9月7日(火曜日)  晴れ  パリ

8時、起床して、廊下に運ばれた朝食を摂る。昨日、セーヌ左岸を長時間歩き回ったせいか、就寝中も足がだるく寝付かれなかった。午前中は休息。

午後、外出する。モンマルトルの坂下の通りにある、セルフサービスのレストラン『ウィンピ』で昼食。肉やチーズや野菜など、具だくさんのオープンサンド「タルティーヌ」を食す。
タクシーに乗り、エトワール近くの英国航空と日本航空のオフィスへ行く。ロンドンーダブリンーエジンバラーロンドン間の予約を確認し、ロンドンで宿泊するホテルを予約。日本航空では、ロンドンーニューヨーク間の予約確認。再びタクシーに乗って、パリ北駅へ行く。パリーロンドン間の列車のチケットを取る。

地下鉄でモンマルトルへ戻る。竹本さんの住居に立ち寄って、暫し雑談。氏から、横尾忠則さんのパリ来着の報せを聴く。「現在、シテ島にある"外国人のための芸術家村"に居るんですが、どうも居心地が今ひとつらしい。中村さんが『パラディエ』に来ていると話したら、僕もそこへ行きたいと言うんです。で、幸い隣室が取れたので、数日中に移りますから、よろしく」と伝えられる。パリで横尾さんに会うのは奇遇で、今年の去る 1月末、築地の本願寺で行われた三島先生の葬儀で会って以来だな、と思った。……

帰路、またレストラン『ウィンピ』に入って、ひとりで夕食。牛肉を野菜のスープで煮込んだ、温かいポトフを食べる。7時頃、ペンション近くの、若槻さん夫妻の家に寄り、明日のヴェルサイユ行きと、明後日の横尾さん出迎えの打ち合わせをする。昨日チケットを3枚買った、コメディ・フランセーズの観劇も、喜んで受け入れて貰った。……

その後、何となく落ち着かず、また坂下の大通りへ出て、モンマルトルの盛り場の界隈を漫ろ歩く。夜は涼しさを越えて、もう寒いくらいだ。「フェミナン」とは、いわゆるゲイバーのことらしいが、この辺りにも多くあるようだ。……

11時頃に帰宿し、荷物の整理などするうちに、また就寝が遅くなった。


9月8日(水曜日)  晴れ  バリーヴェルサイユーパリ

8時に起床、まだ眠い。珈琲を2杯飲み、眠気を覚ます。
9時半、階下の入り口のベルが鳴り、若槻さん夫妻と同行の若い日本人女性2人が、迎えに来てくれる。2人は若槻夫人の知り合いでパリへ旅行中、今日のヴェルサイユ行きに参加した。併せて一行は5人。

5人で、だらだら坂を下り、モンマルトルから地下鉄でモンパルナスの国鉄駅へ。そこから列車で、パリ南西のヴェルサイユ・シャンティエ駅まで約30分。駅からヴェルサイユ宮殿まで、徒歩で約20分。

お目当てのベヴェルサイユ宮殿は、内部の見物に約1時間半を要した。若槻夫妻は2度目とかで、一行5人の感想はあれこれだったが、この大宮殿の現在の或る種の漂白した姿に、僕は率直に言って、些か憮然とした。
この数ヶ月、レニングラード、ウィーン、マドリッドなどで、過去の宮殿建築を幾つか観賞したが、いずれも往時の状態がある程度まで維持されており、なにがしかの感興を刺激された。まだ過去が、なお今日の眼に生きていた。……ところがヴェルサイユは、その豪奢・絢爛が、現実として光輝を放ったのは、ブルボン王朝時代の17世紀半ばから18世紀末までの、僅か1世紀余りに過ぎない。大革命はヴェルサイユを破壊し、過去のものとした。ここが国政の中心となることは、もう2度となかった。ナポレオンによる修復、7月王政期のルイ・フィリップ王による歴史博物館化。そして以後の約140年間、建物の大改修が1度も行われていないという事実を知って、であれば「成る程なァ……」と、感興が湧かない自分を正当化した。

この宮殿の中で、最も壮麗な大空間が、長さ73m の「鏡の回廊」だとされる。建設当初は高価だった357
枚の鏡が、壁の全面に張られている。確かに王朝時代の庶民からすると、息を呑むような別世界だったろう。だが今、風化した建物や装飾、曇って光沢の失せた鏡の列からは、訪問者の興奮は生まれない。彼らは、第1次大戦終結のヴェルサイユ条約が、ここで調印された近い過去も知っているから、一種の妙な既視感がある。それだけに、この色褪せて風化した大空間には、多くが失望するに違いない。……この風化を放置している、豊かな筈の現代フランスの国力に対しても、なにがしか病理が潜むのではないかという、疑いさえ生まれてしまうのだ。ソ連の冬宮ですら、エルミタージュとして体面を保っているのに!

それだけに、ヴェルサイユは現在、その色褪せた宮殿の建物よりも、広大な周囲の庭園のほうが美しく生きている。われわれは幾つかの泉水や池、幾何学模様の花壇や果樹園をめぐり、庭園の向こうの運河を眺めた後、「ネプチューンの泉」の近くのベンチに座って、女性たちが用意してくれた"おにぎり"を食べ、緑茶を飲んだ。日本の"敗戦の子"たちが、初めてやって来たパリで味わう、貧しい昼食だった。……

ヴェルサイユ宮殿の見物には、丸1日を要する。マリー・アントワネットの愛した離宮プティ・トリアノンも見どころの一つらしいが、その風化を思い、時間も足りず、足を運ばずに帰路に向かった。
同じコースで、列車でモンパルナスに戻り、そこからバスに乗ってモンマルトルへ帰った。夕刻5時に解散。
初秋のパリの日の出は朝7時頃、日没は夜8時頃だから、まだ夕食には早かったが、いつもの坂下の「ウィンピ」で、ひとりで食事。ガラスケースから、野菜サラダとローストチキンを選んだ。

6時半頃、パラディエの自室に帰り、しばらく仮眠する。9時頃に目覚め、あちこちへ絵葉書を書き、洗濯をして入浴、早めに就寝。明日は、横尾忠則さんを迎えに行く予定だ。


 ◎写真は   ヴェルサイユ宮殿の「鏡の回廊」(亡母遺品の絵葉書)

       

ヴェルサイユ宮殿と庭園(同上)