① 離れ離れの妻

  私の住むマンションの7階の通路から、真下を見下ろすと遠く海の地平線の広がりが見え、真近には海からの入江が伸びてきて、岸辺にはヨットハーバ」があって多くのヨットがもやっているのが見渡せるのだ。

      でも、通路に立つ私の視線は入り江に留まることはない。入り江を挟んで向こう岸.ビルの連なるなかでひときわ目立つ建物~二つのトンガリ帽子を頂いた西洋のお城のような建物~介護施設に私の視線はくぎづけになる。その建物、介護施設に妻が入所しているからである。私の立つ通路からは本当に真近く見える建物だが、私達の間には、マンションに沿って道路があり、運河のように伸びる入江が横たわって私と妻を隔てて行くことは叶わぬのだ。

 

 朝に夕に玄関を出るたびに通路に立ち止まって、私は妻の姿を思い浮かべてトンガリ帽子の建物を見続けるのだ。

マンションから介護施設に行くには、V字型にバスを乗り継ぎ時間のかかる道中になる。だが妻に面会できるなら、90歳の私だが苦にはならない。だが、マンションの通路に立つたびに思うのは、マンションに沿って走る道路、川幅しかない入江を突き切って一直線に、歩いて妻の許に行きたい~そんな想いに憑りつかれる。

 毎週5日は妻の許に通う私に長女は小言めいた口ぶりで言う。

「お父さんの気持ちは分かるけど、あんまり始終行かないほうがいいのじゃない?施設の介護の職員の人が気にすると思うのだけど~」言いながら難聴の私の耳元に部屋のなか誰も聞く人はいないのに小声でささやく。「介護職員の人が仕事ぶり見られていると勘違いされるでしょう?」

言われるが、内心<私はお母さんに会いに行くだけだ。職員のひとの仕事ぶりには関心はない>言い返しているけど、年寄のかたくなさと思われたくないから「うん、うん」頷いて見せることにしている。そうするとで娘が安堵するのが分かっているからだ。

 だがいくら娘に説教されても私は妻の許に通い続けることは止めない。施設に行って3階でエレベーター降りるとホールで入居者にまじって車椅子の妻の姿を目線で探す。

 「お母さん来たよ~」声をかけると、妻はうつむいていた顔をつと上げる。かすかな笑みを私に見せる。その表情に私は安心感に満たされる。<私を覚えてくれている>安堵が私の中で広がるのだ。

 そんな光景を頭に描いて私は通路に立って、夕暮れに薄墨のようにみせるトンガリ帽子の建物を見て妻の姿を重ねて見る。

 十数人の入居者に混じって車椅子に座った妻が、テーブルに手を伸ばして顔をうつ伏せにして眠っている。枕元には妻のお気に入りのおしやべり人形ネルちやんがちょこんと座っているのも何時も見る光景である。

 眠り込んでいるのではない。刺激もない変化のない時間を過ごす唯一の在り方としてうつらうつらとしているのが、日々をすごす妻の生活だと私は理解している。

 脳裏に焼き付いているその光景を思い浮かべると、私はつらい思いが私のなかを駆け巡るのを覚える。

 朝から夜寝るまで車椅子に座ったままテーブルに身を寄せて過ごすだけ。自分の力で車椅子を動かすこともできないでいる妻が、体を動かすことができるのは、スタップ介助の職員の助けで、トイレや浴場に行くのが唯一の動きになる生活。

 手足を自分の意志で動かすこともできない不自由な身では、部屋に送られてベットに寝かされても多分そのまま、寝返りもできない筈だ。

 そんな妻のありようを思い浮かべると、私は切ない思い、なにもしてやることができないでいる自分の不甲斐なさの思い、そして妻への申し訳ない想いが輻輳<ふくそう>して、入江の水の上を駆けわたって、妻の居るトンガリ帽子の建物に飛び込んでいきたい~

 そんな衝動に私はかられる。

「ごめんね~ゴメンネ~」私は口ずさんで、ただ立ちすくむだけとなる。<続く>

 

 ② 見合い

 妻と私とは見合い結婚である。

 私が27歳、妻は21歳でまだ初々しさが残って、少女のようだと見合いの席上私は思った。

  まん丸い顔に大きな目。色白で頬っぺただけが赤く染まっているのが、幼さを残して印象的なのを、仲人の後に従って部屋に入ってきた彼女を一瞬見て取って私は思ったものだ。

 母と並んで座っている私達に向かい合って、仲人と並んだ彼女は、互いの紹介のあいだも始終うつむいたまま、挨拶の声も消え入るそうな小さな声だったが、小柄だがまるまる肥えた体つきはふくよかで、なにか色気を私に感じさせた。

 そして私は息をのんだのだ。

 おそるおそるのように顔を上げて体を動かした彼女の胸の隆起が、桃色生地に花柄のブラウスを突き破るかと思うほど盛り上がるのを見たからである。

 仲人の彼女の家族構成から始まって、彼女の祖父の時代は船を持つ網本だったこと、今は家の周辺のあちこちにある土地を駐車場で貸す傍らお父さんは米穀商を営んでいることなど~えんえんと続く話も、まるで遠いところで聞いているようだった。

 それより、ただひたすら私はうつむいている彼女の顔に視線向けるより、彼女の隆起がかすかに上下する動きに目を奪われて見つめ続けていたのだ。

 母が私のことをどのように紹介したのか?まるで記憶に残っていない。

 「徳島から来るのは船に乗って、電車に乗って、それはもう大変でそうたびたび私もお目にかかれません。できたらご返事持って帰れたらいいのですが~」今まで母と話が弾んでいた仲人が私に声かけてきて私は我に返った。仲人の問いかけは催促だとすぐ気がついた。

 私はためらうことなく、反射的とも思えるほど即座に承知の返事をした自分自身に驚くほどだった。

 今まで何人もの女性に好意を示され、アタックもされたのに踏み切れなかった私がなぜ一目見てだけ、話もしていない女性を一生の連れそう相手としてえらんだのか?我ながら疑問だったが、後年、女装するようになって自分が乳房フエチと気が付いてその謎が解けたのだった。

 彼女の乳房に魅入られたのだと~事実、彼女と結婚して私の唯一の宝物は妻の乳房だとおもう。

 そして、彼女と出会ったことが、いや、その乳房と出会ったことが私の深奥に眠っていた女装への願望の引き金が引き出された瞬間だったのでは?女装にのめりこんでいくなかで気が付いたのだ。 <続く>