71回

 

 正人さんと同じ会社の社員だというその家は、建売住宅の建ち並ぶ家の2軒目、

教えられた家の前に立って、手をつないでいるミカちゃんにうなずきます。

「ミカちゃんいい?ちゃんとゴメンナサイ言うのよ」

「うん、わかっているママ」

 なんでもないように答えるミカちゃんに比べ、ミカちゃんに念押ししている私の方が緊張して、玄関の扉の脇に取り付けられているブザーを押すのもためらってしまいます。

 子供ではないのだからゴメンナサイで済むはずないのはわかっても、じや、どういえばいいのか?初めて会う人にどんな謝り方すればいいのか?

 こんな経験は初めての私です。仕事では多くの人に応対する経験を積んできた私ですが、いくら大勢の人の相手でも決まったパターンに沿ってですから、何ほどでもないのです。

 それに主任に抜擢されてからはそれも、スタップのバックアップするとき以外は、受付、会計のスタップの人達の後ろの机で、それぞれのスタップの業務のチェックして集約して、報告するというパターンが本来の仕事になっていたのです。

 でも子供の喧嘩の後始末なんて~

 当たり前とはいえ初めての体験に考えてしまうのです。

 「ママ~」

  ミカちゃんにワンピースの裾引っ張られました。

 それで自分を取り戻しました。

 <そうか、私は娘ではなく、正人さんの奥さん、そしてミカちやんの母親なんだ。だから母親としてミカちゃんのために謝ればいいんだ>

 そう自分に言い聞かせ納得したのです。

 ブザー押しました。

 「はい~」返事とともに「どなた?」マイクが返事します。

  「先ほど娘がお宅の子供さんに怪我さしたとのことですので、お詫びに来ました」

 「戸が開いてます。入ってください」

 なにか冷たい感じの返事が返ってきましたが、扉を開けて入ると、狭い土間です。

まあ、社宅と比べる方が無理かも知れないかと思います。

 靴の高さほどの板張りの上り口と廊下になって、白い壁に扉があります。

 扉が開いて出てきたのは40代くらいの女性、髪を後ろで束ねて頬骨のこけた険のある婦人です。

 「本当にどうなるかと思いました。大泣きして帰ってくるのですから。膝から血がでているから私もびっくりしました。歩けなくなったらどうしょうかと思いました。とにかく処置して血が収まりましたけど、化膿でもしたらと心配があるのですよ~」

 顔見るなり一気にまくしたてられて~

  口挟む余裕もないのです。

 一息ついたのを見届けて割り込みました。

 「お宅の子供さんに私とこの娘が怪我さしたそうで、お詫びに伺いました。申し訳ありません。ミカちゃん~」

 「ゴメンナサイ~」

 「へえ~女の子がね~男の子に怪我さしたの?可愛い顔して気が強いんだ」

 「こんなことする娘じゃないのです。なにか母親の悪口を言われて怒ったそうです」

 「なんですか?うちの子供が、大人の奥さんの悪口言ったというのですか?言っときますけど、うちの息子は女の子に殴られて泣くようなおとなしい気の弱い子です。大人の悪口なんか言える子供じゃありませんよ」

 目吊り上げて食って掛かるように言われて、慌てました。

 「いえ、そばで見ておられた年配の奥さんが言われたのです。この子が言ったわけではありません」

 「言ったかどうか?息子に聞きます。おいで~」

 奥さんが声張り上げると、男の子が間髪入れず扉を開けて出てきたのは、部屋のなかで私達のやり取りを聞いていたのでしょう。

 その男の子の膝に白い包帯が巻かれているのを見たのでしょう。ミカちゃんが声上げたのです。

 「痛かった?ゴメンネ~」

 「ううん大丈夫、痛くないよ。」

 笑顔で首振る息子さんに、安心してミカちゃんも笑顔見せます。           でも奥さんにしては、その息子さんの返事が気にいらないのか、𠮟りつける口調で

 聞くのです。

 「お前、この娘さんに何言ったんだい。言ってごらん」

 「僕は~」

 口開きかかけて、でも~と言いかけて急に顔こわばったのです。視線がミカちゃんに向けられています。

 なに?ミカちゃん見たら、怖い顔して男の子を睨みつけているのです。

 言えばただでおかない!そんな表情です。

 「僕、何言ったか、忘れた~」

 やっと男の子は口開きました。

 「もう、しっかりしよ。自分の言ったことぐらい覚えておくもんだよ」

 母親は叱りつけると私に視線向けたのです。

 「それはそうとまだ名前聞いていませんけど、貴女どちらの方?」

 言われてあっと思いました。

 顔合わせた途端に畳みかけるように言葉がきて自己紹介もしてなかったのです。

 「失礼しました。〇〇商事の穂高と申します。そこの会社の社宅に住んでいます」

 「ええ!貴女が穂高さんの~奥さん?」

 一気に奥さんの表情が変わりました。

 作ったようなだけど、笑顔になったのです。

 板張りに座ると正座したのです。

  「子持ちの穂高さんが若い綺麗なお嫁さん貰ったと、会社では噂になっていると聞きましたけど、ホントです。お綺麗です穂高さん」

 なにか気持ち悪いような変わり方の奥さんです。

 「ありがとうございます。主人がお世話になっています」

 「とんでもない。うちの主人はぺいぺいです。穂高さんは会社の立派な社宅に住んでおられて、今は海外赴任されてご苦労様です。帰ってこられたら本社に栄転されるという話だそうで、私のほうこそよろしくお願いします。」

 三つ指付かんばかりに頭を下げる奥さんに、どぎまぎしてどう対応したらいいのか分かりません。<正人さんたら会社ではそんなエリートだなんて、教えてくれないのだから~。そういえば本社に行くて言っていたけど>

 なにか正人さんには私の知らないことがあるみたいです。

 とにかくここでは相手がどうあろうと、見下ろす態度をとってはいけないというのは、病院勤めで経験してきたことです。

 「いえ~会社のことは私分かりませんのでお気になさらないで下さい。それより娘がミカが子供さんに乱暴して怪我さして申し訳ありません。後刻あらためてご挨拶に伺います」

 「いえいえ、いいのですよ。女の子ととはいえしっかりされているということですよ。矢張り男のお母さまだと男勝りになられるのでしょうか?」

 最後の言葉にがん!と頭に火花が散って打ちのめされました。

 「男のお母さん?」

 思わず口走ったのを奥さんははっとした表情になって、自分の失言に気付いたようです。

 「すみません。違うのです。噂~噂です。主人がつまらないこと会社で聞いてきたのですよ。いま、奥さんとお会いして分かりました。ご主人の出世を妬む人の嫌がらせですよ。こんなに綺麗でお若い方が男性だなんてそんな筈ないと信じていますから信用してくださいネ」

 しきりに言い訳する奥さんに、言葉が返せないまま頭下げて外に出たのです。

<続く>