55回

 エレベーターから一歩脚踏み出したのは私だけでした。

 扉が閉まるまで、私と正人さんはエレベーターの内と外で手握りあっていました。

 会社のビルの外に出ると、街灯の淡い光だけで暗さが道路を覆っていました。

 正人さんの住むビルを見上げると、窓の黄色い光が窓枠の形だけ浮かんでいました。その上は暗い夜空に星が瞬いています。

 

 正人さんに抱きしめられた興奮がまたよみがえってきます。

 家に帰る気分ではありません。喜びが高揚感となって叫びたい~そんな気分なのです。このわくわくする喜びを誰かに伝えたい~考えると、その相手は由美さんしかいません。

 駅に着いて乗った電車の行先は、当然のように女装クラブのある駅に向かっていました。

 乗客の少ないのを良いことに、由美さんにメールでなく声で伝えました。 

 小声だけど、興奮気味の言葉は私だけではありません、話を聞いて由美さんも興奮気味の声となって返ってきました。

 

 <プロポーズされたのよ~>聞いて、聞いて~言いたい言葉を言った嬉しさは抑えきれません。

 電車の内です。嬉しさの声、叫びたい気持ちがあってもかろうじて自分を押さえました。

 

 

 女装クラブに着いて廊下を歩いて、談話室の戸が空けはなたれ男性たちがたむろしているのを、視線で捉えたときです。

 「あきさん女装さんがみな消えてしまったんだけど、あきさんだけでも入ってくれませんか?」

 「ごめんなさい。フレンドさんが待っていますので」

 呼び止められたのを振り切ってメイク室に這入ったのです。

 「あきさん、おめでとう~」

 部屋の戸を開けた途端です。

 合唱のようにおめでとうに包まれたのです。

 女装さん達に囲まれて、てんでに握手とはぐです。

 「プロポーズされたって~うらやましい~」

 「女装子が奥さんになるなんて、夢みたい~」

 お祝いの渦に囲まれて、私自身も夢の中にいる気分です。

 

  確かに女装子が彼氏ならともかく、奥さんとして家庭に入る女装子はありえないことと思われることを、私が成し遂げた~他人事とはいえ女装子には共通の喜びになるのかもしれません。

 <私の正人さんとのなり染めのこと><ミカちゃんとの母親になったいきさつ>

などなど~質問の嵐に包まれる私です。

 見かねた由美さんが間に入り女装子さん達を談話室に追いやります。

 

 やっと由美さんと二人きりになって椅子に座ったら、今度は由美さんの質問なのです。

 「それであきさん、正人さんが正式にプロポーズしたいて~どうゆうことか?わかる?」

 「さあ~多分正人さんのお母様が金曜の夜来て私と交代して、ミカちゃんを見ることになっているから、多分お母様の前で結婚の話をすると思う」

 「そうでしょうね。それでお母さんは貴女が女装子ということご存じなの?」

 「いいえ、正人さんもそれは悩んだようだけど、昔気質の母には受け入れがたいことと思うから、言わないでおこう。となったの、だから正人さんに<女性として母に会ってください>と念押しされました」

 「う~ん、仕方ないでしょうね。でもあきさん分かっているでしょうけど、それは大変なことよ。お母さんに気づかれないように、一時ならともかくず~と騙すなんてできないのではないか?それが心配になってきた」

 「たしかに私もそれ言われると自信ないの。また前のように風呂に一緒に入ろうと言われたら終わりだもの」

 「正人さんそこまで考えてくれているのかね?」

 「それが正人さんたら平気なのよ。ばれたら話します。母は分かってくれます。そういうの、問題はとにかく私が家庭に入って一諸に暮らして、嫁の実績つくることですて~そうすれば母は認めるしかないでしょう。まあ、時間稼ぎです。て、~正人さんはそう言って平然としているのだから、私も返す言葉がなくて」

 「ふふん~優しく物わかりいい人だけど、正人さんやるわね。会社でもその調子で偉いさんになったのかもね。」

 なにか感心する口ぶりの由美さんに私もうなずくほかありません。

 でも、考えたらそれができるようにするには、私の嫁としてお母様に認められる働きすることが前提になるのだから、結局は私次第ということになるのだもの~ああ、矢張り大変なことと思うのです。

 

 「ああ、そういえばあきさん、ミカちゃんのほうが大変だよ。まだあきさんのことを理解できる年齢じやないし、あきさんの性別に関することは、成人になったミカちゃんに理解させることできるようになるまで待たないとね。」

 「そうなのよ、今はママ、ママ、と言ってくれているから、何とかなるけど、年頃になったらどうしたら?私の性別のこと知ったら嫌悪感でいっぺんに嫌われるかも?

それが私怖いの由美さん」

 「今はそんな先のこと心配しても仕方ないでしょうあきさん。取り合えず今のミカちゃんに対して本当の母親になりきること、それしかないのじゃない?」

 言われてみれば確かにそうです。

 そうだった、正人さんに私は<ミカちゃんのいい母親になります>約束しているのですから。

 「でも由美さん明日にもミカちゃん私とお風呂したいと言いかねない。どうしょう?」

 「ふふ~心配しないで、私がそのためにあきさんの結婚祝いに考えているものがあるからね。それまでミカちゃんにも時間稼ぎしなさい」

 言って笑う由美さんです。

  

 あくる日から正人さんを会社に送り出し、まだ保育所に行けないミカちゃんの本当の母親として相手をして、そして主婦としての私の訓練の毎日が続きました。

 でもそれはわくわくする毎日でした。

 正人さんと毎日話ができて、そして玄関で、エレべエーターで正人さんの強い抱擁とキッスを受ける、そんな日々だったからです。

<続く>