すこし時雨れて紅葉葉が美しい吉永神社

役行者が創立した格式のある修験の僧坊でした

後醍醐天皇の南朝の皇居とされていただけあり

世界遺産に登録された書院や天皇玉座の間

義経一行が潜居した間など歴史的な遺構が

沢山あり見応えがありました



庭のこの門から京都に向かい祈りつづけ

身はたとえ南山の苔に埋まるともーと

無念の辞世の歌を残されたところでパアースポットと言われています

それだけ京都へ凱旋したい天皇の想いが強かったのでしょうね

後年秀吉が吉野花見の本陣として盛大な宴をー歌、茶、能会などを

開いて豪華絢爛な寄贈品が展示されていました



時代が前後しますが、花矢倉からみた吉野の俯瞰風景

櫻のころは薄紅を刷いたように染まるのでしょうね

ここは義経千本櫻の舞台、静と別れた義経はより奥の山中へ

忠信が奮戦し自決ーと言われています

吉野の歴史って興味深いですね、もっと知りたくなりました


「花にねて よしや吉野の吉水の

           枕の下に石走る音」  後醍醐天皇


よい御製ですね、吉野山の哀史に心魅せられました



吉野の山並みは柔らかく重なり、朝靄が沸き立つと一幅の墨絵

修験の厳しい霊場なのに、ほっこりとして癒されます