8月13日(金曜日) 薄曇り グラナダ (続き)
見物人の少ない日だった。気が付くとカフェには、2人の青年が喫茶していた。ひとりは日本人、片方はスペイン人。「アルハンブラは、素晴らしいですね!」と挨拶すると、「本当に!」と日本語で返された。
彼は、マドリッド在住の留学生で、夏休みでアンダルシア方面を旅行中。学校友達から紹介された、グラナダに住むスペインの若者が、あちこち道案内しているよし。彼ら2人は、スペイン語で会話。が、グラナダの若者は一般のスペイン人と同様、ほとんど英語を話さないので、お互いに笑顔で軽く握手した。
彼らが「ナスル宮殿の外に在る、バルタル庭園へ行く」と言うので、まだ観ていない僕も同行した。そこには展望台と池とがあり、優しい姿の「貴婦人の塔」に昇ると、グラナダ市街が一望された。
そこから遊歩道に出て、チノス坂を10分ほど登った東側の丘の上に、ナスル朝の夏の別荘「ヘネラリフェ離宮」がある。14世紀に建設され、シェラ・ネバダの雪解け水が、多くの池や水路に溢れ、噴水を吹き上げる"水の宮殿"である。離宮中央の「アセキアの中庭」は、スペインを代表する名園。細長い池を囲み、花が咲き乱れ、噴水の水しぶきが舞い、天人花や月桂樹やオレンジが繁る。「ここは砂漠から来た、モーロ人の夢が生んだ楽園です」と……無口なグラナダの若者が、珍しく呟いた説明を、留学生の彼が伝えてくれた。
このスペインの若者は、見るからに朴訥な感じで、ひと昔前の日本の農村の青年団員のようだが、「解っているんだなァ……」と、僕は思った。スペイン語で一言「ムーチャス グラッシアス!」と返すと、彼も笑った。
僕たちは坂を降りて、東南の一隅にあるチケット売り場へ出た。そこには、タクシー数台が待機。3人で同乗、グラタナ駅へ向かう。車中、留学生が「スペインは物価が安いんです。タクシーも安いが、腹一杯食べても、300円くらい」と言う。彼らは、その車代をキチンと払い、鉄道駅前で手を振って別れた。
僕は、ヌエバ広場で下車。昨夜のホテル「ヴィクトリア」のバルで昼食。便利なタパスを、2点注文。魚介、トマト、タマネギ、ピーマンを、オリーブ油と酢であえた「サルビコン・マリコス」というシーフードサラダ。サクサクしたホタルイカのフライ「チョビートス・フリートス」だが、どちらも新鮮で満腹。ビールをレモン味の炭酸水で割った「セルベッサ・コン・リモン」も、口に合った。スペインの食は、相性がいい。
食後、ホテル前の街路の歩道で、しばらく佇んだ。グラナダ市街は日中、微かに砂塵が舞う。温暖だが、気候が乾燥している。と目前に、見慣れない風景が出現。少年1人が、野菜を載せたリアカーを引いて通りすぎた。それだけではない、2頭の馬の背に若者2人が股がり、手綱を捌いて堂々と、道路の真ん中をやって来た! 暑さを防ぐべく、それぞれの馬の頭部には、可愛い麦わら帽子が載っている。……昭和20年代の終戦後の幼少時、郷里の地方都市の甲府で観たのと同じ風景が、それも都市化進行中の日本では喪われた、街中でも土や野草が臭うような瞬間が、このグラナダには今なお生きていることに、或る衝撃を受けた。喪われた時間が不意に甦ってきたような、奇妙な錯覚に襲われたのである。それは店の軒先に立ち、フラメンコに用いるときの赤い扇子を翳して、日射しを避けている、黒い髪と黒い瞳のスペイン女性の姿にも、ふと感じられる。「そうだ、あれはスペインの『夏祭り』のお辰なんだ。イキだ!」と痛く感じ入った。先年、郡司正勝氏が帰国された折り、「スペインには江戸が有るよ」と言われたのは、この辺りのことなのかとも考えた。……
パティオのある小ホテル「カサブランカ」227号室へ帰り、シャワーを浴びた後、しばらく午睡。目覚めた瞬間、今日観て来たばかりのアルハンブラの光景が、あれもこれもと甦った。そうだ、もう一度観よう。グラナダ宿泊を一晩延ばして、ゆっくり観るだけの値打ちはある。素晴らしい世界だ、贅沢をしよう! そう決めると、直ぐに1階のフロントへ降りて交渉、どうやら延泊が可能になった。
夕刻に外出、また「ヴィクトリア」のバルへ行き、冷たいコーヒーを飲む。よく行くので、店員に顔を覚えられ、サービスがいい。煙草1本を勧めると、「服務中だから」と手を振ったのは、律儀だった。そのカウンターを借りて、日本の知友に絵葉書を数枚書き、アルハンブラへの興奮を伝えた。続いて、夕食。ジャガイモを混ぜて焼いたスペインオムレツ「トルティーリヤ・エスパニョーラ」が、油気が少なくて、おいしかった。
夕食後、夜の街中を散策。日中は暑いが、もう夜は涼しい。多くが深夜まで開店し、その分、翌朝のスタートが遅くなる。映画館も夜7時頃に開場。看板の絵が素朴なリアリズムで、古臭い。その絵を見上げていると、男が近付いてきて、「煙草は要らないか」と言う。驚いたのは、煙草が箱売りでなく、1本ずつのバラ売り。僕は瞬間、スペインの貧しさを感じた。マラガの駅頭では、乳飲み子を抱いて物乞いをする女性がいた。川で洗濯をし、子供を洗う母親の姿もあった。その国の貧しさを思ったのは、欧州ではソ連以来だ。……
けれども、スペインはソ連とは違うし、むろんイタリアとも違う。何が違うのか? 人びとの気持ちが、かなり違うのではないか。イタリア人のように、釣り銭をくすねたり、チップの追加を要求するようなことは、全く無い。キチンとしている。イタリアには「いやァな若者」がいたが、スペインの若者は概して朴訥で、何か激しさを秘めている。グラナダの駅付近で、タクシーの運転手たちの言い争いを観たが、その真剣な激しさ!
フランコ政権の30年間以上の圧政、伝統的カトリック社会の厳しい戒律もあろうが、人びとは貧しいけれども、それなりの古風な或る倫理観を保持していることは、確かである。高度成長経済の日本人にも、この古風な或る倫理観は最低限、まだ残っていると思うが、さて将来はどうなるか。金は怖い、人間や社会を駄目にするから……。日本の将来は不安だ。実は、貧しさは恥でもなければ、恐ろしさでもないかもしれない。一国の恐怖は退廃にこそあり、恥辱は精神の劣化にある。スペイン人には、長い悲しい歴史的な習熟と、なお初々しい素朴な野性とが共存していて、退廃も劣化も感じられない。この古い国には、まだ未来があると思う。……
グラナダ生まれの詩人ロルカは、「グラナダは、瞑想の街だ」と言ったという。この街には、一国の歴史が凝縮しているからだろう。街中で、そうした瞑想に耽るうちに、いつしか夜が更けた。
ホテルへと帰り道を急いだが、歩きながら、ひとつの現象に気付いた。ひと昔前の日本の社会と同様、ここには男女一組で並んで歩く者が、ほとんど居ないということだ。不思議なことに思った。
ホテル「カサブランカ」の自室では、今夜も、シェラ・ネバダからの寂しい風音が聴こえる。就寝、11時。
◎写真は ヘネラリフェ離宮のアセキアの中庭(2018年4月の再訪時に撮る)
ヘネラリフェ離宮の噴水(同上)
ヘネラリフェ離宮の噴泉(同上)
ヘネラリフェ離宮の花園(同上)



