2019年9月89歳

⑩ 解けた出生の謎

 産婆さんの家は大通りに並ぶ商店街の間の路地を入ったところの、古ぼけたアパートの一室だった。

 ぎしぎし音がする板張りの廊下を歩いて、何室も並ぶ扉の号室を確かめて私は目指す号室の扉の戸をノックした。

「だれどすえ?」

 応答がしたが、しばらくしてから戸が引かれた。

 小柄な髪の真っ白な老婆が姿を見せる。

 「どなたへんどすえ?」下から見上げて問いかけられる。八〇台はたしかにみられるおばあさんだ。

 私は用件を手短に話す。

 だが私が産婆さんと言うと途端に「助産婦どす~」と返事が返って驚いた。

 しかし私の笑顔につられて笑みを浮かべる。

 「また古い昔の話を聞かれるのどすな~」

 老婆は欠けた歯を見せて笑った。

 「別に母と不仲で親探ししているわけではないのです。戸籍と実際の違いの理由を知りたいだけです」

 言い訳みたいだと思いながら私は笑みを見せる。

 「私の取り上げた人どすもの粗略にできまへんな~せまいとこやけどお上がりやす」

  勧められて私は六畳ほどの畳敷きにキッチンがあるだけの部屋に上がり込む。

 近所のお菓子屋で買った紙包みを老婆の膝に滑らす。

 老婆はおおきに~礼を言って<よいこらしょ~>かけ声上げて立ち上がると、キッチンの戸棚を開け、内から分厚い和紙閉じの古ぼけた冊子を何冊も取り出し小さなちゃぶ台に積み上げる。

 「あんさん何年生まれどす?」問いかける。

 「昭和五年9月22日生まれですが」

 私の答えにうなずくと冊子を1冊ずつ確認している。多分赤子の出産の記録を年次毎に冊子になっているのだろう?

 なんとなく私の内で期待の思いが沸き上がってくるのを覚える。話を聞くつもりがなによりの証拠となる記録があつたのだ。

 「あったあった~それでお母さんの名前を教えておくれやす」

 和綴じの冊子をパラパラとめくっていた老婆が声を上げて私に問いかける。私が母の名を告げると、うんうんうなずいて私に冊子を手渡してくれた。

 長い年数のなか保存されてきた黄ばんだ和紙に薄くなった墨の字が書かれている。

 目を走らして私はすぐに母が私を産んでいることを知った。

 しかしそれよりも新しい疑問が私のなかで広がった。

 ○○タカエ 昭和五年十一月二二日 男子出産いや、十一月が消されて九月になっている?これはどういうことなのか?私は不審の眼差しを老婆に向けた。

 「十一月が消されて九月になっていますが?どういうことでしょう?」

 「たくさんの赤子取り上げたからいちいち覚えているわけではおまへんけどな~あんたはんのことだけは忘れまへん。生まれた月変えたのどすからな」

 「生まれた月を変えた?そんなことできるのですか?じゃ、私はホントは十一月生まれということですか?」

 「そうですねん。あんたはんのお母はんに頼まれてな~タカエというあんたのお母はんがなこの赤児をてて<父>なし子にしたくないと泣きつかれてな」

 「それで十一月に生まれた子を九月に生まれたと籍に入れたというのですか?なぜそんんこと母はお願いしたのでしょうか?」

 「そうでしゃろう~わても沢山な赤子取り上げましたが、そんな頼みされたのは初めてどす。それで事情聴きましたのや。そしたらあんたはんもご存じのように、あんたはんのお父さんが急に亡くならはって、あんたさんの認知をする間もなかったというのどす。」

 「なるほど父が亡くなってから子供ができると、生前の認知がなかったらててなし子になるからですか?」

 納得したつもりで答えたがふと私のなかに疑念がわいた。

 「それだったら父の死亡届の前に認知届しておけばすむことでしよう。なのに11月に生まれた子供をなぜさかのぼって九月に生まれたと届けなければならないのです?」

 多分、そのために助産婦さんに無理な頼みをしたに違いない。当時は結婚届も妻が出産してから届けたのが普通だった。

 日をおいて届をするのが一般的だから、助産婦<現在は助産師>も抵抗なく母の頼みも受け入れたのだと思う。分かりながら私には疑問は解けないでいた。

 「じつは今だから言いますけどな。産後の様子見にタカさんとこ行きましたのや。丁度、玄関に入ったらいい争いしているのを耳にしましたのどす」

 「言い争い?誰と誰がです?」

 「タカさんとおばさんの二人が叔父さん相手に偉い剣幕で怒っているのがふすま越しに聞こえましてな~わても引き返しかけたけど、生まれたやや児の話と分かって聞いてしまいましてん。そしたら喧嘩の話というのは、今、あんたはんが聞かれたことなのどす。タカさんが11月1日が予定日だというのに旦那はんが亡くなって、子供が生まれたら籍をどうしょうということなんどす。なんでそんな話になるのか?不思議に思いましてな、だってあんたはんが言われるように、旦那はんの死亡届けの前に出産届けだせば済むことですものな。ところがそれなんどす。家の主人の急死どすから家の中てんやわんやですわな。それで叔父さんという人が気利かして旦那はんおの死亡届けの役所の手続きを代わってされたというのどす」

 「ところが赤子の認知届はしていなかったということですか?それでその始末をめぐって喧嘩になったということですか?」

 「そうですねん。お父はんの死亡届出す前に認知届出すつもりだったのに、叔父さんが気利かしたせいで、赤子がててなし後になった~家の跡継ぎがなくなった~どうするつもりや~と、

 おタカさんと叔母さんが、叔父さんを責めていますのや」

 なるほど、そういうことだったのか?私にはいきさつが読めてきたのである。それで苦肉の策として私を一旦叔父さん夫婦の子供として入籍して、養子という形で祖母の籍に入れて家の跡継ぎとしたということなのだ。

 叔父さんがことのいきさつを、息子にも言わなかったということも分かってきたのである。

自分のミスで子供の一生を狂わせた責任を感じていたのであろう。だから自分達夫婦の子供として、私を入籍することを認めたのだ。

 

 私の疑問はこれで一きよに解けたと私は思った。すべては家名を守るためであったのだ。

 しかしふと私の脳裏に浮かび上がってきた疑問があった。

 <待てよ~私は11月生まれ、父は九月に亡くなった。私の認知届を父の死亡届けより先にするといっても、私は父の死亡より2月後に生まれているのにどうして私の性別の届けができるのか?>

 また私は訳が分からなくなった。母や叔母はできないことと分かって、結局自分達の子供にしたうえで養子として私を父の跡を継がす道を選んだのか?

 でも、そうとしてもまだ分からないことがある。

 それならなぜ11月に生まれた私を九月生まれとしたのか、しかも戸籍でも私は九月生まれとなっているのだ?これはできる筈ないことなのだ。そう、生まれる前に届を出すことになるのだ。できるはずがない。

 「本当に私は11月生まれですか?実際には私は九月生まれではなかったのですか?それに、なぜ私が九月生まれとしなければならなかったのかもわかりませんが」

 私は勢い込んでいた。迷路に迷い込んだ気持ちだった。

 「そうどっしやろ~わても思いましたし、叔父さんもそう思われたに違いおまへん」

 老婆はうなづきながら、私の膝に広げられている黄ばんだ冊子に書かれている墨字の性別という文字の下、<男子>と書かれた字を指先でなぞった。

 「これですねん。お父はんが亡くなられて、おタカはんはお腹の子供のこと真っ先に考え張ったのどすな。このままではできた子供はててなし後になる。お父はんの跡継ぐことできへんと

思われたのに違いおまへん。それで助産婦のわてに二人が、あんさんの出生の日を九月のおとうはんの亡くなる前の日にしてくれと~頼まれたということどす」

「なるほど~そうすれば父の子供になると~でも、それは無理でしょう。まだ生まれていない子を男か?女?かの性別も分からないままに届けることは」

 「そこなのんどす。それで叔父さんはご主人の死亡届だけを出されたということどす。でも、そのために奥さんやタカさんともめたのどす」

 「でも、それでも私は11月でなく九月の出生になっていますが?」

 「それは喧嘩になって叔父さんが折れて、まだ生まれてない児の出生届けだしたのどす」

 「ええ、なぜですか?叔父さん、叔母さんの子供として届けるのだったら、産み月の変更は関係ないでしょう?」

 「それがな~あんさん、そういうわけにはいかなんどす。叔母さんが妊娠していてあんさんの誕生が11月では、月が合いませんのや」

 「月が合わない?」

 問い返してからはっと!私は気づいたのだ。11月では叔母と母との産月と妊娠が重なるのだと~

 「それでも叔母さんのほうがつわりの初めどしたから、9月ならなんとかつじつま合わせでるということで」老婆は笑みを浮かべる。自分の助産婦の現役時代の働きを誇りに思っているようだった。

 「私や母のため無理なこと叔母さんがしたのですね。実際のことではないにしても、9月に出産して、6月にまた出産することになるのですから。でも分からないのは、まだ生まれていない児の性別分からないのに男子として出生届けだしたのでしょう?そんなことできるのですか?」

 「あの頃は男の子が生まれたら国を守る担い手ができたと、お祝いする時代でしたもんな~役所かて細かい詮索なんどしませんでしたしな~」

 でも生まれる子供が必ず男子とは限らないのに~男子の届けだして女の児が生まれたらどうするつもりだったのだろう?私の上の姉弟はすべて姉ばかり、私の家は女系家族なのだ。 

 そんなこと思ったが私は口には出さなかった。

 「それにしても、どうして叔母や母のためにそこまで肩入れしてくださったのです?」

 法に触れるようなことである。助産婦の資格を失えかえないのである。

 「実はそんな話になったのは私のせいですさかい。あんたさんのお父さんが男の児が欲しい口癖に言っておられましてな。私もそれに合わして、元気にお母さんのお腹蹴るから絶対男のお子さんどす。言い切っていましたんや。それでタカさんも叔母さんも男が生まれると信じていましたのや」

 老婆はそう言うと欠けた歯を見せて笑った。私もつられて笑ってしまう。

 内心、私にまつわる出生の謎はすべて解けたと思った。

 だが、なぜここまで面倒なことを叔母や、母はしたのか?すべては家を絶やさないためだったのか?

 私は、私を取り巻く家族が、自分の生きざまを貫くために家という制度に立ち向かったことを知ったのだった。<続く>