折々の言の葉


お正月の駅の雑踏を抜けると、閑静な住宅街の一角の能楽堂

入り口に伏見稲荷神社、今年の観能を願ってお詣りしました

折々の言の葉


初能は毎年「翁」です  舞台も注連縄がはりめぐされています


折々の言の葉


能以前の芸能の形を伝えており、神事的でまさに奉納の意味が分かります

舞台で深々とお辞儀をし、翁面をかけるシテの仕草など儀式のように映ります

「とうとうたらり ら たらりあがりら りとうーーーー」シテ謡はまるで呪文ですね

今年こそ国土安穏、天下泰平そして五穀豊穣の祈りが心強く響きましたが

真の安心には、道のりは長いなあと思わずにはいられませんでした

この柔和で優しい面は顎に切り込みがあるので、謡につれ本当に

笑っているようで、とても癒される気がします

つづく三番叟は狂言方で、黒い尉の「揉之段」「鈴之段」は田仕事の農耕儀礼

大地を力強く踏むのは荒ぶる神をなだめているような気がします

能面をとり納め、退場した三番叟のお顔がとても充実感があり印象的でした

翁付の「高砂」 は松の精の老夫婦です

翁はこの世とあの世をつなぐ精霊!世阿弥の時代は老いは稀なることの

祝事だったと考えると、なんとなく嬉しく元気を貰いました


折々の言の葉


橋掛かりよりの前のほうの席だったので、翁が始まるまえには鏡之間での

切り火のカチカチとという音がなんども聞こえました

高砂でワキ登場し袖をかえすと誰が袖のような香のかおり!初めて聞きました

それにしても囃子方は狂言でのアシライが終わるまでやく3時間舞台で正座!

なのに狂言が始まると席を立つ人が多いこと、演者に無礼だと思うけどー

見所も頑張らなければ!

翁の三調の小鼓も楽しめて、自分へのお年玉!となった観能!でした