8時、起床。9時、ロンドンでの最後の朝食。10時、荷物を抱え、ホテル「セントリー」を出て、リージェンツ・パーク前からタクシーに乗車。ヴィクトリア・エアー・ターミナルで、チェック・イン。そこからバスで、ヒースロー空港へ。空港の売店で、スコッチウイスキー2本を買う。ニューヨークでお世話になる、裏千家出張所長の山田尚氏への手土産である。……


13時、航空機JALで、ヒースロー空港を飛び立つ。機内は久し振りの日本ムード、スチュアーデスも大和撫子。ニューヨークまで、飛行7時間。彼女たちと会話したり、機内食が出たりするうちに、忽ち時間が経過。大西洋を渡り、やがて眼下に、ニューイングランドの蒼い大地が顔を出す。……アメリカだ、アメリカだ。


20時、ケネディ空港着。ニューヨーク時間、同日の午後4時に変わる。

まず、空港のホテル・インフォメーションで、マンハッタンの安いホテル「ピカデリー」を紹介して貰う。次に電話ボックスに入り、裏千家出張所の山田氏に電話を入れると、快い朗らかなお声が返って来た。……もう一つ、電話をする。甲府一高時代の同級生のグラフィック・デザイナー、若尾真一郎が横浜出港の際に見送りに来てくれたが、彼がニューヨーク在留時に寄宿していた親戚の住所を、僕に渡して「時間があったら、訪ねてみたら。写真家だから」と言ってくれた。そこで、そのN家へも電話したが、不在だった。


空港からマンハッタンまで、西へ約24km 。バスに1時間ほど揺られる。郊外は墓地などあり、澄んだ空に鳥が飛ぶ。市内でタクシーに乗り換え、20分くらいでミッドタウン・ウェストに入った。ホテル「ピカデリー」は、タイムズ・スクエアの42n d St. 7th Aveの一角にあった。降り立って、仰天した。マンハッタンのど真ん中、喧騒の繁華街。空気が悪く、人通りが激しく、街路が汚れ、パリやロンドンとは環境一変!

ホテルは高層だが、狭い立地条件で、周囲とひしめき合うように建っている。フロントは狭く、係員も1人。食堂もカフェも無く、朝食無しの1泊11ドルとは高い!(あとで、山田氏に「安いほうだよ」と嗤われた。)

鍵を渡され、936号室へ。狭い部屋だが、ベッドの向こうに窓があり、ほッとした。それはいいが、荷物を置いて落ち着くと、隣室から壁越しに、何やら軋む音がする。ギーギーと、強く弱く、繰り返して軋んでいる。「あッ、ベッドだ!」と思った。呆れた、こんな時間に……。ひどい所へ来てしまった。


夕刻6時半頃、自室の電話が鳴る。山田氏からで、「今夜これから、アメリカの裏千家後援会の会長ジョンストン氏のマンションで、氏と夕食を共にする。貴方も、一緒に来ませんか」と言われ、ジョンストン氏の住所を告げられる。旅装を解き、洗顔して身なりを整え、外出して、ホテル前でタクシーを拾う。

乗車して僅か10分、そのマンションは、ミッドタウン・イーストの国連総会ビルの近くにあった。豪華なホテルかと見違えるような、高層の立派な建物である。住居は26階にあり、呼び鈴を押すと招じ入れられ、老齢のジョンストン氏が笑顔の山田氏と、贅沢な居間のソファーで、寛いで談笑中。シネマスコープサイズの広々とした窓の外には、国連ビルやイースト・リバー、煌めくようなニューヨークの夜景が広がっている。素晴らしい!……と思った。ニューヨークに着いた日、この景色を観せてくれた、山田氏の親切が嬉しかった。

氏によれば、ジョンストン氏は、ニューヨークでも有数の資産家で、日本贔屓。当地での茶道の普及に協力、日本への旅行も数回、麹町の裏千家・今日庵で、お家元からも歓待された。来年はまた、日本へ行くそうだ。

山田氏に紹介され、ジョンストン氏と握手。「ナカムラサン、コンバンワ」とだけ、この好人物の老人は日本語を使った。別室に移動すると、取り寄せたらしい酒肴がテーブルに並び、3人で乾杯。僕が、素晴らしい住居を褒めると、山田氏が「このマンションには、トルーマン・カポーティも住んでいた」と言った。……


10時頃、山田氏と僕とは、住居を辞去した。下りのエレベーターの速度が早く、高層階からの落下には一瞬、"死"を感じた。ニューヨークは、凄い。建物を出ると、満月の晩だった。

裏千家の出張所は、国連ビルの近くにある。そこでは、現地の男女が茶道の教習を受けている。その近くには、山田氏が住むアパートメントもある。ロンドン土産の2本を抱えていたので、立ち寄らせて貰った。

扉のシャッターを揚げて室内へ入ると、広からず狭からずの生活空間に、すべてが適切に完備した、便利かつ清潔な、洒落た1人暮らしのアパートに、痛く感心して暫し見入った。東京には、こんなところは無い。

氏が、紅茶を淹れて下さった。「麹町の多田(侑史)先生から送られた、墨書の紹介状を読んで、どんな若者が来るのか……とても興味があったんだ、君には」と山田氏。「普通ですよ」と僕。「普通の人間なんて居ない」と氏が返し、「自分も普通じゃない道を歩いて来た、と思っている」と呟いた。……山田さんは、戦中の若者時代は海軍の士官候補生だった。敗戦後、大学に入り直し、そこで英文学を講義していたアメリカ人の教授に出遇い、影響を受けた。「その先生が、茶道に関心があったんだ。ぼくが茶について教えられ、茶人の道を歩んだのは、すべて先生からなんだ。日本人からではない。こうして今、ニューヨークに長く居るのも、考えて見ると普通のことではないよ……」


氏に送り出され、またタクシーを拾って、ホテル「ピカデリー」へ帰った。深夜1時半、さすがにタイムズ・スクエアも人影が少ない。辺りは"汚れた街"だが、ニューヨークには、一種の興奮を感じる。



10月1日(金曜日)  晴れ  ニューヨーク


9時半、起床。ニューヨークは、夏の名残の暑さで、室内が軽く冷房中。高層階ほど、窓や扉の開閉が厳重。快適と言えないが、安いホテルだから仕方がない。山田さんの昨夜の指示で、今朝はスーツを着る。

0階へ降りて、フロントで宿泊代の全額を支払う。朝食抜きで、外出。


タクシーに乗り、まず国連ビル近くの裏千家出張所へ。建物の5階の一部を占めていて、事務所と教習所からなり、幾つか立派な和室があって、アメリカ人の男女数人の教師が、現地の入門者たちに、お点前を教えている。ニューヨークのちょっとした"異風景"だが、関係者は真剣そのもの。ここでは所長の山田氏も和服で、自らお点前を披露し、日本文化の前線に立っている。事務所は、宮原さんという三十歳台の女性が管轄、入門者や東京との連絡にあたる。とても親切な方で、「ご自由にお電話をどうぞ。日本でも構いませんよ」と言って下さる。……そこで、甲府の母の家に、初めて国際電話をかけてみた。幸い在宅で、元気。驚いたようだが、「いまニューヨークに居るなら、黒田さんにお会いしたら、どうか。吾朗も、そう言っていたよ」と勧められる。黒田瑞夫氏は、叔父の笹本吾朗の旧制高校時代の同級生で、国連大使として当地に赴任されているよし。

……宮原さんの「どうぞ、どうぞ」に甘えて、もう一つロサンゼルスに電話。母の従姉妹に当たる日系人のサチコ・エンドウさんとは、彼女が初来日した僕の学生時代に、すでに会っている。「テツロウさん、アメリカへようこそ。東部は危険だから、気を付けて。ロスで待ってますよ」と言われた。嬉しかった。


12時半、山田さんに同行して、裏千家を出る。近辺のビルの中に「ジャパン・ソサエティ」があり、現在「

尾形光琳展」を開催中で、最初にそれを一巡する。金に糸目を着けず、あらゆる関係遺品を集めた感じの、豪勢な展示ショー。アメリカ人の集中力を痛感する。そのあと山田氏に連れて行かれ、同協会の事務局長ランド・キャスティール氏に会った。山田氏と同年輩の40歳台半ばとおぼしく、日本文化に通暁する鋭敏な男性。昼食に誘われ、付近のフランス料理店へ行き、平目のムニエルをご馳走になった。食事中、俳優アンソニー・パーキンスの噂話が出た。学生時代に「パーキンス論」を書いたので、キャスティール氏が話す、ニューヨークでのパーキンスの行動が、面白かった。「彼が催すパーティーは、ローマ人のようなランチ気騒ぎだ」そうである。……山田さんと一緒に、裏千家の事務所へ戻る。宮原さんを交え、しばらく3人で談笑。またもや厚かましく電話を拝借、渡米歌舞伎の解説者の渡辺美代子さんと話す。ニューヨークは"人間都市"なので、お会いする人が多い。


徒歩で午後4時頃、ホテル「ビカデリー」へ帰った。しばらく休息して仮眠、人疲れを癒す。目覚めて体操をし、シャワーを浴びた。夜7時頃、外出して、近隣のカフェでハンバーガーを食す。高い!

食後の数時間、タイムズ・スクエアの一帯を漫歩する。街頭に群れるヒッピーや黒人霊歌の声、雑踏する人種の坩堝(るつぼ)、あッという間の金銭の流れ、セックスの大胆な開放、群衆の現実への苛烈な意欲、混沌とした人間世界の厳しさを目の当たりに展望し、何か、やるせなくなった。ここでは、ヨーロッパのような「芸術」は生まれないし、また、ヨーロッパのような「文化」も無いのだ!……

ホテルの自室へ戻る。10時頃、山田さんから電話。「ミッドタウン・イースト67St.の"チキン・アメリカ"にいる。来ませんか」と誘われ、タクシーに乗る。山田さんと、午前中に裏千家で見かけた、現地人に茶道を教えているカリフォルニアの青年とが、食後の紅茶を飲んでいた。「週末で、これから飲みに行くんだ」と言い、3人で近くのゲイ・バーへ移動。が、そこは東京のそれと全く変わらない"国境無し"だった。グラスを手にした山田さんに、少しからかわれた。「昨夜は、蒼い狼のような若いのが来たと思ったが、意外に行儀がいいんだな。こちらの奴と一晩でも付き合ってご覧よ、日本人なんか相手に出来なくなるから」と! 山田氏は、ニューヨークの水で洗われた「粋人」だと思った。……

バーを出て、カリフォルニアの青年と別れ、山田氏をアパートまで送り、歩いてタイムズ・スクエアのホテルへ帰る。夜道は人通りが少なく、酔っぱらいがたむろする辺りは、いささか怖い。就寝は、深夜3時。



◎写真は  ニューヨークのタイムズ・スクエア (亡母遺品の絵葉書)