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予想だにしないことです。お母さんとは初めて会ったというのに、まさか<一緒に風呂に入りましょう>なんて、そんなこと告げられるなんて~。
私は動転していました。どう返事したものか?答えが見つからないのです。
まさか?風呂など入れる筈ありません。
<年配の女の方は見る目が鋭いからね>由美さんの教えが今になって思い当たるのです。
お母さんは私の体を見たいのだろうか?本で読んだことがある。昔は姑<しゅうとめ>や近所のおばさん達が嫁になる娘の体を検分して、子供を産める体かどうかを調べたと~
ということは~ええ、さっきの正人さんの言葉思い出します。
<母は貴女が気にいったのですよ>
そんなこと考えると、初めて会ったというのに<お風呂に一緒に入りましょう>お母さんの言葉が辻褄<つじつま>合います。
それにたとえ一人で風呂に入れたとしても~ダメ~着物の着付けができない~。
逃げ道がない思いです。頭が真っ白になって~
「あきさんどうしたの?遠慮しなくていいのよ」
お母さんの催促に、「ダメなんです」反射的に答えたのです。
「ダメ?」不思議そうな顔つきになったお母さんは、でもすぐに笑顔になったのです。
「ああお客さんね。あるのよ、大丈夫と思っていたのに環境が変わると突然お客さんがあるものよ。そらそうね。よそさんでお風呂使うの気が引けるわね」
ひとりうなずくお母さん。一人合点されていても私にはなんのことか?<でも助かった~>肩の力が抜けて安堵の気持ちです。
後のことだけど病院で女性職員に聞いたら<お客さん>は女性の生理のことだったのです。
でも言われたのです。
「ああ、主任そんなこと聞いて、お嫁さんもらうの?」て~ため息つきました。私は女なのに~
そうだったのです。生理の体で他人さんの風呂にはいるのは失礼と、私が思ったのだと~お母さんは解釈したのだと。
「じやお母さん襟足だけ拭かさして頂きます。」
お母さんに断り言って、洗面所に入ります。大きな鏡のある広くて百貨店の化粧室のようです。隣の仕切りを隔ててミカちゃんの正人さんとの話声が聞こえます。
手を洗い、備え付けの戸棚に積み上げられているタオルをお湯に浸して首筋~襟足を拭きます。鏡を見てパフを叩いてメイクを直し、髪を整え、着物の乱れを直します。
<ホントに危なかった~>お母さんとのやり取りにつくづく思います。でも自分のあり様にも疑問があります。<なぜ私はこんなはらはらする思いまでして、この家とお付き合いしているのだろう?><ここまでのめり込んでどうなるのか?>女装子の私にはこの家に座る場所はある筈ないのです。
女装サークルに居れば、女装子として堂々と楽しめるというのに~
由美さんや優子さんはどんなつもりで、ミカちゃんでなく正人さんに送り出すための、私のためのおぜん立てしたのでしょうか?単なるお付き合いだったら別としても、正人さんの家に主婦として入れるなんて、そんなことあり得ないことは彼女達は知っている筈です。一体、何を考えているのか?
私には彼女たちの気持ちが分からないのです。
渦巻く疑問のなかででてきた答えはミカちゃんでした。
「ママ~」そのまといつく叫び声が私を引き付けるのです。
<これって母性愛なの?>私は鏡に向かってつぶやきます。
「ママ早く~ご飯だよ~」ミカちやんの呼び声に我に返りました。
「は~い」答えてキッチンに入ります。
キッチンテーブルには三人が座っています。
「あきさんそこのエプロン使ってください。着物汚れるといけないからね」
お母さんに言われてエプロンつけて座ると、テーブルにはいくつもの料理を盛った大鉢が並べられています。私の前には小皿が二つ箸を添えて可愛い茶碗と並んでいます。
それぞれの大鉢には~肉じやがです。卵焼きが三角に切って盛り付けられています。きんぴら牛蒡。ほうれん草のゴマ和え。サバの味噌煮。小鉢にはお漬物です。
「まあ~凄い~お母さん素敵なお料理ですこと。」
「いえ、あきさん手料理よ」答えながらもお母さんは笑み浮かべ嬉しそうです。
「あきさんご飯の前にこの料理でビール飲みましょう」
はずんだ声で正人さんが誘います。
「お母さんあきさんにコップ~」
「ハイハイ~」
受け取ったコップに正人さんがビールを注いでくれます
「じや、乾杯しょう」
正人さんがビールのコップを上げます。
「ミカも乾杯したい~おばあちゃんもだよ」
「ハイハイ、ミカちゃんとおばあちゃんはビールのの代わりに麦茶にしましょう」
そうだ、こんなときはお客さんぶってはいけないと気が付きました。
「私が~」ミカちゃんのコップにお茶を注ぎ、「お母さんどうぞ~」とお母さんのコップにお茶を注ぎま
す。
「じゃ、ママに乾杯~」正人さんが声張り上げます。
正人さんがビールのコップを掲げ音頭取りします。
「乾杯~」皆で唱和します。
「美味しい~ママ」ミカちゃんが声上げたのに皆な笑います。
「正人さんなにか家族が揃ったみたいね」笑顔のお母さんです。
「そうですねお母さん。あきさんが来てくれたお陰です」
「そんな~私こそ久方ぶりに家族の雰囲気味合うことさして頂きました。それにお母様の料理懐かしい家庭料理です。一人暮らしではこれだけの料理並べることできません」
「あきさんいわゆる<おふくろの味>ですよ。素朴でも毎日食べても飽きないし、安い食材でたっぷり量があってね。あはは~手前味噌でした」
「いいえ、うらやましいです。こんなお料理食べられて~」
それは私の本音でした。マンションの一人住まいには贅沢な3LDK の部屋でも、勤めから帰って扉を開けると今の時期、むっ~とする熱気がこもっているのです。
そして食事の支度は自分でするしかない我が家なのです。
「正人さんあんまり自慢しないで、あきさんに恥ずかしいですよ」
お母さんは口ではそう言いながら、ミカちゃんの小皿に卵焼きを載せているのです。
「いいえお母さん、材料が品数が豊富で美味しくて、こんな豪華な食事レストランよりずっと私の好みです」
「あらあら、そんなに喜んでもらって私も作り甲斐あります」
「あきさんそれならここで一緒に住めばいいですよ」
「ええ~そんな~」
「正人さんそれは言いすぎですよ。あきさんびっくりされてるじやないの」
お母さんが正人さんをたしなめるのですが、口先だけなのはしきりに頷いてられるのでわかるのです。
「ミカちゃんもいいね。おばあちゃんの料理食べられて」
「そうだよママ、おばあちゃんの料理大好き~パパのは美味しくないけどね」
「こら~」正人さんが声上げて、また皆で大笑いです。
この雰囲気~十代で両親亡くしている私には、幼いころの記憶が蘇るような気がするのです。
<前編終わり>
注・92歳の小説にお付き合い頂いてありがとうございます。今年はこれで前編で終わりとして来年後編としてお目にかかります。
つたない小説ですが、感想、意見など頂ければ励みになります。
年末には<閑話休題>として、私の写真や近況をお伝えします。冬野あき<愛称>とくみ