<一話><死神がやってきた>

 

 胸が息苦しくなって目が覚めた。

 夢の中で息苦しさ感じたのか?と思っていたのがそうではなかった。

 目が覚めて、電気を消した暗闇の中で手探りで眼鏡を探る。

 ない?ベッドの横のミニテーブルに本とスマホに並べて夕べ寝たはずなのに?

 

 とにかく起き上がって電気をつけようとしたら、起きることができない。

 起きようともがくほどに胸の重しが強くなってくるのだ。

 それだけではない、動いていた手が感覚がなくなって動かせなくなってきている。

 いや、手だけではない。足の感覚もなくなっている。

 恐怖心が一気にせりあがってきた。

 <いったいどうしたというのだ?脳溢血?脳梗塞の発作?いや違う?頭はしっかりしている。ではこれは?そう植物人間になっている。

 布団に張り付けられているようだ。目は?

 暗闇だけど、外の明かりが窓の障子を通して差し込んで、部屋のふすまがぼんやりと影を作っているから、目は見えている。

 耳は?

 音を探して神経を集中した。ぶ~んと音がかすかに聞こえる。クーラーが冷房の風を送っているのがわかる。耳も大丈夫だ。

 

  問題は手と足だ。渾身の力を込めて手足の自由を取り戻そうとした。

 思わず「ああ~」声が悲鳴のように出た。

 手と足はまるで反応なしで、それより力を込めたそれに反応するように、胸の重みが一気にのしかかってきたのだ。

 込めていた渾身の力が、そのあまりの苦しさに消えて同時に体が弛緩した。

 すると不思議なことに、胸の重みがす~と消え去ったのだった。

 でも相変わらず手足は動かない。矢張り、まるで感覚がない。

 <くそ~>

 舌打ちして、もう一度挑戦すると決めた。

 

 腹の筋肉に力を入れて、息を吐きながら、ゆっくりと手足の筋肉にエネルギーを満たしていく。これで一気に力を発散させれば手足の動きを取り戻せる筈だ。

 再び息を大きく吸って、ゆっくりとため込んだエネルギーを今度は思い切って一度に放出させた。

 ぴくりと手足が痙攣したのは感じた。でもそれは一瞬にして消えた。

 じつは、それどころではなかったのだ。

 胸の上に鉄錘り?いやそうではない、あばれ牛に乗りかかってきたような重みに襲われ、あまりの苦しさに私は叫び声をあげたのだ。

 

 死~その言葉が頭を走った。それほどの苦しさだったのだ。

 「あがいても無駄だよ。お迎えが早くなるだけなんだからね。まあ、私はあなたが

早くくたばってくれる方が、待ち時間短くなって楽なんだけど。人間は死を前にするともがいて死から逃れようとするもんだが、それは無駄だと分からないみたいみたいでね」

 ええ~?だれがしゃべっているの?声がするのか?いや、耳は聞いていない。じやこの声は頭の中で聞こえていると言うことなのか?

 でも私はこんなこと考えないし、聞こえてくるのは思考の言葉ではない。もっと鮮明な言葉で耳が聞くのと同じだ。

 何が起きたと言うのか?

 不安がせりあがるのと同時に、思考ではこれは現実ではない!繰り返し自分に言い聞かせる。

 

 <とにかくこの胸の重みを何とかしないと>

 暗闇のなか、目を思い切り開けて視線を胸に向けた。

 本来なら何も見えない暗がりがある筈である。

 ところが見えたのだ。なにか黒い形のものが胸の上に居るのだ。

 <道理で胸が重いはずだ>

 思うのと恐怖感がせりあがってきたのが同時だった。

 なにが居るのか?黒い影の形は人間のような形をしている。人間なのか?いやそんな筈はない。私の住む3LDKのこのマンションは入口は一か所。金属の扉で施錠して

入れるはずないのだから。

 

 では人間でないのだったら、なになんだ?

 まさか?論理ではあり得ない想像が浮かび上がったとき、恐ろしさがパニックになって私を襲った。

 背中を首筋にヒア汗が流れ落ちる。

 <魔者?>その想像である。

 

 「気が付いたようですね。あなたをお迎えに来た死神です」

 言葉が聞こえたのと同時に、黒い影が鮮明になってきて、悲鳴上げるのをかろうじて抑えた。

 確かに、黒いマント、黒い頭巾の中の白い顔はくどくろ?>骸骨の顔でまさしく死神なのだ。

 「死神?お迎えて~私が死ぬので迎えに来たと言うのですか?」

 <そんな馬鹿な~私はまだ死ぬような気分でないのに、どうして死神が迎えに来るうんだ?>

 「そうなのですよ。あなたが思っているように、あなたはまだお迎えはまだなのですが、噂を耳にしましてね。それで死神は好奇心にかられてあなたに会いたくなって

来たのですよ」

 「そんな無茶な。好奇心でお迎えに来られたらたまったものじゃない。なんでまた私の好奇心に引かれたなんて、一体私のどこに好奇心を感じたのです?」

  

 これはまたとんだものに魅入られたものだ。

 思いながらも問わずにはおれない。

 私の胸の上で死神はええへ~と笑う。

 とにかく胸の上で居座っているのだから、早くどかさないと~。

 私は頭を巡らしその方法を考える。

 

 「でも死神の思い違いでした。じつは90歳にしてまれにみる美しさと若さを備えた女装子が居ると聞いたのです。なんでも多くの人達に愛されて、人々はそれにあやかりたい、と、会うと背中擦ってご利益得ようとするのです。

 それ聞いて死神はお迎え止めて、会いに行くことにしたのです。

 だって、人々がそんなことされると、これは死神には迷惑なのです。

 その女装子さんにあやかって、若くて美しい人ばかりになったら、私、失業ですよ。お迎えに行く相手が居なくなったら、私の居場所がなくなります。死神が死ぬしかないのですよ」

 「死神が死ぬ?それは助かる。お迎えがない限り私達は長生きできるんだ。喜ばしいことですよ。それでその90歳の美しさと若さを備えた女装子はどこにいるのです?」

 聞きながらふとぴん~ときた。ひょっとしたら私のこと?

 死神の好奇心の対象というのは、90歳の女装子いえ、私は歳とってからの女装だから、女装家なんだけど、私しかいないから。

 

 とたんに死神は白い歯をケタケタと音をたてた。多分笑っているに違いない。

 「そうですよ。あなたのことです。でも、さっき言ったように死神の思い違いでした。だって私若くて美しい女装子に会いに来たのに、来てみたら90歳そのままのお年寄りの男。顔は皺だらけ、手も足もよたよたのお年寄りじやありませんか。落胆、失望です。でもこのまま帰るわけにはいきません。ついでにそのあなたのお迎えして帰ることにします。」

 「そんな無茶です。歳とっていても私はまだ元気ですよ。たとえ90歳でもお迎えする必要ありません」

 断固として答える。死神の都合で人の生死を左右されてたまるものか。

 「そうはいきません。あなたは私を失望させたのです。折角来て空手で帰ることは許されません。せめてあなたをお迎えしないと、私の立場がありません」

 死神の立場とはどんな立場なのか?分からないけど、とにかくこの勝手な言い分の死神を翻意させないと、私の命にかかわることなのだから。

 必死に考える。お迎えを止めさせないと。でも考えてみると、なぜ死神はお迎えの対象ではない私のところにやって来たのか?私が若くて美しいから?それでお迎えでもないのに来たというのか?

 

 そこではっと気が付いた。<若くて美しい女装さんに会いたいから?>

 「死神さんあんた女装さんが好きなの?」

 「好きかと言われると困るのだけど、でも、女性でもないのに良くぞこんなに若く美しい女装の男性がいるものと会いたくなって~」

 「それ私のこと?」

 「違いますよ。あんた鏡見なさい。90歳の爺さんそのものなんだから、だれが会いたいと思うものですか」

 「やっぱりね。言っときますけど、死神さん間違っているよ。私の女装は私をメイクしてくれる先生がいて、死神さんが憧れる若く美しい女装に仕上げてくれるおかげなんだから」

 「まさか、上手いこと言っても信じませんからね。さあ、お迎えですよ」

 答える死神はまた白い歯をケタケタ音立てる。

 「一寸待って。待ちなさい。美しい女装さんは先生のスタジオにわんさと居るんだよ。知りたくない?会えば納得だけど、死神さんが先生のスタジオに行けばみんな恐ろしがって逃げてしまうから、写真とお話で辛抱するなら私のところに来た甲斐あるでしょう?」

 「えっ、女装さんの話が聞けるのですか?」

 「そうですよ。それより死神さん一寸私の胸からどいてくれません?重くて仕方ありません」

 「すみません失礼しました。では待ちかねています。よろしくお願いします。」

 やれやれやっと死神をコントロールできそうだ。

 

 私はベッドに正座する。

 死神はベッドの下の床に正座して、かしこまった姿勢で私を見上げる。

 どの女装子さんの話がいいのか?

 誰?と特定できないように話さないとね。

 私は頭を回転させて、女装さんの物語をつづっていく。