今日はジョンとの最期の思い出を、日記として残しておこうとおもいます。
長いですよ

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昨年末、ジョンは咳をするようになりました。
病院に連れて行くといつもぐったり疲れ果ててしまうので、
様子を少し見ていました。
咳がやがて開口呼吸に。
苦しいに決まっています。病院に連れて行く事にしました。
そして、検査入院。
ジョンと暮らしてから、「私が家にいるのにジョンがいない」というのは初めて。
レントゲンを見ると、気管が狭まっています。
先生いわく「腫瘍が気管を圧迫しているのかもしれない」
細胞を採取して検査する事もできると言われましたが、断りました。
高齢だから、最期は静かに見送ってあげたい。
この時には、ジョンはごはんを食べれなくなっていました。水も。
レントゲンで見て、自分の判断が遅かった事を思い知りました。
胸骨がへこむくらい、苦しかったね。
肺まで酸素がなかなか届かなくて、一生懸命に息を吸っていたから。
ストレスになる事はわかっていたけれど、連日病院に連れて行き
ステロイドの注射、ビタミン剤と抗生剤の点滴を受けました。
私は心の中で、ジョンを実家に連れて行く決心を固めはじめていました。
実家についたのは1月に入ってから。
田舎の静かな、広い環境。レンタルで酸素室も用意しました。
(呼吸が楽になるのがわかっているくせに、入るのを嫌がり、みんなの近くに居続けました)
そんな環境のなか、ジョンは16才の誕生日を迎えます。
1月24日、ジョン16才(たぶん)、私と出会って11年目を迎えます。
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1月27日、きれいな青空。
実家に来てジョンも少し落ち着いていました。
相変わらずごはんは食べれないけど、血液検査の結果も良好だし、
とにかくごはんが食べれるようになれば持ち直す、と信じています。
あなたのいない生活なんて、考えられない。
正午過ぎ、今日は本当にいい天気。
ジョンの容態が急変します。激しい咳をしてウロウロ移動を始めました。
わかっていました、最期が来た事を。
横になったジョンは大きく痙攣を起こしました。
私はぎゅっと、きつく抱きしめています。
そして、ジョンの体から全ての力が抜け落ちるのを、自分の腕で感じていました。
これが、死ぬという事。
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その晩、ジョンの体をダンボールに入れ、同じ部屋で眠りました。
ぎんじも連れて来ていたので、3人で。
夜中。猫ごはんを入れているカゴの方からガサガサと音がします。
1時間くらい、続いていたかもしれない。
ぎんじは私のおなかの上。
「ジョンがごはん漁ってるね。」
ぎんじに話しかけながら、私は暗闇の中を音が止むまでずっと見続ける。
翌日もきれいな青空。
実家の庭に埋めてあげました。
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わりと容易く「ジョンの死」を受け入れる事ができました。
私は、ジョンを迎え入れた日から今まで毎日、ジョンを失う日が来る事を想像していたからです、きっと。
「いつか失う日が来る」そう思うだけで、胸がきゅっとなって、喉の奥が痛くなる。
だから、ジョンと過ごした毎日は特別でした。
ジョンは私にとって、本当に特別な猫でした。
愛しています、今でも。
向こうに行っても、幸せであって欲しいと願っています。
「ジョンの死」は受け入れられても「ジョンのいない生活」にはまだ慣れる事ができません。
ジョンの事を思いながら、ぎんじ・グスタフ・はっとりとの生活を大切に過ごしています。




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