯はスナックに置いてあったと言うのです」

 「なにか変ですね?木村さん。海野は警察に嘘言ってますね?」

 「私もそう思います。富子さんは海野をスナックのバーテンを辞めさせたのでしょう?それなのに海野はどうしてスナックのカウンターで仕事していたのです?それどころか、海野は警察に富子さんは旅行だと答えていることは嘘ですよ。富子さんは海野と縁切ったのですから、海野が富子さんが旅行だなんて言える筈ありません。」

 不思議そうな声音の木村さんの声が携帯から聞こえてきます。

 「もっと信じられないことがありますよ木村さん」 

 思わず私は叫んでいました。

 「海野は警察になぜ嘘をいうのか?富子さんをかばっているようではありませんか?」

 「亮さんそういえばそうですね。バーテン辞めさせられ、住むところを追い出され、内縁の夫の縁を切られた海野です、恨みこそあれ富子さんをかばう理由がある筈ありません。どうしてかばうのか?」

 「木村さん富子さんは海野に殺されたのでは、その時富子さんの抵抗にあって海野は刺されたのでは?だから海野は富子さんを生きているように見せかける必要があったのではありませんか?」

 言いながら私は自分の愚かしさに泣きたい思いになったのです。どうして父の言いなりになって富子さんを一人にしてしまったのか?すべては私の責任です。

 泣く思いの私を助けたのは木村さんです。

 「亮さんそれはないと思いますよ。殺されたのなら富子さんの血の跡で警察も動きますよ。素手で殺されても海野の傷では遺体を隠すことは無理ですよ。矢張り富子さんが証言すれば海野の都合悪いことでてくるので、海野は富子さんをかばうしかなかったのでは?」

 「ということは富子さんは無事ということですか?それなら富子さんはなぜ僕の前に姿現わさないのです?」

 悪い予感に包まれて、また新たな悲しさが持ち上がるのです。

 「海野を傷つけて亮さんの前にでられないことになったのでは?傷害の身では亮さんと暮らすことできないとか?」

 「でも木村さん正当防衛だから罪にはならないでしょう?どうして僕を信じてくれないのか?富子さんを守ることできるのは僕しかいないのに」

 「なにが真相なのか?分からないのですから亮さんあれこれ言っても仕方ないでしよう。富子さんが戻ってくるのを期待して待ちましょう。まあ、内緒の話ですが社長はこうなるのを見抜いていたのではありませんか?だから静かにしていましょう」

 その言葉残して木村さんが携帯を切った後、私は茫然としていました。

 <富子さんなぜ姿隠したの?あれだけ愛し合ったと言うのに、どうして僕の前から消えたの?どうして?どうして?>

 涙のしずくがとどまることなく流すに任して、富子さんの行方を求め、富子さんに呼びかける私。

 時間は私の前から消えたのです。

 

 ㉙

 <亮さんどうして泣くの?私が貴方から離れる筈無いでしょう。私には亮さんが全てなのよ。いつも、何時までも、私は貴方と一諸です。絶対亮さんから離れることありません。私は亮さんを愛しているのですから>

 富子さんの声です。

 そして富子さんの姿が見えたのです。 

 美人の富子さん。私の富子さんが帰ってきた。

 喜びに包まれて手を差し伸べます。

 富子さんも手を差し伸べ私の手を握りしめます。

 抱きしめました。でも富子さんの体はまるで空気のように手ごたえないのです。

 そしてだんだんと消えていくのです。

 離れていくのだはなく私の体の内に入っていくのです。

 <亮さん私は離れない、貴方と私は一体になるのよ>

 富子さんの言葉とともに、確かに私のなかに富子さんは居ました。

 いえ、それは私は亮ではなく富子でした。

 

 ㉚

 「あれ死神さんどうして泣いているのです」

 「私は泣いてなどいない」 

 「でも、目の黒い穴から水が流れ落ちていますが」

 「それは涙ではない。どうして死神が人間のために泣かなくてはならんのだ」

 「そう言われますけどね。人間社会では目から水が流れ落ちたら涙というのです」

 ベットの足元にうずくまっている死神を覗き込んでみると、確かに死神の黒い目の穴から水が垂れているのです。

 「私は人間のために泣いているのではない。自分のために泣いているのだ」

 「どうして自分のために泣かなくてはいけないのです?」

 「今のお前さんの話。聞いていたら人が死んだと言うのに消えてしまって二人が一人になって、私のお迎えの仕事がなくなったではないか。これでは死神は失業だ。泣きたくなるではないか」

 「それはお気の毒に、でも人間にとっては死神さんは居ない方がいいのです。だから富子さんのように消えてください」

 私が言い終わると同時に死神の姿はふっと消えたのです。

 そして、私の胸の重みも消えていました。

 

 ㉛

 開店した女装スナック。

 私はカウンターで飲み物の用意に忙しいのです。

 まだバーテンがいないのでおお忙しです。

 扉の鈴がちりんと鳴ります。

 入ってきた馴染みのお客さんです。

 「あれ富子さん久しぶりだね。でもどうなったの?なにか若返って、若くなったのではない?」

 首傾げているお客に私は嫣然<えんぜん>と微笑みます。

 「そうですよ。私、21歳ですもの」

 富子になった私。でも愛する亮さんは私のなかで一緒なのです。

 <終わり>