8章 ⑭

  

 母屋の母の部屋に行くと、母親は椅子に座りテーブルに頬杖ついてテレビをぼんやりと見ていました。

 「お母さん一寸いい?」

 「あらピノチオ、珍しいじやないの?私の部屋に来るなんて」

 「相談と言うか、話したいことがあるんだ」

 「ええ、それはまた、ますます珍しいことね」

 言葉では言いながらも眉間にしわが寄って考えているようです。

 そういえば大学に行くようになってから、母に相談などしていなかったと気が付きました。

 若くて父と結婚したからか、中年になった今でも美しさが変わらない母です。私は何時も思うのだけど、私は容貌だけでもいいから父でなく母に似ていたらと思うのです。そうすれば母にピノチオなんて呼ばれなくて済んだのに?と考えてしまいます。

 何時ものようにそんなこと考えながら向かい合って座ると、待ちかねたように母が問いかけます。 

 「それで私に相談なんてどんなことなの?」

 好奇心を露骨に見せて聞きます。

 「うん、好きな女性ができた、一緒に住みたいんだ」

 「一寸待ちなさい。好きな彼女ができて一諸に住みたいと言うの、ピノチオなに馬鹿なこと言っているの、貴方はまだはたち<20歳>でしょう。学生の分際で何考えているのか?」

 やっぱりです。愛さんと同じことを母は言います。

 「だから相談に来たんだ」

 「そんな相談されてもいいわと言えるはずないでしょう。貴方は頭いいから私にウンと言わしてお父さんに口説かす魂胆でしょう?でもいくら私でもそんな話でお父さん納得させる自信はありませんからね」

 「安心して、そんなつもりはないから。お父さんには自分で話すつもりだから」

 「馬鹿なこと言わないで~、貴方正気?お父さんがそんな相談されてもウンと言うはずないでしょう?ピノチオ良く聞きなさい。貴方は長男としてお父さんの後を継いで会社の社長になる立場なのは、お父さんがいつも言っていることだから分かっているでしょう。将来その会社を背負っていくものが、学生で居て9歳も年上で水商売の女と同棲するなんて~信用が丸つぶれよ。お父さんが承知すはずないことは言うだけ無駄だから話すのはおやめなさい。私もこのことはお父さんには話さないから」

 「やっぱりね。愛さんから報告きているんだ」

 「当り前でしょう。こんな大変な話、愛だって内密にできるはずないでしょう。だから私のところで止めて、お父さんの耳に入らないようにしてほしい、と、私に報告したのは、愛がピノチオを守るための気持ちだということを汲んであげなさい。私だって愛に言われるまでもなく、貴方を説得してこの話はなかったことにするつもりですからね」

 絶対許さない~その気持ちをあらわにして母は私を睨みつけて告げるのです。

 母には珍しくきつい言い方だと思いながらも、それは仕方ないことだと思うのです。社会常識で言えば、将来会社をリードするものが、女装して、学生でいながら9歳もの年上のスナックのママと同棲すると言うことは通用しない。

 母も愛さんも同じ判断でいるのは常識的にそうだと思います。

 

 でも私はその常識に従う気持ちはありません。社会常識など無視です。私は女装したいのです。男性としてあまりにも見た目の悪い私が、華麗な変身を遂げて見事な美人になったのです。どうしてそれを諦めることができますか?

 それだけではありません。

 私は<理想の女性>と会うことができたのです。

 しかも、あり得ないことに私は彼女と愛し愛される関係になったのです。こんな幸運は二度と訪れません。

 だから会社を背負うことより、この素敵な幸運の道を歩みたいのです。

 

 その決意でいる私には、母や愛さんの説得は予想していたことと言えるのです。

 私の本音、決めている決意を二人に言うときがきたようです。

  「お母さん僕はどういわれようと彼女と住むつもりです。だから家を出ます」

 「ちょっと亮さん何考えているのです。家を出ると言って、貴方大学はどうするつもりなの?貴方には生活する力はないのよ。それともその女の人に養ってもらう気なの?」

 怒ることを忘れて慌てだした母です。

 「大学は退学します。生活は働きますから大丈夫です」

 「ああ、どうしたらいいの?お父さんに叱られる」

 悲鳴上げる母が気の毒になったけど、だからと言って私は決めた道を変える気はないのです。

 「父には話します。怒るでしょうけど」

 「当り前です。貴方を後継者にしないと言うかもしれないのよ。それでもいいの?」

 「わかっています。初めからその覚悟で居ますから。だからお母さんに相談というのはそのことなんです」

 「相談て~まだあるの?堪忍してくださいピノチオ。私、貴方の相談に乗る力なんてありませんから」

 逃げ腰の母は私と父の間に立つのが恐ろしくなったようです。

 「心配しないでお母さん。お母さんを困らす話ではありませんから。相談と言うのはお父さんのの後継者の話です。僕はいまも言ったようにお父さんの跡を継ぐ気はありません。会社の社長もごめんです。それで僕が家を出た後、正に後を継がせたいのです。正なら見た目もいいし社長として適任でしょう」

「亮さん何考えているの?そんな話お父さんが認めると思っているの?」

「だから僕が話をするのです。お母さんには正を後継ぎにすることを了解してくれたらいいのです」

「了解するて~亮さん無理言わないで。お父さん差し置いて私がさきに了解するような話ではないでしょう?」

「わかっています。どちらにしてもお父さんと話をしてからのことだと。でもお母さんに言いたいのは、お父さんが僕の言い分呑んだら、お母さんは遠慮なく正の後継者になることに異議言わない。それだけです」

「頭の良い貴方のことだから、考えがあってのことでしょうけど、お父様は貴方を後継者と言われているのは、長男と言うだけではないのよ。ピノチオのずば抜けた能力をかっているからですよ。お父さんと比べても、あなたはすべてがお父さんに似ているものね。正ではあなたに及ばないのは私も分かっているのです」

 「お母さんありがとう。それならなおさら正を日陰から陽の当るところに出してやって。それがお父さんに代わっての僕の償いだから」

 私の言葉に母は怪訝な表情になったのですが、すぐになにを思ったのか?顔色が変わりました。

 「亮さん貴方何考えているの?正を日陰から出すことが、なぜ償いになるのです?」

 美人の母がぞっとする顔つきで私に迫ってくると、美人だからこそ恐ろしさを感じるのです。

 さすがにしまった~と思いました。私は母の誰にも知られたくない秘密にうっかり触れてしまったようです。

 ここはごまかすしかありません。

 「だってお母さん僕は長男として、お父さんのの後継ぎだと何かにつけて大事にされてきたからね。でも正は僕の影に隠れて後回しだったから、今度こそ表舞台に立たせてやりたくて」

 言ったその言葉は、ごまかしではなく、私も日頃思っていることでもあるのです。 

 母は、その私の言葉に答える言葉を失ったように私をじっと見つめたのです。

 しばらく黙ってから母は静かな口調で私に告げたのです。

 「亮さん貴方って~頭がいいだけではなかったのね。優しいのよ。正のこと分かっていて、それでも正に自分の席を譲ると言うのね。ありがとう、お母さん最高に嬉しい。それならお母さん正をお父さんの後継ぎにするために頑張りますね」

 言葉が終わったのをきっかけのように、母の目から涙があふれたのです。

 

  母の涙の意味は何なのか?私の生まれる前のことなら私には知りようありません。

だが私の脳裏に浮かんだのは、赤ん坊の正を抱いた若い母の姿でした。私は愛さんに抱かれてそれを見送っているのです。

 

 どうしてそんな場面が今浮かんだのか?

 理解できいないままに私は解釈します。

 正を生んだ母は三歳の私を見ることができなくて、女中の愛さんに世話をさしたのだ。そのときから愛さんは母代わりとして私の面倒を見ることになる。

 17年前、愛さんはまだ若い時だった。

 そして私のピノチオはその時から始まったようだ。

 母屋に行く三歳の私に母は私を呼ぶのにピノチオと呼ぶようになった。

 母に会うのは離れから母屋に通うようなそんな関係だった。

 私が愛さんから離れて母屋に戻ったのは、中学校に通うようになったころからだった。

 

 私の解釈はそこで途切れます。私の今知ることは成人してからの親類の人からの伝聞しかないのだけど、真偽ほどはわかりません。

 しかし母の言葉に私は引っかかるものを覚えます。

 <正のこと分かっていて、それでも正に席を譲る>?

 簡単な理解では、正は能力的に私より劣っていることを指している。それだけのことなのか?

 それとも、いや、これは口に出せない伝聞です。

 

 私が考え事して沈黙を続け、母もまた、それなりに考え事しているようでした。

 その時間がどのくらい過ぎたのかは分かりません。

 母が先に口を開いたのです。

 「亮さんお父さんと話するには、お帰りが今日は遅いの。だから話は明日にしなさい。それでお母さん覚悟しました。

 亮さんがお父さんにどういわれようと、家を出る決心したのなら、もう私には止める力はありません。だから私は貴方の母として、母の役目を果たします」

 「お母さんなに考えているのか分からないけど、お父さんのことで無理しないでいいんだよ。最初に言ったように正を後継ぎにすることを、了解することだけでいいのだから」

 「それは分かっています。そうでなくて、貴方が家を出てどこでどう暮らすのか?それも知らずに貴方を送り出すことなど母としてできません。

 明日、亮さんが愛の離れから出ていくまでに、私が貴方の落ち着く先の用意をします」

 「そんなことをして父がどういうか?気になります」

 私の問いに笑顔で首振る母には迷いはないようでした。

 「いいの、私は昔、お父さんを無視して自分の気持ちに忠実になって、やりたいことやった実績があります。一回したのだから二回するのも同じことです」

 思い切った母の言葉に驚きです。少女のような若さで父に嫁いで、それゆえにか?ただ父の言いつけに従うことしか知らなかった母が、父を無視して自分の気持ちに忠実に行動したとは?私には信じられないことでした。

 それでも母が私の計画に賛同してくれたことは、何よりです。

 

 私は飛び上がりたい気持ちで、このわくわくした想いを富子さんに告げたくて離れに行ったのです。  <続く>