胡児(こじ)の泉●1971年・西方旅行記ー噴水と広場の国々 第5回


★モスクワ(続き)

6月13日(日曜日)快晴 夕立あり
13時近く、ホテルの一階大食堂で遅い昼食。観光に出ているのか、もう済ませたのか、人影がまばら。
僕とマイク、それにロシア観光に来た、スペイン人の中年の男性が一緒の席。会話は少なく、赤い砂糖大根のサラダと、鮭のソテーが美味しい。
昼食後、すぐに歩廊のインフォメーションへ行く。と、朝に応対した小肥りの女性が、立って手を振っている。近寄ると、「最前列の席が二枚だけありました。Lucky boy !」と笑う。
僕も「スパスィーバ! スパスィーバ! (ありがとう、ありがとう)」と返して、十字を切る真似をした。小腰を屈め、デスクの上の予約確認書にサインしていると、彼女は「ニエ ザ シトー(どういたしまして)」と応え、突然「カワイイ!」と言って、僕の頭を撫でたのには驚いた。仕事柄、日本語を少し知っているのだ。マイクが困って、ニヤニヤする。ー
それにしても、最前列一枚2ルーブルというのは安い。日本円で八百円くらい、ドルに換算しても3ドルにならない。社会主義圏では、公共の観るものが安いと聴いていたが、確かに安い。
スタニスラフスキー劇場は、ロシア近代の有数の演劇人ネミローヴィチ・ダンチェンコとスタニスラフスキーによつて創設された、モスクワでもレベルの高い記念音楽劇場。この五月、東京・歌舞伎座の六代目菊五郎追善供興行が一等席三千円だったが、比較は出来ないにしても、やはり安いだろう。

マイクは午後は休んで、荷物の整理をすると言い、彼の四階の部屋へ去った。僕はホテルの近辺を歩いて見たかったので、ひとりで外へ出た。
ウクライナ・ホテルの正面の前方を、モジャイスク街道という広い通りが走っている。立っている建物の多くが、どっしりと重厚で堂々としているが、通りで見かける市民たちの服装は皆、飾り気がなく質朴だ。
通りには何箇所かバス停があって、或るバス停まで来ると、そこにハイ・ティーンの少女と年輩の女性が二人でバスを待っている。そこで僕は少女に、「Where
is the River Moskva ?(モスクワ川は何処ですか)」と声を掛けた。
すると少女の頬が紅く染まり、彼女は年輩の女性の後ろに隠れ、年輩の女性が前に出て、川の方角を指で差し、英語をまじえて答えてくれた。


僕は礼を言って通り過ぎたが、一瞬フィルムが逆に巻き戻されて、昭和二十年代の小津や木下のモノクロームの映画のワン・シーンを見たような気がした。今の景色は、もう東京には無いな、と思った。
ホテルの背後で、モスクワ川が大きく屈曲して蛇行する。夏の日の悠々とした流れである。この川を見たかった。ー

564号室へ戻り、もう一度シャワーを浴びる。
夏着の紺のスーツを一着だけ持って来たので、劇場へ行くために、それを着る。その後、絵葉書を数枚書く。
17時45分、一階大食堂へ降りる。マイクも降りて来て、やはり紺色のスーツを着て、ワイン色の深紅のネクタイを締めているのが、若々しい。
インフォメーションで早めの夕食を頼んだのに、やはり駄目で、18時から気忙しい食事になる。ビーフストロガノフが出た。
18時半、ホテルを出て、バス停まで行く。マイクが路線図を確かめてくれて、すぐ所定のバスが来たので、乗り込む。劇場はボリショイ劇場の少し北、プーシキン広場の少し南にある通り沿いに建っていて、その近くのバス停まで二十分程を要した。
開幕五分前に劇場へ駆け付け、最前列に着いた途端、幕が上がった。
舞台と客席は中劇場クラスの規模で、無駄のない引き締まった空間である。場内は静寂を極め、しわぶきの音さえない。観客の集中力が分かる。
十五分間の休憩があったが、観客の多くが冊子を読んでいて、ロビーに出る者が少ない。僕たち二人は出たが、ロビーの照明が暗く、飲み物のコーナーの有る無しも分からない。ロビーでも厳しい禁煙!
場内にはオペラ特有の、享楽的で虚飾的なムードが皆無で、むしろ教会のような宗教的な雰囲気があるのは、社会主義圏の選ばれた劇場のせいだろうか。観客であるモスクワ市民たちの、舞台への姿勢が真摯だ!
ロビーに立っていて、僕の声が少しでも高いと、マイクが自分の唇に指を当て、注意を促した上、片眼でウインクする。このウインクに、僕は子供の頃から弱いのだ、よく進駐軍の兵士たちにウインクされたっけ。ー
休憩後では、第三幕のカバァラドッシのアリア“星は光りぬ”を聴いている内に、「自分は今、初めてヨーロッパに来ているのだ」という気分になった。
最後の幕が降りると、マイクを初め観客たちが起立、割れるような拍手が沸き起こった。日本人の僕は、能や歌舞伎の客席に馴らされて来ているので、拍手はいいが、この起立しての拍手という、よりアクティブな行動への参加が苦手なのだ!でも、仕方がないー。
21時半、終演。マイクが「素晴らしかったよ」と言って、夢見るような甘い眼を向ける。このような欧米人の甘い眼も、僕には苦手で、つい視線を逸(そ)
らしてしまう。
劇場の外に出ると、まだ明るいが、夕立があったらしく、道路が濡れている。バス停まで歩くうちに、街路樹から雨滴がぱらぱらと降りかかる。マイクがハンカチで背中を拭いてくれるので、僕も彼の腕を拭く。
バス停で待っていると、辺りが宵闇になったが、街灯の照明度が低いのか、街中が暗いー

22時過ぎ、ホテルに帰着。ロビーには、すでに人影がない。
マイクから、明日は別々の所へ出発する、見せたいものもあるので、自分の部屋へ寄らないか、と誘われる。そこで、彼の四階の部屋へ一緒に行く。
僕の五階の部屋と、まったく同じタイプの部屋だ。彼が寛ごうとしてスーツを脱ぎ、Tシャツに着替えている間に、部屋に設備された茶器で、僕が紅茶を二つ淹れた。マイクはベッドに腰を下ろし、僕は立派な椅子に坐る。
彼は、自分のパスポートを収めたケースから、両親と妹、つまり現在の彼の家族の写真一枚を取り出して、僕に見せてくれた。アメリカ人らしいな、と思った。
彼は、僕に向かって言う。テツロウが秋にニューヨークへ来たら、フロリダへ電話を掛けてほしい。ボクが迎えに行くから、フロリダの家に来て泊まって貰いたい。両親や妹が、きっと歓ぶだろう。家にはプールがある、車も三台あるから、ボクがテツロウに南部のアメリカを見せてあげる。自分も、また日本へ行きたいんだ、と。
僕は、彼の厚意を謝した。だが、それ以上は黙ったままでいた。空気が重くなった。すると彼は、やや口を歪めて言った。「You are complication. But I like
you.(貴方は複雑だ。でも、ボクは貴方が好きだ)」と。
僕は思わず、声を立てて笑った。(何だ、分かっているじゃアないか、マイク!)彼は、さらに口を歪めた。
腕時計を見ると、23時。明日は朝が早いから、と言って立ち、ドアの近くまで行くと、マイクも立って傍に来た。と突如、彼は右手で僕の頬をひと撫でして、強い口調で言った。
「Tetsuro, You look at me !(テツロウ、ボクを見て!)」
僕は照れて、曖昧に微笑し、ドアのノブを捻って、外へ出ようとした。彼は「一寸待って」と言い、さッと上半身のTシャツを脱ぎ捨て、直立したままで、今度は静かに言った。
「You look at me. You never look at
me.(ボクを見て。貴方はボクを見ない)」
皓(しろ)く光る、匂うような裸身。ハッとした瞬間、僕は両眼を閉じ、ドアを空けて、廊下を足早に歩き出した。
不可(いけ)ない、不可(いけ)ない、この旅は長いんだ!
頭がぼうッとした。

◎2014年、再訪時のウクライナ・ホテル(現在の名称は胡児(こじ)の泉●1971年・西方旅行記ー噴水と広場の国々 第5回


★モスクワ(続き)

6月13日(日曜日)快晴 夕立あり
13時近く、ホテルの一階大食堂で遅い昼食。観光に出ているのか、もう済ませたのか、人影がまばら。
僕とマイク、それにロシア観光に来た、スペイン人の中年の男性が一緒の席。会話は少なく、赤い砂糖大根のサラダと、鮭のソテーが美味しい。
昼食後、すぐに歩廊のインフォメーションへ行く。と、朝に応対した小肥りの女性が、立って手を振っている。近寄ると、「最前列の席が二枚だけありました。Lucky boy !」と笑う。
僕も「スパスィーバ! スパスィーバ! (ありがとう、ありがとう)」と返して、十字を切る真似をした。小腰を屈め、デスクの上の予約確認書にサインしていると、彼女は「ニエ ザ シトー(どういたしまして)」と応え、突然「カワイイ!」と言って、僕の頭を撫でたのには驚いた。仕事柄、日本語を少し知っているのだ。マイクが困って、ニヤニヤする。ー
それにしても、最前列一枚2ルーブルというのは安い。日本円で八百円くらい、ドルに換算しても3ドルにならない。社会主義圏では、公共の観るものが安いと聴いていたが、確かに安い。
スタニスラフスキー劇場は、ロシア近代の有数の演劇人ネミローヴィチ・ダンチェンコとスタニスラフスキーによつて創設された、モスクワでもレベルの高い記念音楽劇場。この五月、東京・歌舞伎座の六代目菊五郎追善供興行が一等席三千円だったが、比較は出来ないにしても、やはり安いだろう。

マイクは午後は休んで、荷物の整理をすると言い、彼の四階の部屋へ去った。僕はホテルの近辺を歩いて見たかったので、ひとりで外へ出た。
ウクライナ・ホテルの正面の前方を、モジャイスク街道という広い通りが走っている。立っている建物の多くが、どっしりと重厚で堂々としているが、通りで見かける市民たちの服装は皆、飾り気がなく質朴だ。
通りには何箇所かバス停があって、或るバス停まで来ると、そこにハイ・ティーンの少女と年輩の女性が二人でバスを待っている。そこで僕は少女に、「Where
is the River Moskva ?(モスクワ川は何処ですか)」と声を掛けた。
すると少女の頬が紅く染まり、彼女は年輩の女性の後ろに隠れ、年輩の女性が前に出て、川の方角を指で差し、英語をまじえて答えてくれた。


僕は礼を言って通り過ぎたが、一瞬フィルムが逆に巻き戻されて、昭和二十年代の小津や木下のモノクロームの映画のワン・シーンを見たような気がした。今の景色は、もう東京には無いな、と思った。
ホテルの背後で、モスクワ川が大きく屈曲して蛇行する。夏の日の悠々とした流れである。この川を見たかった。ー

564号室へ戻り、もう一度シャワーを浴びる。
夏着の紺のスーツを一着だけ持って来たので、劇場へ行くために、それを着る。その後、絵葉書を数枚書く。
17時45分、一階大食堂へ降りる。マイクも降りて来て、やはり紺色のスーツを着て、ワイン色の深紅のネクタイを締めているのが、若々しい。
インフォメーションで早めの夕食を頼んだのに、やはり駄目で、18時から気忙しい食事になる。ビーフストロガノフが出た。
18時半、ホテルを出て、バス停まで行く。マイクが路線図を確かめてくれて、すぐ所定のバスが来たので、乗り込む。劇場はボリショイ劇場の少し北、プーシキン広場の少し南にある通り沿いに建っていて、その近くのバス停まで二十分程を要した。
開幕五分前に劇場へ駆け付け、最前列に着いた途端、幕が上がった。
舞台と客席は中劇場クラスの規模で、無駄のない引き締まった空間である。場内は静寂を極め、しわぶきの音さえない。観客の集中力が分かる。
十五分間の休憩があったが、観客の多くが冊子を読んでいて、ロビーに出る者が少ない。僕たち二人は出たが、ロビーの照明が暗く、飲み物のコーナーの有る無しも分からない。ロビーでも厳しい禁煙!
場内にはオペラ特有の、享楽的で虚飾的なムードが皆無で、むしろ教会のような宗教的な雰囲気があるのは、社会主義圏の選ばれた劇場のせいだろうか。観客であるモスクワ市民たちの、舞台への姿勢が真摯だ!
ロビーに立っていて、僕の声が少しでも高いと、マイクが自分の唇に指を当て、注意を促した上、片眼でウインクする。このウインクに、僕は子供の頃から弱いのだ、よく進駐軍の兵士たちにウインクされたっけ。ー
休憩後では、第三幕のカバァラドッシのアリア“星は光りぬ”を聴いている内に、「自分は今、初めてヨーロッパに来ているのだ」という気分になった。
最後の幕が降りると、マイクを初め観客たちが起立、割れるような拍手が沸き起こった。日本人の僕は、能や歌舞伎の客席に馴らされて来ているので、拍手はいいが、この起立しての拍手という、よりアクティブな行動への参加が苦手なのだ!でも、仕方がないー。
21時半、終演。マイクが「素晴らしかったよ」と言って、夢見るような甘い眼を向ける。このような欧米人の甘い眼も、僕には苦手で、つい視線を逸(そ)
らしてしまう。
劇場の外に出ると、まだ明るいが、夕立があったらしく、道路が濡れている。バス停まで歩くうちに、街路樹から雨滴がぱらぱらと降りかかる。マイクがハンカチで背中を拭いてくれるので、僕も彼の腕を拭く。
バス停で待っていると、辺りが宵闇になったが、街灯の照明度が低いのか、街中が暗いー

22時過ぎ、ホテルに帰着。ロビーには、すでに人影がない。
マイクから、明日は別々の所へ出発する、見せたいものもあるので、自分の部屋へ寄らないか、と誘われる。そこで、彼の四階の部屋へ一緒に行く。
僕の五階の部屋と、まったく同じタイプの部屋だ。彼が寛ごうとしてスーツを脱ぎ、Tシャツに着替えている間に、部屋に設備された茶器で、僕が紅茶を二つ淹れた。マイクはベッドに腰を下ろし、僕は立派な椅子に坐る。
彼は、自分のパスポートを収めたケースから、両親と妹、つまり現在の彼の家族の写真一枚を取り出して、僕に見せてくれた。アメリカ人らしいな、と思った。
彼は、僕に向かって言う。テツロウが秋にニューヨークへ来たら、フロリダへ電話を掛けてほしい。ボクが迎えに行くから、フロリダの家に来て泊まって貰いたい。両親や妹が、きっと歓ぶだろう。家にはプールがある、車も三台あるから、ボクがテツロウに南部のアメリカを見せてあげる。自分も、また日本へ行きたいんだ、と。
僕は、彼の厚意を謝した。だが、それ以上は黙ったままでいた。空気が重くなった。すると彼は、やや口を歪めて言った。「You are complication. But I like
you.(貴方は複雑だ。でも、ボクは貴方が好きだ)」と。
僕は思わず、声を立てて笑った。(何だ、分かっているじゃアないか、マイク!)彼は、さらに口を歪めた。
腕時計を見ると、23時。明日は朝が早いから、と言って立ち、ドアの近くまで行くと、マイクも立って傍に来た。と突如、彼は右手で僕の頬をひと撫でして、強い口調で言った。
「Tetsuro, You look at me !(テツロウ、ボクを見て!)」
僕は照れて、曖昧に微笑し、ドアのノブを捻って、外へ出ようとした。彼は「一寸待って」と言い、さッと上半身のTシャツを脱ぎ捨て、直立したままで、今度は静かに言った。
「You look at me. You never look at
me.(ボクを見て。貴方はボクを見ない)」
皓(しろ)く光る、匂うような裸身。ハッとした瞬間、僕は両眼を閉じ、ドアを空けて、廊下を足早に歩き出した。
不可(いけ)ない、不可(いけ)ない、この旅は長いんだ!
頭がぼうッとした。

◎2014年、再訪時のウクライナ・ホテル(現在の名称は、ラディソン・ローヤル・ホテル・モスクワ)