週末には大学の先生が来てくれた。

先生は「ちょうど遠くに出ていて…来るのが遅くなっちゃってごめんね」と言ってくれた。

優しい先生。

大学教授にしては若くて、優しい女性のこの先生が私は大好きだった。



次の日には友達が来てくれた。

「お父さんに送ってもらった」と言うけれど、

彼女の住む場所からは高速道路を使っても2時間はかかる。

事故と聞いてすぐに駆けつけてくれた、というだけですごくうれしかったし、幸せだった。


お見舞いに来てくれる人がいると、私はとにかくしゃべったし、笑った。

この場所が病院でなければ、あんな大事故のあとだとは誰も思わないだろう、というくらいに。


私は幸せだった。

私のために駆けつけてくれる人がいる。

それだけで、生き伸びた甲斐がある、と思えた。




私の負った傷は大きく3つ。

右目の少し上が切れたのと、大腸が破裂したのと、腰椎の骨折。


そのほかに、左手が妙に青黒く腫れあがっていた。

はじめは気にもしていなかったけど、というより気にする余裕なんてなかったけれど、

なんだか違和感があった。


母に「ナースコール、手が届くなら自分で押してごらん」と言われ、

頭上にぶら下がるナースコールを手に取る。


だけどなぜか親指に力が入らない。


ナースコールを押すことができない?

不思議に思い母に話すと、看護師さんに伝えてくれて、レントゲンを撮ることになった。



見事に、骨折していた。



私の負った傷は、どうやら4つだったようだ。

そしてそのほかにも、あちこちにガラスの刺さったあとがあった。

腕の傷が痛々しいのは見えるのだけれど、足の傷はほとんど見えない。

だって、足が動かせない。

頭も動かせない。

自分で動かせるのは腕だけだった。




足が動かない、と不思議に思ったのは、事故から何日も経ってからだった。

動かないだけじゃない。

触られても気づかない。

自分が今足を伸ばしているのか、折り曲げているのかもわからなかった。




来週、再手術をしなくてはならない。

そのことは聞いていたけれど、

実際には、私は自分で何のために手術をするのか知らなかった。

知ったところで、手術をしなくてはならないことには変わらない。

そう思って聞いていなかったのだけれど、まぁ一応聞いておこうか。

そんな気持ちで、日曜の夜、母に聞いてみた。

母が言うには、こういうことだった。


 私は腰の骨を骨折したが、出血がひどくて緊急の手術では背中から金属を入れることで精一杯だった。

 折れた骨もまだ私の身体のなかに入ったまま。

 次に行う手術で、骨盤から骨を持ってきて、腰椎にはめる。

 右足が動かないのは、折れた腰椎が脊椎を圧迫しているせいだ、と。




そうかそうか、と私は人ごとのように聞いていた。



 「それで、歩けるようにはなるんだよね?」



何気なく、当然のように尋ねると、母は黙ってしまった。



 「お医者さんには、『松葉杖で歩くくらいはできるようになりますか』と聞いたよ。

 お医者さんは、『おそらく』って答えた。

 でも、お医者さんって、最悪の状況を想定して話すから。

 だから…。

 だから…でも、絶対、歩けるように、なってやろうね。

 絶対何か方法はあるからね。」



そう言って、母は泣いた。



ああ、そうか…。

なんで、当然のように歩けるようになると思っていたんだろう。

全然現実をわかっていなかった。


馬鹿だなぁ。

私、馬鹿だなぁ…。




悲しいのかどうかもよくわからなかった。

現実感がなかった。

ただ、涙だけが自分の頬を流れていた。