3年ほど前、交通事故に遭って死にかけて、
決めたことがある。
次の人生では、絶対に後悔しないように生きよう。
ということ。
思えばそれまでの私は知らず知らずのうちに「他人」に左右されて生きていた。
他人の目。
家族や友達だったり、道行く人だったり、誰ともない大衆だったり。
それは外見や学歴、就職先等だけでなくて、毎日の生活のなかにもたくさんたくさんあった。
例えば「海に行くから水着を着たいけど、友達は着ないっていうからやめとこう」とか。
例えば「本当はもう帰りたいけど、ここで帰るなんて言ったら”サブイ奴”と思われちゃう」とか。
数えあげればきりがない。
そんな人生じゃあ死ぬときに後悔しちゃうって気づいた。
私は私の人生の運転手。
誰かに運転席をあけわたしちゃだめなんだ。
だから。
「右に行ったほうが近道だよ」
「左に行ったほうが安全だよ」
ってたくさんの人がアドバイスしてくれて、すごくすごく嬉しいけれど。
最後に決めるのは、自分。
言われたとおりの道を進んで何かうまくいかなかったときに
「あなたがあのとき右に行けって言ったから…」
って、ほんの少しでも思ってしまいたくないから。
「こっちに行ったほうがいいよ」というアドバイスは、私にとっては”知識”。
自分で決めて、進んで、失敗しながらも学んで、
そして初めて”知恵”になる。
だから私は今日もハンドルを握ります。
へたっぴ運転でもいいから。
デコボコドライブを楽しむのだv(^-^)v
決めたことがある。
次の人生では、絶対に後悔しないように生きよう。
ということ。
思えばそれまでの私は知らず知らずのうちに「他人」に左右されて生きていた。
他人の目。
家族や友達だったり、道行く人だったり、誰ともない大衆だったり。
それは外見や学歴、就職先等だけでなくて、毎日の生活のなかにもたくさんたくさんあった。
例えば「海に行くから水着を着たいけど、友達は着ないっていうからやめとこう」とか。
例えば「本当はもう帰りたいけど、ここで帰るなんて言ったら”サブイ奴”と思われちゃう」とか。
数えあげればきりがない。
そんな人生じゃあ死ぬときに後悔しちゃうって気づいた。
私は私の人生の運転手。
誰かに運転席をあけわたしちゃだめなんだ。
だから。
「右に行ったほうが近道だよ」
「左に行ったほうが安全だよ」
ってたくさんの人がアドバイスしてくれて、すごくすごく嬉しいけれど。
最後に決めるのは、自分。
言われたとおりの道を進んで何かうまくいかなかったときに
「あなたがあのとき右に行けって言ったから…」
って、ほんの少しでも思ってしまいたくないから。
「こっちに行ったほうがいいよ」というアドバイスは、私にとっては”知識”。
自分で決めて、進んで、失敗しながらも学んで、
そして初めて”知恵”になる。
だから私は今日もハンドルを握ります。
へたっぴ運転でもいいから。
デコボコドライブを楽しむのだv(^-^)v