のんママの再発乳がんブログ

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2008年左側全摘手術後ホルモン治療中の2011年12月に鎖骨下リンパ節などに転移。2012年12月癌性胸膜炎で現在休職中。左側の肺に胸水が溜まっていますがとりあえず元気です。治療や日々の出来事、愚痴もあります。

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のんママの娘です

たくさんのコメントやアクセス
ありがとうございます

無事に葬儀を終えて
ひと段落つき、一旦は落ち着きましたので
母のことについて詳しく書かせていただきます



母本人の最後のブログ更新は
入院した21日でした

私は2月3日から
合宿での免許取得のために
新潟に行っていました

途中インフルエンザになり
少し期間が伸びましたが
20日夜に無事に家に着きました

家の中に入ると
座椅子に寄りかかって
苦しそうにしている母の姿がありました
食欲もなく、飲み物しかとれていなく
吐き気もひどかったらしく
本当にぐったりしていて驚きました

私が出発した3日には
元気そうだったのです

一緒に暮らしている叔母の話では
数日前からその状態になったらしく
何度も病院へ行った方がいいのではないかと心配して、声をかけていたらしいのですが
娘の私が帰ってくるまでは
家にいなければ、との母の思いで
病院の先生からも入院を勧められていたのに、しぶっていたようです


21日、学校に呼ばれていた私は
母に見送られて学校へ向かいました

しかし用事が終わり、帰宅しようかというころ母から、「病院へ行きたいから一緒に行ってほしい」とのメールがありました

急いで帰宅すると、あいかわらず
苦しそうにしている母がいました

母自ら病院へ連絡すると
救急車で来てくださいとのことで、
母の指示の元、入院の準備を一通りすませ
救急車を呼びました

意識はしっかりしていて
その時は自分の状態を自分で
話せていました

病院につき、緊急で検査を受けて
そのまま入院になりました

お医者さんから22日に説明を受けることになり、叔母と娘の私、すでに結婚していて遠くで暮らしている姉も呼んでくれ、と言われました


そのあとは様々なところへ
母の入院を知らせる連絡をして
夜まで母の近くにいました


入院した時、母は
苦しそうだったのと
激しい痛みを訴えていました

しこりがあった部分だけでなく
全身に痛みを感じていたようです

胸水を抜き、食欲もないので点滴、
少し熱もあったので抗生剤も
点滴で打っていました

22日、お医者さんからのお話を聞くと
病状のお話、胸水の話、そして
週単位で何かあるかもしれない、との話を聞かされました

そして、痛み止めとして
モルヒネを打ちはじめました

遠くから親戚や友人がたくさん来てくれ
私の知らない母の姿を聞かせてくれる機会も多くありました

その中でも私の姉が、
母の孫を連れて来た時
久しぶりに母に笑顔が戻り
本当に嬉しかったのが印象に残っています


でも母は日ごとに少しずつ
悪くなって行くのが分かりました


しばらくすると、話せなくなりました


頷く、首を振って意思表示する、
そのくらいしか出来なくなりました


モルヒネの影響なのか
目の焦点が合ってないようなことも多く
私や叔母が来ても、あまり反応が見えなくなりました


母の友人から、私の卒業式が明日なんだよと聞くと、口パクで「そうなの?」と目を見開いて言ったのが、私の姿をハッキリと確認して、私を見つめた、最後の姿だったかもしれません


3月1日、私は卒業式をむかえました


卒業式終了後、卒業証書を見せに
母のところへ行きました


サボったり休んだり色々したけど
無事に卒業できたよ、と伝えると
頷いてくれました

その日はここ最近で1番反応がよく
帰るねーというと、手を握ってくれ
バイバイと手を振ってくれました


3月2日、バイト前と後に母のところへ行くと、昨日とは打って変わって、反応が全然ありませんでした

家に帰ってから叔母と、
お母さんは話せないけど
どんなくだらない話でもいいから
一方的でもいいから話すようにしよう
そのような話をしました

そして3月3日、
ここ最近、なかなか母のことが気になって夜もあまり寝れなかったのですが
ようやくウトウトしかけていたような時でした

3時24分、病院から私の携帯に
脈拍が安定していないので
すぐに来てください、と電話がありました


叔母を呼び、叔父に電話をして
病院まで連れて行ってもらいました


病院へ着き、夜間入り口へ走り
階段をかけ上がって行くと
ナースステーションに看護師さんがいました

今は安定してるんですが
脈拍がゆっくりになったりしています
そばについていてくださいとのことで
病室まで走りました

今まで母は横になることができず
ずっと座っているような状態か
前に体を倒して
苦しそうにしているような状態でしたが、
その時は、体を横に倒していました
また、鼻に入れていた酸素が
マスクに変わっていました

口を大きく開けて
苦しそうに呼吸する母の姿が
そこにはありました
目もあまり見えていなさそうでした

そこからはずっと
母の手を握っていました

看護師さんが様子を見に来て
心臓につけていた小さな心電図のような機械を、たびたびつけて確認して

3回目来た時に看護師さんは
白衣を着たお医者さんを連れてきました

聴診器で心臓の音を聞き
脈を確認し
目にライトを当てて






4時23分、亡くなったことを告げられました




声をあげて思いきり泣きました



母の入院中、母の前では
絶対に泣かないように我慢していた涙が
溢れて止まりませんでした






入院して10日目、
闘病生活、約5年半
母は48歳でした








そこから葬儀が終わるまでの間は
本当に慌ただしくて
自分が何をしていたのか
あまりよく覚えていません







私は母が亡くなった瞬間に
声をあげて泣いたあの時から
あまり泣いていないような気がします




自分で思うに、きっとまだ
実感がないのかと思います






まだまだ忙しい日々が続きますが
なんとか生きていかなければなりません




母は、病気になってからも
私のために色々と苦労し我慢してくれました
私は母の苦労の分まで一生懸命生きていかなければならないと、今はその思いで動いています





皆様からのあたたかいコメント
本当にありがとうございました



まとまらない文章、分かりにくい文章で
申し訳ありません




また何か聞きたいことなどあれば
コメントをしてくだされば
できるだけお返事させていただきたいと思います




最後までお読みいただき
ありがとうございました