関東も梅雨入りとなりました
朝からシトシト雨、かなり梅雨寒ですが、雨の日は
心落ち着く感じがして、嫌いではありません
言問團子で一服、このところの天体ショーに想いを
馳せて、日月の茶碗を出して見ました
「光」が勅題の年の初釜での阿弥陀籤で当たったものです
「名にしおはば いざ言問はん都鳥
我が思ふ人はありやなしやと」
この伊勢物語の業平の東下りでの和歌によるお團子です
隅田川の畔の古くからの茶店ですね
三種の餡が甘すぎず、ほっこりとした素朴な甘味で好物です
実は、この和歌にもまつわる能「隅田川」を観ました
しかも2人の演者の競演!世阿弥のいう立会い能みたいですね
それぞれ流派の第一人者で、謡や立ち姿の美しさで定評があります
一日おいての観能でしたから、違いも分かり面白い試みでした
まずいつもより小ぶりの柳の小山の作り物が運ばれます
筋を想うとなにか痛々しく感じます
中世は、人商人が横行した時代(東や東北は人出不足で
都などでさらわれた若年者が長者などに売られた)
自らを人買いに売った桜子は、尋ねてきた母に再会し
悦びで終わる「桜川」とは異なり、
これは我が子の墓標とめぐり合う悲劇ー
世阿弥の嫡男、元雅の作でどこか近代劇の手法を
感じさせます
ワキは隅田川の渡守で、物狂いとなって我が子を
尋ねる母を乗船させます
母は「いざ言問はん都鳥、我が思ひ子は
東路にありやなしやと」
業平の歌によせて問いかけます
ワキの船中での語りで、対岸の塚での大念仏は、死んだ子の
ためと知り蹲る姿!悲劇の物狂いで元雅の眼はよりリアルで
現実を見据えていたのでしょう
茫然自失の母に、ワキは優しく最期の有様を語り
念仏供養をと鉦を渡します
母の念仏に答えるかのような子、梅若丸の声
「ナミアムダブツー母にてましますか」
幻の我が子に手を差し伸べても届かないー
なんど観ても、泪するくだりです!
2人の演者の違いは、この子方の扱いでした
浅見師は塚から現れた梅若丸をいまにも抱きそうー
友枝師は子方は出さず、幻の我が子を感じさせる演技
元雅は子方を用いる演出でしたが、世阿弥はあえて
出さなくてもと考えていたらしいと記されています
でも白装束で黒頭の梅若丸が走り出るのを
目の当りにすると、能の「面白尽し」に叶うのかなと
思わせます 個人的には子方を出さずに演じるのが
いいのではと考えますがー
どちらにしても塚の土を返して今一度ーと嘆き悲しむ母
「人間憂いの花盛り、無常の嵐、音添ひ生死長夜の月の影
不定の雲覆へり、げに目の前の浮世かなー」
この上歌は心に沁みます
ほのぼのと東雲の空が明けるまで、一夜の念仏を唱えた
ひとびとの人情に母はどれほど慰められたことでしょう
今も昔も隅田川界隈、下町の人情が変わらないといいですね
川沿いではないけれど
山王日枝神社の大祭
小さな神輿は
通り沿いに
いくつもありました
半被姿のおじさんたち!
あるのでしょう
祭り囃子もあるのですね
聴きたかったですね!
これからは夏祭り
どこかで巡りあいたいものです
昨日仕込んだ甘酒が割合よく出来ました
これからは氷甘酒もいいですね
白ワインと牛乳で割った白酒も気にいっています!