<写真・2021年6月・スタジオで>90歳と8ヵ月

 

㊷ 女装がばれたとき〜

 

 二〇一六年のことです。

 まさに不意打ちでした。

 

「貴方女装しているでしょう!」

 開口一番言われたものです。勿論、奥方にです。

 

 どこか抜けたところがある私ですから、女装してはバレるようなことをしばしばしている私です。

 でも妻は多分気づいているに違いないと思うのですが、そのことで妻は私を問い詰めるようなことはありませんでした。

 

 でもいつかはのっピリならぬことになって女装を白状することになると〜私は覚悟はしていました。

 まあ、覚悟なんて大層なことだと思うのですが、それは私の場合の話なのです。

 

 

 女装さん達の話聞くと、家族に<カミングアウト>するということは大変なことなのです。家族に打ち明けると決意したとき、どんな反応が帰ってくるかと思うと、それは途轍な勇気のいることなのです。

 

 女装がばれて妻と、子供と分かれる羽目になった女装さんは、私のフレンドさんだけでも何人もいます。

 

 「もう会うことはない。縁切りだから〜」奥さんに言われたのではありません。息子に告げられたと言うのです。

 

 その話をフレンドさんに打ち明けられたとき、私はその凄惨さに息のみました。

 女装するために支払う、そのあまりにも代償の大きさに圧倒させられたのです。家族の絆を断ち切ってまで〜そこまでするか?

私にはそんな勇気はないと思ったものです。

 

 でも私は女装しています。女性に変身することで男では得られない美しい自分を勝ち取ることのできる喜び〜。この魔力に取り憑かれた想いは捨てることなどできません。

 

 フレンドさんは私など足元にも寄れない苦悩と引き換えに、その想いを貫いているのだと私は理解するのです。

 

 ごく最近まで、社会の偏見の根深さは、親でも妻や子まで理解できないものとして偏見から抜け出せないものにしていたのです。

 

 今、地方自自体でも<性の多様性を認めよう>とチラシが配られたり、進んだところでは<パートナーシップ制度>が施行されるなど社会は変わりつつあります。

 

 

 それはそれで歓迎すべきですが、でも人の思想というものは、社会の大変動でもない限り変わっていくのに一〇〇年かかると言われています。

 

 しかし今、 トランスジェンダーの人たちや、それに理解ある人々の啓蒙活動運動が

人々に植え付けられた偏見を取り除くのに役割を果たしています。

 

 <受け入れてやりたい〜でも、わかってやることができない〜>家族の叫びがなくなるまで、まだまだ啓蒙活動が必要とおもうのです。

 

 

 妻との話に戻ります。

 

 先に書いたようにどこか抜けたことある私です。家族に内緒に女装していてもバレるようなことをしばしばしているのです。

 

 爪を真っ赤に染めて帰ったり、ショーツやブラを暖房の部屋で干して取り込むのを忘れたり〜

 

 そのたびに妻にカーバーされていました。

 でもその行為は単に旦那の女装癖を、世間に知られたくない。その気持〜自己防衛からのもので、私の女装を理解するものではありませんでした。

 

 でも妻は私を咎めだてはしませんでした。黙認?そんな態度で私と接していました。

 

 私もまた、妻の心根に答えて、我ながら涙ぐましい努力しました。亭主関白の私が

打って変わって、洗濯物取り入れたり、炊事の手伝いしたり、掃除機持ったりと〜

 

 ときには妻を旅行に連れて行き、買い物の付添いに行って妻の服を買うのに共に選び、買った服を褒めて〜妻を喜ばすことに一生懸命〜

 

 それもこれもただ私の女装を認めてもらいたいばかりの妻へのサービスでした。

 

 それなのにです。その妻が「女装しているでしょう!」

 追求されても、まるで心当たりない私です。バレるようなへまやった覚えがないのです。

 

 妻に初めて言われた「女装しているでしょう!」ストレートに言われ「た言葉。すごく堪えました。

 

 とにかく怪訝な表情して否定も肯定もせずに次の言葉を待ちます。

「貴方、私の服着て女装したのでしょう」

 

「一寸〜私、貴女の服など着ませんよ。第一、貴女の服など着れるわけないでしょう。私の体のサイズ貴女が一番知っているでしょう?」

 

 両腕を水平に上げて背中を見せます。

  

「そういえばそうやね?」首かしげてつぶやく妻にぴんときたのは、どうも妻は私の女装より自分の服を私が着たことのほうが問題なのようです。

 

 「でも納戸にあったのが貴方の洋服タンスに吊ってありました。貴方が着たからじゃないの?」

 確信を持った態度で言われても、私には覚えないことです。

 

 「絶対私は着ていませんからね。サイズが合わないのに着れる道理ありません」

 こういうときは断固とした態度をとらなければ、曖昧な態度を取ると疑われて犯人にされます。

 

 でも?ふと思い出したのです。

 暮れに娘が来たとき納戸の整理してくれたのです。それが私うっかりしていました。洋服タンスに女装服をメンズ服と並べて吊っていたのです。

 

 娘はそれを見て妻の衣装だと勘違いしたのでしょう?

 納戸に吊るされていた妻の洋服を、私の洋服タンスに女装服と並べて吊ったのに違いありません。

 

 そう解釈すると答えはでたのです。でも、それを妻に言えないのです。だって言えば女装服のことの説明を、妻だけでなく、娘にも話題になってくることに気がついたのです。

 

 答えは出ても言えません。結局妻と押し問答の末、答えはあるのに、答えが出ぬままに終わったのです。

 

 でもわかったことがありました。

 妻には私の女装より、服の行方のほうが大事だっみたいなのです。

 

 

 どうも私の女装は知っているけど、私の将棋好きと同じ次元で女装を見ているようなのです。

 

 女装を主人の単なる趣味か?道楽?遊び位に思っているのでは?

 まあ、そう思ってくれるなら私も気が楽だし〜と、勝手な解釈していました。

 

 でも内心なにか割り切れぬ思いが気持ちの中に沈殿しているのです。

 奥さんや子供さんから縁切りされても女装を貫くフレンドさん。

 

 家庭にも職場にも秘密にして神経すり減らしてでも、女装にのめり込んでいる所帯持ちの仲間たち〜・

 

 比べて私はのほほんと女装を楽しんでいるのです。なにか女装をフアッション感覚で捉えているみたいです。

 

 そして妻は?

 それが押し問答して2,3日たってからです。

 

 妻とおしゃべりしていると、突如として〜

「貴方、女装て〜人前で一人恥ずかしいことしているのじやないでしょうね」

 <ああ、まだ忘れていないんだ>

 

「とんでもない!一人じゃないですよ。みんなでするのですよ。」

 なにか自分でもピント合わない答えだと思うのだけど〜。

 

「なんでそんなことするの?」

 これまた質問もピント合わないけど?

 

 「いえ、イベントですよ。女装してお酒飲んだり、歌ったりするのです」

 「ふ〜ん、男の人て変わったことするのね」

 

 やはり田舎のお嬢さんだと思いました。

 多分、女装のこと、その世界があることも理解できないのでしょう。

 

 社会の差別と偏見をなくすには啓蒙活動をと、わかったようなこと言う私ですが、妻にはそれよりも、私のありのままの姿を受け入れてもらおう〜。

 

 そんな気持ちになってきた私です。

 私の女装写真見せて〜そして私の女装した姿を実物で見てもらおう〜

 

そして女装姿で妻と連れ立って婦人服店めぐりする〜

わくわくする未来に向けての女装プランです。

 

五年余り前の幸せな想いでいたときの私でした。<続く>

 

(注・やっと目の手術が終わって、続きを書くことできるようになりました。

 よろしくおねがいします)とくみ