91回

 戸が開けられ、お母様は私を引き込むように玄関に入れると、戸の外を見まわしてから急いで戸を閉めるのです。

 「誰にも会わなかった?」

 聞き返されて気が付きました。私の姿を社宅の奥さんに見せたくないのです。

 「大丈夫ですお母様」

 言ってから<お母様と言ってはいけないのかな?>瞬間その思いが走ったけど、でも矢張り私にはこの人はお母様だと思いがぬぐえないのです。

 「すみません。来てはいけないのは分かっているのですけど、正人さんに頂いた大事なもの忘れていたのに気が付いて、ごめんなさい」

 「仕方ないわね。どこにあるの?取ってきますから」

 「寝室の鏡台ですけど、ウイッグです。私取ってきます」

 「いいのあきさんは上がらなくていいの、ここで居て、取ってきますから」

 「でも分かりにくいから~」

 「いいの、悪いけど上がらないで~私探してきますから。ここにいて~」

 お母様の言葉がなにかきつく感じられるのは私の思い過ごし~?と思いながらここまで言われると、逆らえません。

 「じや、お願いします。鏡台の引き出しの奥にケースがあります。それです」

 私の返事にうなづいて、お母様はあたふたと奥に消える姿を目で追って、なにかおかしい?思いが浮かんできたのです。

 

 普通ならいくら別れても<上がりなさい。お茶でも飲んでいきなさい。それで家の話はついたの?>そんな言葉が返って来る筈です。それが私の知るお母様なのです。

それなのになにかおかしい~。

 玄関の土間に立って答えを探して考え込みます。

 そしてふと目に止まったのが靴箱の赤い靴でした。

 好奇心が働いて覗き込みました。

 真っ赤なエナメルのハイヒールです。

 どうしてこんな靴があるのか?お母様の履くような靴でないのはたしかです。

 答えはすぐ出ました。

 「おば様~どなたかお客様なの?」

  その声がリビングの戸から漏れて聞こえてきたのです。

 「ここにいた人~」

 声を殺したお母様の返事だったけど、若い私には聞き取ったのです。 

 「ああ、正人さんのお相手の~。お会いしたい~」

 「おやめなさい。お気の毒です」

 お母様の声が止まったとたんにリビングの戸が開いて、お母さんが姿を見せたのです。手にウイッグの箱を持っています。

 

 「ありがとうございますお母様。正人さんに頂いたものですから大事にしたいのです。お客様ですか?」

 思わず聞いてしまいます。

 「親類の娘さん。ごめんなさいね、上がってもらわなくて、娘さんと話があるので遠慮してもらったの」

 「いいのです。社宅の奥様方と会うと大変ですから早く帰ります。もう来ることはしませんから~」

 「悪いけどそうしてくれます。すべて正人さんのためだからお互い辛抱しましょう」

 お母様の言葉にぐっと~こみ上げてきたのを耐えました。

 頭下げると飛び出すように玄関を出ました。

 

 人気のないフロアーを横切ってエレベーターに乗って動き出すと、なぜか涙がこぼれるのです。

 赤いヒールの娘さん。ひょっとしたら~予感がめぐるのです。

 お母様は私に会わせることもしないのも、社宅に娘さん呼んだのも、正人さんの嫁ですと披露するつもりではないのか?

 そんな想像が私のなかを駆け巡るのです。

 駅までの道のり、まるで上の空でした。

 お母様は私を紹介することなく、娘さんと話をするということは、正人さんとの話をするということかも?

 いろんな思いが駆け巡るなか、往く着く答えはそれでしかないのです。

 

 「あきさん待って下さい。待って~」

 後ろからの声が追っかけてきたのも、自分に向けてとは初めは気が付きませんでした。何回か呼ばれて、我に返って自分が呼ばれているのだと気が付いて足を止め振り返ったのです。

 

 赤いドレスに赤いハイヒール~。26,7歳?私より年上の女性が私を呼び止めたのです。赤が似合う派手な顔立ち?の美人です。

 そうか~お母様のいう娘さんだとすぐ思い当たりました。

 「あきさん?」

 確かめるように声かけられ、答える言葉が出なくて<ハイ>とだけ返事しました。

 そして女性もまた言葉が出ないままに、まじまじ私を見つめて驚いた表情になって

いるのです。

 互いに見つめ合って無言のままの時間が過ぎます。

 私はこの情景は何か思い当たるものがあると感じだしていました。

 そして、あっと気が付いたのです。

 正人さんと初めて会った陸橋の上でのこと、正人さんも同じ驚きの表情見せたのと同じだと思い当たったのです。

 <なぜだろう?>思いながらも、この女性は私と無関係の人ではないような気がしてきたのです。

 それで私の方から声かけたのです。

 「こんにちは~お母様の親戚の方ですか?」

 女性は私に先に応対されて慌てた様子です。

 「ごめんなさい。足止めさせて~びっくりしていたのです。あきさんが亡くなった私の姉にあまりにも似てられたので驚いて声も出なかっのです。ああ失礼しました自己紹介もしなくて。私正人さんの奥さんだったのは私の姉なのです。まきです」

 「そうでしたの~正人さんの亡くなられた奥様の妹さんだったのですか。私こそ失礼しました」

 本当は<私は穂高の家から出た身ですから~>と、背を向けるべきかも?咄嗟に思ったものの言えませんでした。

 「お母さんから貴女のことは聞きました。それで貴女とぜひ話したかっのです。すみませんけどお付き合いしてもらえません。」

 言われた私の方も、この女性<ひと>がお母様のもとに来ている目的を知りたい好奇心も働いて、<分かりました>と答えたのです。

 

 <お茶でも飲みながらと思ったのですけど、人の居るところでは話したくないので悪いけど、そこの公園のペンチでいいでしょうか?>

 言われて、そうかと思いました。私の女装のことが話題に出るのだとピンときたので承知しました。

 

 人気のない公園のペンチで並んで座った私達でしたが、まきさんは前を向いて私を見ません。前向いたまま話すのです。

 「じつは貴女のことを知ったのは、今日ではないのです。姉が亡くなって一年ほど後のことです。正人さんのお母さんが正人さんにいい嫁が来たと聞かされました。それを聞いて私、奈落から落ちたような辛い気持ちで落ちこみました。だって私、亡くなった姉の後添いにという話が、姉の四十五日の日にあったからです。

 <続く>