㊻
「お早うございます。早くからご苦労様です。ミカさんのお母さんですか?」
笑顔向ける年配の看護師さんに聞かれて息飲んで、咄嗟に言葉が出てきません。自分ではそのつもりでいたのにハイという言葉が出ないのです。
「いえ、身内です。昨夜はお世話掛けました」
矢張りママはできません。咄嗟に出た言葉は思う言葉でなく、言い訳のような返事でした。
「あら、そうだったのですか?てっきり奥様だと思って失礼しました。そういえばお若いですね。いえ、いいのですよ。ご主人から聞いております。お子さん熱下がって良く寝てられますよ。病室にお入りください」
「ありがとうございます。退院すぐできそうですか?」
「午後の回診で担当医がきますので、そのとき返事できるように連絡しておきます」
答えた看護師さんの笑顔が私をほっとさせました。
<大丈夫ですよ。すぐ退院できますよ>そう言っているように思えたのです。
でも身内なんて言ってしまったけど、正人さんをご主人と言ったのは矢張り私を奥さんだと思われているようです。
頭下げて詰め所と向かい合わせになっている病室の名前を確認して入りました。
引き戸の扉を静かに開けると、部屋の電気は消されているけど、ミカちゃんの寝ている姿が浮かび上がっているのは、窓の明け方の光が差し込んでいるのと、枕元のライトの明かりが灯っているからです。
ベットに近づいてのぞき込むと、ミカちゃんは寝息たてて眠っていました。寝汗のせいか額にまつわりついた黒い髪をそっと指先で剥がします。頬が少し赤みを帯びているのは血色が戻ってきているようです。
ベットの脇の椅子に腰をおろし、白いシーツに覆われた毛布から腕を出しているミカちゃんの手をそっと握りました。
私の手に子供特有の熱い熱が伝わってきます。
「ママが居ますよ。安心して眠るのよ」小声でつぶやきます。
私は女装子の身を忘れていました。母親の気持に浸っている自分があって、そこから抜け出すことできないでいました。
<私はミカのママ~そう思うことで、幸せな気持ちが私を包み込んで、静かな寝息のミカちゃんの寝顔を飽きることなく見つめ続けているのです。
夜はすっかり明けて、病室の窓から陽が差し込んできます。真近く山の斜面の木の緑が薄いカーテンを通して綺麗に写り、鳥のさえずりも聞こえるのです。
ミカちゃんの小さな手を両手で包み込んで、カーテンの白い光を受けながら鳥のチチ~というさえずりを
聞いていると自然とまぶたが塞がってくるのです。
私はミカちゃんに手を引かれて歩いていました。
緑の樹木が私達の両側に植込みのように先へ先へと続いているのです。それが私達が歩いても歩いてもその情景は変わることがないのです。
私の横を緑のカーテンが流れて動くだけです。
ミカちやんは体を前にそらして、顔だけ私に向けて私の手を引っ張っています。口動かして私になにか言っているのだけど聞こえません。でも言っていることは私にわかるのです。
<ママ早く早く~>言いながら私の手を引っ張ります。でも私の足が前に進まないのです。それなのに緑のカーテンが後ろに流れて行くのです。
私は動かない足を動かそうと焦ります。
<ミカ待つって~>私は手を引かれながら叫ぶのだけど声が出ないのです。
それなのに今、私の耳に「ママ、ママ~」ミカちゃんの声がはっきり聞こえて、手を引っ張られるのが感じられます。
「ママ起きて~」
ミカちゃんの声が耳元で聞こえて我に返りました。夢見ていたみたいです。うなだれていた頭を上げるとミカちゃんの笑顔の顔と向き合いました。
「あら~私、寝ていた?」
声上げるとミカちゃんはにこりと微笑みます。
「ママお早う、ママ来たのミカ知らなかった~ミカ寝ていた?」
「お早うミカちゃん。そうよママ来たときミカちゃん良く寝ていたよ。それよりお熱はどうなの?体温計で計る?」
「大丈夫ママ、ミカ元気だよほらね~」
ミカちゃんは半身を起こすと頭を私に突き出します。
私も手の代わりにおでこを突き出して、ミカちゃんのおでことくっつけあいします。
「ホント熱下がっている。良かった~ミカちゃん」
「じゃ、お家に帰れるね?」
「すぐ帰れるよ。昼からお医者さんが来ていつ帰れるか教えてください、と、ママ頼んでおいたからね」
「うれしい~でもママ~帰ってもママ居てくれる?」
「う~んそれがママもお仕事あるからいつまでもと言えないけれど、ミカちゃんが病院にいるあいだはママは一緒にいるからね」
「じゃ家に帰らない。ミカ病院にいる」
叫ぶように宣告されて慌てました。
こんなときどうすればいいのか?ミカちやんに答える言葉が見つからないでいる私です。
<続く>