9月4日(土曜日) 晴れ アヴィニョンーパリ
6時に目覚め、朝食後、すぐにホテル「セントポール」からアヴィニョン駅へ直行。構内の測定器で計ると、身長172cm、体重68.5kg 。先ず先ずである。
8時20分発、パリ行き特急TEEに乗る。列車は、明るくスマートで快適。車窓に展開する、フランスの広々とした安らけき国土の、豊かな潤いに見惚れる。日本のような山岳国の、風土の厳しさや険しさが無い。スペインの乾燥高地のような、果てしない荒涼感も無い。森も川も平野も、ゆったりと伸びやかである。恐らく地球上で最も恵まれた地勢的条件を、このフランスは持っているに違いない。……
フランス第ニの都市リヨンを通過。この地には確か、永井荷風や遠藤周作も、若き日に滞留した筈だ。
ビュッフェがある号車に行き、サンドイッチと紅茶で昼食。ガルソンたちも、品がいい。スペインで見られた、脚の不自由な子供が働いているような、胸を衝(つ)く景色は無い。もっとも、アヴィニョンの公園では、ふざけて金をせびりに来る、若い男女もいたが……
14時、パリのリヨン駅へ到着。6月末の数日、初めて訪れているが、それ以来だ。駅から竹本氏のお宅へ電話をしようかと思ったが、スペインから葉書も出してあり、控える。駅からタクシーで、モンマルトルの丘の麓にある竹本氏のアパルトマンに向かう。パリ市街は、コート姿の人々が目立ち、すっかり秋景色である。
竹本さん、ご在宅!「お待ちしていましたよ」と仰有り、朝空のような笑顔を、2ヶ月ぶりに拝見。夫人は、日本からの知人とスイスに行かれたよしで、手ずから日本茶を淹れて、親身に迎えて下さった。
「旅先から何度か絵葉書を頂いたが、ずいぶん歩かれましたね」と微笑され、この2ヶ月余りに巡った、西ドイツ・スイス・オーストリアの中欧3国、ギリシア・イタリア・スペインの南欧3国の行程や順路を、ざっとお話した。「私も、こちらへ最初に来たとき、あちこち廻った。その後、いろいろと行きましたが、やはり初めての旅を最も覚えていますね」と頷かれ、「母堂から、お手紙が届いていますよ」と告げられた。「オルリー空港に荷物も来ているようです」と言い、手紙1通を渡された。
氏が、お茶の入れ替えにキッチンへ立たれたので、すぐに手紙に目を通した。留守中の国内や郷里の出来事、親戚筋の縁組や不幸、僕の知友からあった連絡事項などが、細々と書かれ、「こちらのことは心配しないで、海外をよく観て来るように。秋冬物の衣類を少し送った」とも記されていた。読んでいるうちに、また「父母在(いま)せば、遠く遊ばず……」の一節が浮かび、年甲斐もなく頬が濡れた。……紅茶を載せた盆を持って、竹本氏が入って来られた。「あいにく彼女(夫人)が留守で、今夜は若槻君たちが、中村さんの歓迎会をするそうです。若槻君夫妻の住居は、先日の『パラディエ』の近くにあります」「それは恐縮です。歓迎会なんて」「いや、有り合わせの夕食ですよ。ご遠慮なく」……
夕刻6時、今回も氏が同行して下さり、モンマルトルの丘の中腹にあるペンション『パラディエ』まで、タクシーで移動した。気さくな女主人と再会。前回の、階段を上がった直ぐ右側の、明るい窓の広い良い部屋が、すでに竹本さんによって予約されていた。1泊朝食付き30フランで、パリ滞在2週間分を前払いすると、マダムが笑顔で30号室の鍵を渡してくれた。スーツケースを置き、待っていた竹本さんと外出。
若槻君夫妻の借り住居は、そこから坂道を少し降りた台地にある、一握りの建物の裏側だった。若い二人が、竹本氏のソルボンヌ出講時の聴講生だった縁で、氏の翻訳の仕事を手伝う便から、付近で暮らすようになったという。ドアを押すと、「お帰りなさい!」という、若々しいカップルの声に迎えられた。すっかり準備が出来ていて、若槻夫人お手作りの太巻きの五目ずし、素麺、きんぴらごぼう、海苔と海草の佃煮、そしてカレーライスと、この日の僕には大ご馳走が、テーブル狭しと並んでいた。深謝、深謝!
在住のジャパニーズ・パリジャン3名と、初めての日本の海外旅行者1名は、僅か夏の間の2ヶ月余り会わなかっただけだが、語ることや訊くことが、あり過ぎるほどあった。僕の留守中、高橋睦郎氏が夏休みで短期間、パリに来られたことや、また近日、横尾忠則氏がパリを訪れるという"ニュース"も、僕は聴いた。
10時近くに竹本さんは帰宅されたが、残った3人は、深夜1頃まで話が尽きなかった。主として僕が、特にギリシアやスペインの印象、各地で芭蕉の句が浮かんだ「初旅の思い出」を語ったわけだが、若い2人がよく付き合ってくれた。若槻君は「ブリンディシの駅で、アメリカの学生たちが歌うフオスターって、いいですね!ぼくも聴きたかった」と共感した。そして3人で、『懐かしきケンタッキーの我が家』を合唱した。……
僕は、この夜くらい同胞(どうほう)というものが、有り難いものだと感じたことは無い。暑熱の南欧の旅を終え、自分ひとりの初めての海外放浪も半ば近くになり、どうやら無事にパリへ帰還。じつに嬉しく、感謝したくなるような、幸福感に充たされた珍しい夜であった。……
◎写真は パリのモンマルトルのテルトル広場(亡母遺品の絵葉書)
パリ市街のモンマルトルの通り(1971年9月に撮る)
竹本忠雄氏(91歳)から頂いた2024年の賀状


