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【 テーマ「かこ」について 】


「かこ」では、私が2008年9月に経験した交通事故について綴っています。


 私自身がこの貴重な経験を忘れてしまいたくないから。


 毎日毎日起こり続ける交通事故、そのひとつひとつ痛み・重みを

 少しでも多くの人に知ってもらいたいから。


 そしてこの経験を踏まえたうえで、

 毎日を楽しんでいる人がいるんだということを知ってもらいたいから。



主観とエゴのかたまりですが、お付き合いいただけたら幸いです。


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はじめ勝手に1ヵ月程度の入院で済むだろうと軽い気持ちでいた私は、

10月1日に出席するはずだった

内定をいただいた会社のキックオフに出られない、ということに

ショックを受けた。



このときは、4月からちゃんと働けるのか、とか考えていなかった。


無意識のうちに考えないようにしていたのか、

それとも本当に<障がい>ということを理解できていなかったのかは、

自分でもわからない。




とにもかくにも、キックオフを欠席するという連絡をしなくてはならない。



母は「私がしようか」と言ったけれど、

これだけは絶対に自分でしたかった。


そして事故から2週間ほど経った頃、会社に電話をかけた。




「会社に電話をかける」

その行為自体でとてつもなく緊張する内定者の身分としては

「キックオフに出られない」と連絡するのはとても心苦しかった。


けれど、だからこそ自分でしなくてはならない。





プルルルル



プルルルル…




「はい、株式会社○○○です」



電話を取ってくれたのは人事担当のYさんだった。


緊張したまま自分の大学名と名前を告げようとすると、その途中で

「あ、フユちゃんー?どうしたの?」と気付いてくれた。




 交通事故に遭ってしまい、今は入院中であるということ。


 キックオフには出席できそうになく、申し訳ないということ。



緊張していたのでどんな言葉で伝えたかはハッキリと覚えていないが、

ただ、元気な声で話したと思う。



元気そうな声を出せば出すほど、

「交通事故に遭いまして」って、嘘くさいなぁ…なんて考えながら。



Yさんは、

いつ事故に遭ったのか、どんな状態なのかと聞いた。



そして、心配そうな声で


「じゃあ、キックオフの欠席は了解しました。

 大変だと思うけど、お大事にね。」


と言ってくれて、電話を切った。







無事に電話をしたという安堵感と、


楽しみにしていたキックオフが本当に出られないんだ…という虚しさが


同時に、


ベッドで横たわる私を襲った。